最近、多種多様な瞑想法を説く方達がいます。全ては調べていませんが、多くの話は、この世に基づいたイメージだったり、理屈っぽく哲学を語るものだったり、ただの心の静けさを求めるメディテーションだったり...体験の浅いものばかりです。どこかの仏教の長老やチャネラーや口寄せが本物かどうかは、彼らの言っていることを少しやってみるとわかります。この世的な浅い概念で一生懸命説明していますが、少しの平安や静けさが与えられるくらいで、深みのないつまらないものばかりでした。世の人が、その程度の瞑想で満足しているのでしたら、それはそれで良いと思います。しかし、その中味は、まだまだ半分にも達していないものだと知るべきでしょう。
本当の瞑想、最上の瞑想、最高の幸福感を得るための瞑想とは、神への礼拝だと感じます。これは体験です。この至福を知ったら、この世のどんな快楽の絶頂も、くだらなくなってしまいます。この世の幸福などパウロがピリピ3:8で言っている「塵、あくた、糞土」と同じなのです。
Phil3:8Yes doubtless, I count all things but loss for the excellence of knowledge the Mashiyach Yahushua my Master, for whom I have suffered the loss of all things, and count them but rubbish so that I may gain the Mashiyach, (Bayit haMashiyach)
「そう、疑いなく、わたしはわたしの主キリスト・イエスを知ることの素晴らしさのために、いっさいのものを損と思っている。キリストのために、わたしはすべてを失ったが、それらを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためである」
ピリピ人への手紙 3:8 (私訳)
Phil3:19whose end is destruction, whose El is their belly, and whose glory is in their shame, who set their minds on earthly things.
Phil3:20 For our citizenship is in heaven, from which also we eagerly wait for a Savior, the Master Yahushua the Mashiyach; (Bayit haMashiyach)
「彼らの最後は滅びである。彼らの神は彼らの腹、彼らの栄光は彼らの恥、彼らの思いは地上のことである。 しかし、わたしたちの国籍は天にあり、天からの救い主、主イエス・キリストを熱望する。」
ピリピ人への手紙 3:19-20 (私訳)
体験した者でなければわかりません。創造主との合一。これが最高の幸福です。最高の瞑想とは、YHWHが臨在し、YHWHが内にいまし、神のご臨在が覆い尽くす体験です。
キリストに触れられ、中毒だった酒、タバコをやめてしまう方がたくさんいます。また、薬物をやめた方がたくさんいます。何故でしょうか。
それは、酒、タバコ、薬物では満たされないもの、最高の喜びを体験したからです。
それは、神との霊的な接触です。
至福の体験は、霊的な礼拝の中で体験できます。日本にもそんな礼拝を体験できる教会が、増えてきました。そんな教会を探してみてください。
Phil4:4 Rejoice in the Master always; again I shall say, rejoice!
Phil4:5 Let your gentle spirit be known to all men. The Master is near. (Bayit haMashiyach)
「主の中でいつも喜びなさい。繰り返して言います。喜びなさい。
あなたがたの優しさを、すべての人に知らしめなさい。主はすぐ近くにいるのです。」ピリピ人への手紙4:4-5(私訳)
あなたは、主の中でいつも喜んでいますか?