最近、不動産関連で嘘をつかれたことに腹を立てていた自分があった。礼拝の中で、質問しました。「主よ、ヤコブは父イサクとエサウを騙して、祝福を受けました。それは、正しいことだったのでしょうか?」。すると、主が私の心に語られました。「ヤコブは、最愛のヨセフを失って、その悲しみは大きなものだった。父やエサウを騙したことを悔いたのだ。自分が受けた祝福にも疑いをもった。その後、多くの家族を抱えながら飢饉を経験した。彼自身の人生は、失ったヨセフをエジプトで見出すまで悲嘆に満ちていたのだ。祝福を受けたはずのヤコブは、最愛の子ヨセフが死んだのだと思って年老いた。祝福とは何だ。ヤコブ自身に何の幸いがあっただろうか」。
「わたしは、飼い葉おけの中に産み落とされ、小さな家に育ち、福音のために枕するところもなかった。そして十字架刑を受け入れた。おまえは、自分の所有する財産の増減に一喜一憂するのか」。「主よ、兄弟の罪に怒っている私の目には、梁があります。私の心は、あなたの前にちっぽけで、なさけないものです。どうぞ、お赦しください。あなたの前に冠を投げ出します」涙があふれた。心に語りかけられるのだ。
「主よ、ヤコブの祝福は、ペヌエルでの経験ですね。あなたと顔と顔を合わせる天国で生かしてください」。
*創世記27章37節~38節より
イサクはエサウに答えた。「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今となっては、お前のために何をしてやれようか。」エサウは父に叫んだ。「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」エサウは声をあげて泣いた。(新共同訳)
*ヤコブは、長子の権利を受けたが、叔父のラバンに騙され、ラケルを娶るために14年以上働き、ペヌエルで股関節を痛め、足は悪く、晩年はアブラハム・イサクから受け継いだ土地や家を捨て異邦のエジプトで死ぬまで過ごさなければならなかった。彼の受けた祝福は、何だったのか?彼の子孫がエジプトで奴隷として増え広がったことは確かだが、彼はこの世では幸せではなかったのではないか。
*ベテル:ヤコブが天に至る梯子を見た場所