神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

敬愛する師25 ~強烈な磁場を

釘宮義人牧師のメッセージより

 私の旧師・手島郁郎先生はあるとき、聾の女性のために祈りました。そして黒板に文字を書いて彼女に見せました。「心を一つにせよ。心を耳にむけよ。ほら、耳が聞こえ始めるよ。熱心に心の耳を開くのです」と彼女に熱意をもって迫った。彼女は耳が聞こえ始めました。

 手島郁郎先生は、それこそ強烈な個性を持っていた。磁力が強いのである。一般の宗教世界で捜せば、出口王仁三郎が似ているでしょう。私は1957年から58年にかけて1年半ほど師事した。徹底的に憎々しげに叱られて、どう答えてよいか分からず、ついに逃げだしたのである。▼この「憎々しげ」というのは手島先生の一種の魅力であって、これにつまづいて逃げ出したのではない。なぜ叱られているのかまったく分からない。「俺はもう劣等生だ。ここに居ることはできないのだ」と自己破滅的に参ってしまって逃げ出したのである。しかし、逃げ出してしまってからホッとした。先生に属する信仰集団(幕屋)の息苦しさから脱出して息を吹き返した感じがしたのである。▼もう一つは、手島先生の信仰が贖罪論において奪還論、もしくは勝利論一辺倒で代罰論を否定する。これには私はついて行けなかった。私の信仰は福岡の独房の中で主から与えられた鋭角的回心でして、イエス様の十字架の血潮による罪の赦しの信仰です。とうてい手島先生に帰ることは出来ないことは外に出てみてよく分かった。何度か先生のもとに帰るように奨められたが帰らなかったのです。▼しかし先生の個性、信仰、カリスマ性は抜群でした。奪還論、勝利論一辺倒だとは言え、けっして異端とは言えないと思います。日本的福音というものの一つのモデルを見せてくれたお方です。私の受けた教え、影響、それらのご恩を忘れることはできません。私は先生に会うべき時に会ったのだと思います。〜釘宮牧師メッセージ2000/8/27より〜シェアさせてください。

キリストの福音・牧師メッセージ2000.08