神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

同じ聖言に行き着く 〜努力が必要?

命に至る門は狭く、その道は細いので、それを見いだす者は少ない。マタイ7:14

 

エスは人々に言われた、「❶努力して、❷狭い門を通って入りなさい.わたしはあなたがたに言う.多くの人は入ろうとするが、できないからである。ルカ13:24

 

わたしは門である.だれでも❸わたしを通って入る者は救われ、また入ったり出たりして、牧場を見いだす。ヨハネ10:9

 

※「❸わたしを通って入る」とは、あなたの十字架の贖いの御業により入ることなのですね。神には可能なのですね。十字架という❷狭い門を通って入るとは、どんな❶努力が必要なのですか?


24それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、❹自分を否み、❺自分の十字架を負い、わたしに❻従って来なさい。
25自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、❼わたしのために自分の魂の命を失う者はそれを見いだす。
26人が全世界を手に入れても、自分の魂の命を失ったなら、何の益があるだろうか?人は自分の魂の命と引き換えに、何を与えることができるだろうか?
27なぜなら、人の子は彼の父の栄光の中で、御使いたちと共に来るが、その時それぞれに、❽行ないにしたがって報いられるからである。

マタイ16:24-27(回復訳)

 

※❶努力とは、❹自分を否み、❺自分の十字架を負い、主に❻従って行くことなのですね。十字架を負いあなたと共に行くことなのですね。十字架とは、❼あなたのために自分の魂の命を失うことなのですか?御再臨のときに、❽行ないにしたがって報いられるのですね。弟子たちが十字架を慕い殉教したのも、コルベ神父が収容者の身代りを申し出て殺されたのも、あなたに❻従った❽行為なのですね。どうぞ同じように従わさせてください。

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