神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

迷謬の霊に気をつけよ

敬愛する師は、1950年10月18日福岡県の○○○之御霊教団に属する集会に招かれ、聖書講話したときのことを語っていました。 

〜敬愛する師の話〜

参会者たちが、聖書の真理に不敬虔であることに激しい憤怒を感じた。なお、参会者の中には、異言を語る者もあると言うので、彼らに語らしめたら、すべてが「❶迷謬(まよい)の霊」(第一ヨハネ4:6)ではないか!私は全く呆然となった。ある老婦人は死霊に憑かれ、ある女は狐霊、ある男は狸そのままに、身振りよろしく、歯ぎしりまでやってみせる。またある者は猫、または蛇霊である。私は百鬼夜行の化け物屋敷の探検に乗り込んだ始末となる。怖るべきは、こんな悪鬼の口寄せ会、この教団の正体である。東京にこの妖霊教の本部があり、その主管者はM牧師だと言う。しかも「○○○之御霊教団」と名乗るとは、驚くべき虚偽霊の仕業である。観音教が「世界メシヤ教」と変名して、キリスト教の一派だと自称する末世時代であるから、世は様々である。が、この教団の虚偽性は「聖霊を冒涜する罪」において最も悪質である。この教団の内部では絶えず暗闘、悶着、猜疑でゴタゴタやっていると言う。私は女教師のYさんに厳しく宣告した。「今日限り、こんな『サタンの会』は解散しておしまいなさい。『なんじ目を覚まし、殆ど死なんとする残りのものを堅うせよ』(黙示録3:2)  悔改めて、純福音の信仰にお立ち帰りになるように」と。しかし、心よく、釈然としてこの夫人は聴いてくださり、嬉しかった。

この教団では奇怪な話ばかり聞いた。

これは現代のキリスト教会の神学者や、牧師たちが❷全然霊をわきまえる能力(Ⅰコリント12:10)がないため、こんな「非キリスト」の不法横行を許すのである。使徒ペテロやヨハネ、またパウロがこれを見たら、どんなに憤怒することであろう。例えば、この地の一夫人が数日前に奇怪な死を遂げた。それもその教団の牧師、iの霊に襲われて、急死したのだと言うて、遺族たちは泣いて口惜しがり、私に訴えられる。あまりにも奇怪な内幕話ばかりなので、私はある決意を固めて、出かけることとする。

夕方、わざわざ福岡市唐人町にその牧師の家を訪ね、本人に会ってしばらく対談した。辞去しようとすると、共に祈ろうと言うので、共に祈った。そして同人に異言なるものを語らしめたら、驚くべし、❸いたずらに英語を口調よろしく、繰り返すだけである。「オー、グローリー、ゴッド、マイ・ジーザス、オー・グレイス、オー・ブレッシング、オー・ハレルヤ、オー・アーメン、アーメン、ハレルヤ、オー・ジーザス・クライスト、サン・オブ・ゴッド、マイ・セービア、オー・ハレルーヤ」と言うような調子で、大声に青白い顔で、歯をむき出して叫んで、盛んに英語の繰り返しをやっている。それで、「何んだ!そんな言葉は、それは英語ではないですか。異言じゃない。人を欺くとは、ひどいやつだ!」と私はとがめた。

「いいえ、私の教派は異言派である。これは異言です。私の大先生、M牧師が、私に❹保証してくれたから、これでよいんです」と言う。「馬鹿なことを言うものではない。だが一体、貴君はどう思うのか。不法な虚偽な真似をして、人々を悩ますとは、私はほうっておけぬ。キリストの御名にかかる故、許せぬ。白状せぬなら承知しないぞ」と私は詰め寄った。

「いや、実はこれは異言ではないのですが、私も先年、この教会の牧師としてM先生から任命されたからには、何とか異言らしいものでも語らなければ、体面が保てぬので、どうも信者たちの前では苦しいが、まぁ、こんなことを言ってきたわけです」と自白をした。

「そうですか、それはお気の毒なこと。そんなに異言が語りたいなら、私が執り成して語れるようにしてあげよう」と言って、同人を冥目せしめた。そうしたら間もなく、同人に憑いている悪霊は、怖しい気勢で怒り狂うような面相で発霊し、その口からは激しい気息をピストンのように噴出して私に吐きかけ、わなわなと震わせている。

恐怖に、同道のT夫人は悲鳴をあげてしまった。このベルゼブルの気息にあてられたら、普通の人なら打ち倒れ、殺されてしまうかもしれぬ。だが、私は弱くとも、キリストの僕である。聖霊の保護下にある。私はこの牧師に按手して「不法の霊よ鎮まれ、悪鬼よ、抵抗すると許さぬぞ!この人を苦しめるな!霊よ、語れ!」と念じたら、すぐ恐しい気息も止り、この人は異言らしきものを語り出したが、❺非キリストの邪霊の異言であることは言うまでもない。まざまざと私はこの人に巣食う霊の正体を暴露し、いやでもその虚偽の霊を認識せしめてやった。

「すっかり悔い改めるように、徹夜してでも今晩は神様によく祈って回心するように」と訓戒した。この牧師も神妙にかしこまって、平謝りに謝り、また異言の何たるかが分かったと喜んでいた。

この人は元来、善い人である。邪悪なるは、『○○○之御霊教団』に巣食う霊である。サタンの住むところである。

『われ、汝の住むところを知る。彼処には、サタンの座位あり……悔改めよ、然らずば、我速やかに汝に至り、わが口の剣にて彼らと戦わん。耳ある者は御霊が諸教会に言い給うことを聴くべし」(黙示録2:13-17)

私たちは、こんな非キリスト教会の迷謬の霊と今後は積極的に対決し、応戦して、諸霊を弁別し、審判し、世の識者に聖霊の真実を示して、キリスト教会の粛正を期さねばならないことを痛感した。しかし、また嘆かわしいのは現今の❻一般の伝道者たちがあまりにも霊覚に乏しいことである。

〜以上、「異言派教会の虚偽性」より〜

以前、私も実際に上記教団の東京本部を訪れたことがあります。入った瞬間、礼拝前に祈る神学生の異言のようなものを聞き、まず動物霊を感じました。真剣に求めている神学生もいて、私の話を真剣に聞いてくれました。全員が邪霊に影響されているわけではないと感じました。

ここの教理は、至って真面目で、洗足式や土曜安息日聖日とし、洗礼は全身浸礼、聖餐は酵なしパンと葡萄汁を用いパンは手で裂くなどきちんとしています。

沖縄方面での宣教は、かなりの奇跡が伴う大きな働きがあったことも知っています。しかし、一部牧師によるのでしょう。指導者が邪霊に憑かれていては、全く良い実など結ばないのは、あたりまえです。

この教会では受霊のしるしは「異言」とされ、この異言について、御霊教の創始者M牧師は「受霊しますと、その人の口から外国語の様な言葉が出てきます。これを聖書では異言といい、御霊の言わしむるままに語る、自分でも分らぬ言葉であります」と述べています。

しかし、聖霊を受けたかどうかは、異言で判断しなくても明白です。

聖霊を受けると腹から活ける水が流れ出て圧倒されるような力を受けます。極めてはっきりとした感覚です。受けたかどうか牧師に「これは異言ですか」なんて聞くことなんて、必要ない。それほどのはっきりしたパワーを受け、天国の自覚も与えられます。

人により、その経験は違うかも知れませんが、私の経験からの話をします。学生時代、聖霊バプテスマを半年求めていました。なかなか与えられず、正月に行われた聖霊派の修養会に行き、どうしてもいただきたいと、聖霊を求めて深夜祈っていました。すると、真夜中にどなたかわかりませんが、目の前に現れ、確かに按手を受けました。その時、燃えるような十字架が見え、火が腹に飛び込んできたのです。その力にはじき倒されました。聖霊を受けた瞬間に圧倒的な喜び(力)を受け、異言で舌が支配され、翌朝まで眠ることもできず、異言と喜びが溢れて普通に話しができないほどの状態が修養会から帰っても数日間続きました。まさに、火のような経験です。聖霊を受けた者の変貌は、誰が見ても明明白々であり、牧師に「これは異言ですか?」と聞かなくても、周囲の人が一変した自分を見て、声をかけてきます。それほどはっきりとしたものです。それは受けた本人が一番良くわかるものです。

使徒行伝1:8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは❼力を受ける.そしてエルサレムにおいても、ユダヤ全土とサマリヤにおいても、また地の果てまでも、わたしの証し人となるであろう」。(回復訳)

現代キリスト教界の危うさは、❻一般の伝道者たちがあまりにも霊覚に乏しいこと。教会の神学者や、牧師たちが❷全然霊をわきまえる能力(Ⅰコリント12:10)がないため、こんな「非キリスト」の不法横行を許すのだと語っています。安易に牧師が❹保証した異言だから、これでよいとすると、その誤魔化しにより「❶迷謬(まよい)の霊」、虚偽の霊に憑かれる危険性かあります。

学生時代に京都の異言派のある教会へ行ったときに、「違う霊だな、気分が悪いな」と感じましたが、40年経った今でも師が語っていた❸いたずらに英語口調よろしく、繰り返す「オー、グローリー、ゴッド、マイ・ジーザス、オー・グレイス、オー・ブレッシング、オー・ハレルヤ、オー・アーメン、アーメン、ハレルヤ、オー・ジーザス・クライスト、サン・オブ・ゴッド、マイ・セービア、オー・ハレルーヤ」と言う似非異言をときどき聞くことがあり、本当に残念です。

そんな似非異言をやっていると、ベルゼブルに取り憑かれてしまうかもしれません。

○○○之御霊教会だけの話ではないのです。神の前に聖霊を祈り求め、修養会などへ積極的に求めて受けるべきです。

近年、トロント ブレッシングなる異象を聞いたことがありますが、原因に❶動物霊が疑われます。聖霊によって、人が犬猫のまねをするはずがありません。

それに、トロント ブレッシングを代表する教役者を見ると、顔が強張り、何かに憑かれている動作や❽震えが見えます。その話の内容は至ってキリスト教的ですが、動画を見ればわかります。

サンダー ・ シングが言っていたように、熱やささやき、❽震え、チクチクする痛みは、神からのものではないのです。

彼らが言う「聖なる笑い」なるものも、アメリカから来た宣教者がやっているのを実際に見ましたが、わざとらしく、あざけており、虚偽の霊が働いていると感じました。

彼らが、良い実を結んでいるなら、許容したいのですが、敬愛する師の言うように、末世時代の虚偽性はひどいものです。人を騙し、躓かせ、真の聖霊を受けさせないようにしているのが目的だと窺えます。

欧米の特にアメリカ近辺から来るようなこれらのムーブメントには、慎重になるべきです。

これら似非教師は「❶迷謬(まよい)の霊」を按手したりしますが、受けた人は「力が抜けた」と言います。聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは❼力を受ける(使徒1:8)はずなのに、逆に「力が抜けて」倒れるなら、違っていることがわかります。

しかし、こんな連中や「❶迷謬(まよい)の霊」をことさらに怖れる必要はありません。ただの動物霊に過ぎません。按手されたから何か変わるわけでもないのです。そんな者から按手を受けないことも必要です。気持ちが悪い違和感を覚えるなら、敬遠すべきです。

サンダー・シングが、欧米のキリスト教国を訪問した際、その堕落に驚き、真水を求めても塩水を飲まされるようだと言っていたのを思い出します。塩水を飲めば、気持ちが悪くなりますよね。

人々に塩水を飲ませているこんな連中におよび腰になる必要はありません。まず、純粋に力に満ちた聖霊バプテスマを求めるべきです。

神の聖霊の力は、その実を見ればわかります。それなりのしっかりした指導者や輝くような信徒たちがいるエクレシア(教会)を探して、聖霊の磁場を感じるところで真摯に聖霊を求めるべきです。

われわれは、欧米から来たこんな下位の邪霊に翻弄されることなく、しっかりと聖霊を求めなければなりません。

聖霊バプテスマは、天父に求めれば与えられると聖書にあります。私は、半年間祈り求め続けました。

ルカ伝11:13
あなたがたは悪い者であっても、自分の子供に良い贈り物を与えることを知っているとすれば、天の父は、彼を求める者たちに、どれほど聖霊を与えてくださることであろう!」(回復訳)

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/09/10/140045

 

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/06/30/035005
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2019.9.30撮影

※この記事は、異言を否定しているわけではありません。異言の賜物は、大切な第一歩です。真に聖霊を受け、異言が与えられたなら、次への段階が開かれていきます。以下に紹介しています。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/05/11/085500