神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

神の国の特性 〜愛による統治国

2020.4.20に示されたこと

新型コロナウィルスによる世界的危機の中、自由主義共産主義の社会体制が比較され、医療体制、経済的支援など危機管理に対する評価や公表される報道の真偽、国のトップの質、モラルや倫理観、国民の支持率などが露わになってきています。

もともと、SARS-CoV2ウィルスを漏洩し、公表を遅らせ隠蔽し、COVID-19感染症を世界へ拡散したCCPは、反省のことばもなく自国は「感染症を早々に押さえ込んだ」とうそぶいています。一党独裁の強権を使って外出禁止命令、都市封鎖など危機管理は早かったようですが、 CCPの倫理観は低く、当初の隠蔽や死者数、感染者数の過少申告などその報道は信用できません。

一方感染拡大が続く自由主義国は、スマートな対応で早々に終息へ向かった台湾や韓国のような国も一部あります。しかし、急激な感染拡大と重篤者の長引く治療に医療崩壊を起こし、中国に生産を依存していたマスクなどの物資がことごとく不足し、困り果てている多くの国があります。いずれにせよ各国の危機管理能力には差が見られます。

お金が惜しくて都市封鎖などの強い措置ができない後進国の日本は、パチンコ店などに休業すらさせられず、防護服やマスクも不足し、WHOが要請する基本である検査すらなかなかできていません。

この機に乗じて、CCPは、したたかにも不足するマスクを使って自国に有利な外交を展開し、各国で権益を広げようとしています。

以上がこの世の国家であり、スマートな対応ができる国と権益や私利私欲をまず先に考え、人命や国民の生活を大切にしていない国、独裁者によりモラルも人権もなく報道すら信用できない国が露わになってきています。

https://youtu.be/RYHId0oQBjA

 

さて、主の祈りでわたしたちが「御国が来ますように」と祈ります。キリストの弟子であるわたしたちの国籍は、天国にあります。わたしたちの所属する神の国=天の王国は、どのような体制になっているのでしょうか?

まず、この王国を統治する方である王なる主の本質を知ることが大切でしょう。

 

第1ヨハネ4章を回復訳で読んでみましょう。

 

☆第1ヨハネ4章

【神は愛だ】

4:7愛する者たちよ、互いに愛し合おうではありませんか.❶愛は神から出ているからです.またすべて愛する者は、神から生まれており、神を知っています。
4:8愛さない者は神をまだ知っていません.なぜなら、❷神は愛だからです。

❶愛は神から出ています。❷神は愛だからです。「❶愛(ἀγάπη)agapē」の愛は、男女の愛ではなく、公共の「善意」とも訳せます。 2020年1月度『CM好感度調査(金融業類)』で一位を獲得したCMで 『凛とした女将』シリーズがあります。登場する若い未熟な板前のイライラして愚痴る行動に、「ここに愛はあるんか?」と女将が諭す場面があります。商売の世界だけでなく、行動規範の根底に「愛」を問う生き方が大切だと伝えて、CM好感度一位を獲得したのでしょう。その「愛」とは、気持ちのこもった善意であり、他を愛する生き方とも受け取れます。その❶agapē(アガペー)の愛を本質として、神は御国を治め、運営していらっしゃるのです。その証しが歴史の中に示されています。

 

【愛の証し】

4:9神はひとり子を世に遣わされました.その方を通して、わたしたちが❸命を持ち、そして❹生きるためです.それによって、神の愛がわたしたちに現されたのです。
4:10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪のために、御子を❺なだめの供え物として遣わされました.ここに❶愛があるのです。第1ヨハネ4:9.10

神はひとり子イエスを、野蛮な人間界に遣わされました。二千年前に❺十字架上に殺されるのを知りながら、御子イエスは、この愛のない人間界に遣わされ、人類の罪を赦す高次元の愛を示し、❺供え物になったのです。それは、その方を通して、わたしたちが神の本質は❶愛であることを知り、神の❸命を持ち、そして❹生きる(本当の意味で人生の基盤を知り、愛を基調に行動する)ためでした。ひとり子イエス・キリストを遣わされたことによって、本当の愛をわたしたちに証しされたのです。

キリストの出現は、歴史的にもBC/ADで分けられる大転換点でした。AD=キリスト以降=❶神の愛の現れ以降  を生きるわれわれは、この高次元からの救い主の愛に気づき、❶愛を基調とする生き方に触れることが可能になったのです。

【天国人の特性】

4:11愛する者たちよ、神がこのようにわたしたちを愛してくださったのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。
4:12いまだかつて、だれも神を見た者はいません.わたしたちが互いに愛し合うなら、❼神はわたしたちの中に住んでおられ、そして❼彼の愛がわたしたちの中で*全うされます。
4:13彼はわたしたちに、彼の❻霊を与えてくださいました.このことから、わたしたちが❼彼の中に住み、そして❼彼がわたしたちの中に住んでおられることを知るのです。
4:14そしてわたしたちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをします。
4:15だれでも、イエスは神の御子であると告白するなら、神は彼の中に住んでおられ、また彼は神の中に住んでいます。
4:16そしてわたしたちは、神がわたしたちの中で持っておられる❶愛を知っており、また信じています。❷神は愛です.❶愛の中に住んでいる者は神の中に住んでおり、神も彼の中に住んでおられます。第1ヨハネ4:11-16

大自然を見るなら、この自然が愛をもって創造されたものであることがわかります。聖書の御言葉からも神の愛を知ることができます。そして、神のひとり子キリストの生涯がわたしたちへの愛を証ししています。その愛を示されたわたしたちも互いに愛し合うことを学びました。わたしたちが互いに愛し合うなら、❼神はわたしたちの中に住んでおられ、そして❼彼の愛がわたしたちの中で*全う(完成)されると書いてあります。

*「全う」とは?回復訳フットノートより〜
ギリシャ語は「完全にする」、「成し遂げる」、「完成する」を意味します。神の愛は、神ご自身においては完全であり、完ぺきです。しかしながら、神の愛がわたしたちの中で現れるには、成就され、完成される必要があります。神は御子を遣わして、なだめの供え物となり、また命となられ、このことにおいて神の愛は現されました(9―10節)。しかし、もしわたしたちが、自分に現されたこの愛をもって互いに愛し合わないなら、すなわち、神がわたしたちを愛された愛をもって互いに愛し合い、この愛を表現しないなら、それは完全には、また完璧には現されません。わたしたちが生活の中で習慣的に神の愛をもって互いに愛し合い、この愛を表現するなら、その愛はこの現れにおいて全うされ、完成されます。わたしたちが神の愛の中で互いに生活することは、この愛がわたしたちの中で現れることの成就、完成です。こうして、他の人は、わたしたちが神の愛の中で生活していることによって、神が愛という彼の本質において現されるのを、見ることができます。〜回復訳フットノートより〜

 

生活の中で習慣的に神の愛・善意をもって互いに愛し合うのは、意外に困難なことです。しかし神の❻霊である聖霊に動かされる生活習慣を続けることで愛が完成されます。神の❻霊が鍵なのでしょう。神の❻霊から、わたしたちが❼彼の中に住み、そして❼彼がわたしたちの中に住んでおられることを知るのです。わたしたちは、神がわたしたちの中で持っておられる❶愛を知っており、また信じています。❷神は愛です.生活の中で❶愛の中に住んでいる者は神の中に住んでおり、愛である神も彼の中に住んでおられ、愛が完成されます。

【裁きの日に大胆に】
4:17こうして、❶愛はわたしたちにおいて*全うされました.それは、わたしたちが❽裁きの日に大胆さを持つためです.なぜなら、彼がそうであるように、わたしたちもこの世で彼のようであるからです。
4:18愛には❾恐れがありません.完全な愛は恐れを追い出します.なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者は愛の中で全うされていないからです。
4:19わたしたちが愛するのは、彼がまずわたしたちを愛してくださったからです。
4:20もしだれかが「わたしは神を愛している」と言いながら、自分の兄弟を憎んでいるなら、彼はうそつきです.なぜなら、目に見える自分の➓兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができないからです。
4:21神を愛する者は、自分の兄弟をも愛すべきです.この戒めを、わたしたちは神から受けています。第1ヨハネ4:17-21

〜完成した❶愛は、わたしたちが❽裁きの日に大胆さを持つためです.なぜなら、イエスがそうであるように、わたしたちもこの世で彼のようであるからです。愛には❾恐れがありません.完全な愛は恐れを追い出します.それは、イエスの言を聞いて、イエスを遣わされた方を信じる者は、永遠の命を持っており、また裁きを受けることがなく、死から命へ移っているからです。

ヨハネ伝5章

「まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.わたしの言を聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠の命を持っており、また裁きを受けることがなく、死から命へ移っているのである。」ヨハネ伝5:24(回復訳)

〜もし「わたしは神を愛している」と言いながら、自分の兄弟を憎んでいるなら、彼はうそつきです.神を愛する者は、自分の兄弟をも愛すべきです.この戒めを、わたしたちは神から受けています。

この戒めは、ヨハネ伝にあります。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい.」ヨハネ伝15:12(回復訳)

❽裁きの日は、この世の支配者(単数=サタン)が追い出されるときです。また、御救いの現れでもあります。主イエスは、「わたしは、地から(十字架に)上げられるなら、すべての人をわたし自身に引き寄せよう」と言われました。

十字架上で時を超えて完了した救いと裁き。裁きの日は、この世の支配者(単数=サタン)が追い出され、すべての人が主イエスご自身に引き寄せられるのです。この患難時代に、恐れなき主イエスの大胆さを持って生きてみましょう。だからと言って不要な外出をしないでくださいね。

「今は、**この世が裁きを受ける時である.今、この世の支配者は追い出される。
わたしは、地から上げられるなら、すべての人をわたし自身に引き寄せよう」。ヨハネ伝12:31.32(回復訳)

**この世とは?回復訳フットノート
ここのギリシャ語は、「按配」を意味します(参照、Iヨハネ2:15のノート2)。この世とは、サタンによって組織的に按配された邪悪な体系です。サタンは地上のすべてのもの、特に人と関係のあるもの、また空中にあるすべてのものを体系化して、彼の暗やみの王国としました。それは、人を占有し、人を妨害して、神の目的が成就するのを妨げ、神を享受することからそらすためです。主の体が十字架につけられることによって、この世の支配者、サタンが追い出された時、この邪悪な体系、暗やみの王国は、裁かれました。31節(31節)のノート1を参照。〜回復訳フットノート〜

 

主の祈りでわれわれが「御国が来ますように」と祈る「御国」は、わたしたちが❼互いに愛し合うときにこの世界にもやってきます。その❼愛の神はわたしたちの中に住んでおられ、そして❼彼の愛がわたしたちの中で完成されるとき、YHWHの支配である御国が完成されます。この世とは、サタンによって組織的に按配された邪悪な体系であるなら、この世を❽裁く日が必要です。自分が邪悪な体系に組み込まれないよう、注意深くなることも大事です。しかし主イエスが歩まれたように、神の霊の中で、神の体系である愛の中で、主を愛し、兄弟を愛して、ἀγάπη agapē(善意)をもって大胆に生きることを体感しましょう。主イエスのご生涯がその規範です。

裁きの日を前に、「ここに愛(ἀγάπη agapē)はあるんか?」と女将が諭したように、自分自身や自分の国の為政者にも大胆に問い、改めるところは改め、「御国」の到来と兄弟愛を大胆に表していきましょう。

愛による支配。愛を法とした国。愛こそ高次元の超高度文明である天国の司法、政治、経済、文化の基盤です。