カトリック教徒は、よく聖母マリアを主イエスと同じように拝むことがあります。
しかし、それは大きな間違いであります。
主イエスは、そのことを心配していたのでしょう、聖書の福音書にも以下のようにご自身で話しています。
「大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 イエスは、「❶わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。❷神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」」
マルコによる福音書 3:32-35 新共同訳
https://www.bible.com/1819/mrk.3.32-35.新共同訳
「❶わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 周りに座っている人々を見回して言われた。「❷神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と言われて、マリアは、❶わたしの母でなく、❷神の御心を行う人こそ、兄弟、姉妹、母だと語っています。
また、十字架上で弟子とマリアに対して、次のように語られました。
「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「❸婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 それから❹弟子に言われた。「❺見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」
ヨハネによる福音書 19:25-27 新共同訳
https://www.bible.com/1819/jhn.19.25-27.新共同訳
主イエスは、マリアに「❸婦人よ」と言われました。
「かあさん」とは言わずに「❸婦人よ」と呼んでいます。また、隣にいた弟子を示して「御覧なさい。あなたの子です」と言いました。つまり、マリアの子は、この弟子だと語られました。
それから❹弟子に対しては、「❺見なさい。あなたの母です。」と語られました。そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取ったのです。養子縁組のような場面ですが、今後間違ったマリア崇拝が行われないように、意識して語られたと感じる場面です。❷神の御心を行う人こそ、わたしの母だ と語っていますから、周りにいる奉仕に熱心な年配の女性信者は、全員マリアになってしまいますね。ということは、マリア崇拝では、信者さんを拝まなくてはなりません。
マリア崇拝は、間違いです。主イエスは、「❶わたしの母とはだれか?❷神の御心を行う人こそ、母だ!」と言っています。
間違ったマリア崇拝が行われないように、釘を刺されたのですね。
聖母マリアに関わるいろいろな奇跡があったとしても、聖書のどこにも「マリアを拝みなさい」とは書いてありません。
熱心で真面目な信者が多いカトリックは、良い働きをたくさんしていますが、鳥が掬ったバチカンが何を言っても主イエスの御言を第一にして信仰していくことが大切だと思います。