神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

祈りの中で125 〜くびきを共に

祈りの中で示されたこと。

以前に、「罪深い私は、さらに自分の歩みの危うさを知り、過去の過ちや人々を裏切ってきた罪を思うだに「私」には何も良いものがない、「私」はもういらない!と考えてしまいます。」と話したことがあります。

しかし、祈りの中で憐れみ深い主は、「わたしがくびきをともにしたいのは、死人ではなく生きているお前である」と語ってくれました。

主イエスとくびきをともにするとは、どういうことでしょう?

マタイ伝にあります。

マタイ伝11:28〜30

11:28すべて労苦し❶重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに❷安息を与える。
11:29わたしは心の❸柔和なへりくだった者であるから、わたしの❹くびきを負い、わたしから❺学びなさい.そうすれば、あなたがたは❻魂に安息を見いだすであろう。
11:30わたしの❹くびきは❼負いやすく、わたしの❼荷は軽いからである」。(回復訳)

感謝です。

主イエスは、「労苦し❶重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。そうすれば、わたしはあなたがたに❷安息を与える」と言われました。これは、ノンクリスチャンにだけ語られた御言葉ではないのですね。

わたし(キリスト)の❹くびきを負うとは、ひとりで悩み❶重荷を負い苦労している者が、キリストとともにくびきで繋がることで、❷安息を得ることです。

くびきとは、牛、馬などの大型家畜が耕すためのすき、馬車、牛車、かじ棒に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具とあります。

f:id:AdonaiQuoVadis:20210516091058j:image

畑を耕す二頭の繋がれた牛のように、主イエスと共に首に❹くびきをつけ、さらに、主から❺学ぶことだと語っています。

また、主から❺学び、ともに❽畑を耕すように働くことです。

畑とは、❾心であり、➓世界です。

「良い❽土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭13:23‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/mat.13.23.新共同訳

「❽畑は➓世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭13:38‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/mat.13.38.新共同訳

主イエスと❹くびきをともにし、主から❺学び、ともに❽畑である❾心と➓世界を耕すように働くことが示されました。

死んだ牛ではなく、生きてともに❾心と➓世界を耕すことが、主の望まれていることなのですね。

そして、「わたしの❹くびきは❼負いやすく、わたしの❼荷は軽いから」と言ってくださいます。

今、試練の中にあっても、主イエスが隣で助け、力のない私を引っ張ってくださいます。

主よ、力なき私をあなたの御心のままに引っ張ってください!

感謝であります。