神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

死者が復活して

こんなふうにかな?

f:id:AdonaiQuoVadis:20250412122445j:image

https://www.facebook.com/share/v/1FcqFbEqU3/?mibextid=wwXIfr

https://www.facebook.com/share/r/19eNTVCA7o/?mibextid=wwXIfr

「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。」
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭15‬:‭51‬-‭53‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/1co.15.52-53.新共同訳

バーチャルではなく、うちの家族には、心臓が一度止まってから、生き返った者が3人います。その後高齢の母は、召天しましたが、2人はまだ元気にやっていますョ。

利他。人様のために生きろ と言われているのでしょうね。

◾️心の転回こそ復活の命

自己中とは、自分ばかり見ていること。

自分ばかり気にして見てる視点は、自己中心そのものなんだ。自分はダメだとか、自分のセイでとか、自分はうまく行ったとか、そこで一喜一憂。そんな自分を気にする自己中の視点は、自分を苦しめるだけ。そんな視点はいらない。自己中視点は、自分を苦しめ、何も生産しない。

そんな自分ばかり見てる視点から離れて、天的な視点へ心が移される必要がある。価値観(視点)が自分から利他へ転回されるとき、自分のセイだとか、自分の力が足りないとか関係なくなる。

 

人生の目的も変えられ、高次元の愛へと導かれ、高次の神が降りてくる。

 

神さまと利他の愛に突き動かされるとき、そこに自分はいない。力がないなら、それに見合う愛に生きればいい。

 

聖書の言うメタノイヤとは、この転回だ。

心の自己中視点が死んだとき、キリストが生き返る。

これは奥義。

キリストのことば

「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭12‬:‭25‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/jhn.12.25.新共同訳

 

武士道とは、死ぬことと見つけたり〜利他のために生きる。そこに復活の秘訣がある。清々しい喜びがあるのだ。

f:id:AdonaiQuoVadis:20250412141010j:image

https://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2025/03/29/143116

https://youtu.be/jkaExYMF8uU

ワクで死にかけた原口議員も、さすが佐賀人。大胆に国の裏側に切り込んでいる。

癌でお亡くなりになった森永卓郎さんも、武士道は、死ぬことだと体現していた。入院もせずに命を削って最期まで奔走して、力尽きた。

彼は、本当の意味で生きたのだ。

大胆で見事な生き様を見せてくれて、清々しい。その素敵な生き様は復活して、我々の心に永遠に生き続けることだろう。