聖書史跡10再掲
モーセを追って溺死したメルエンプタハのミイラについて
出エジプト14:26-29
「そのとき主はモーセに言われた、「あなたの手を海の上にさし伸べて、水をエジプトびとと、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。

※メルエンプタハの白いミイラ
「モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれにむかって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。
水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。」(口語訳)
ラムセス2世は67年間エジプトのパロ(ファラオ)でした。その跡を継いだ13番目の息子メルエンプタハは、10年という短い治世でした。
彼は、葦の海に溺死したため、 死体が水中にあったようです。そのため、メルエンプタハのミイラには塩による白い死ろうが発生したと言われています。他のミイラより白いのです。ミイラは、エジプト考古学博物館にあります。史跡と言うより、遺物ですね。
また、メルエンプタハの石碑があり、最後から2行目に「イスラエルは滅びその子孫は絶えた」とあります。エジプト軍は、自分たちよりも沖に向かったイスラエルを死んだはずだと断定して、葦の海で追跡を打ち切ったのでしょう。しかし、海の中に息絶えたのはメルエンプタハ率いるエジプト軍精鋭部隊だけだったのです。碑文の日付は紀元前1208年です。


Merneptah、在位:(紀元前1213年 - 紀元前1203年〜日本語のwiki1212〜1202は間違い)は、古代エジプト第19王朝第4代目のファラオ。ラムセス2世の第13王子。メルエンプタハは誕生名であり、即位名はバエンラー・メリネチェル。
60歳で即位したため、当時としては高齢。エジプト考古学博物館では、ミイラの前で「モーセを追って溺死した」との説明がある。
だが、wikiにはメルエンプタハは10年近く続いた治世の後、老衰で亡くなりました〜とある。それは、碑文にそう書かないといけない、当時のエジプト事情もあるのだろう。
自分たちの奴隷だったイスラエルに負けたとは言えないよね。「イスラエルは滅びその子孫は絶えた」とメルエンプタハの石碑には刻んである。
でも、イスラエルはぬくぬくと生きていた。
Merneptah wiki
Merneptah (/ˈmɛrnɛptɑː,mərˈnɛptɑː/) or Merenptah(reigned July or August 1213–2 May 1203 BCE) was the fourth pharaoh of the Nineteenth Dynasty of Ancient Egypt. According to contemporary historical records, he ruled Egypt for almost ten years, from late July or early August 1213 until his death on 2 May 1203.He was the first royal-born pharaoh since Tutankhamun of the Eighteenth Dynasty of Egypt.
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