神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

トマスの福音書3 ~王国と眼 FB再

以前にFBで紹介したトマスの福音書解釈の続きを載せます。

 2015年6月に、この内容をFBに出しました。その頃は、理解できず批判する者(牧師)もいましたが、その後やっと世間で「御国の福音」についての重要性が認知されだしたのがわかります。2年前にはだれも意識せず、語っていなかったこの「御国の福音」の重要性は、私も2013年9月から始めたトマスの福音書解釈の中で示されたものでした。主に示されてこのブログを開示する理由が、ここにありました。この114の文章は、聖書を解くための鍵とも言えます。実は、開かれた啓示は、まだ半分も載せていません。主の御旨にそってみ言葉に照らして開示していきます。このところ同じ啓示を受ける方が複数現れてきているので、少し安心し、心強く思っています。でも、自身はまだ満足していません。この奇跡力と天国の祝福を、イエスを信じる者皆が体現することを目標にして開示していきたいのです。
 3節
* S a i d-JS03 this: If-they-should--speak to-you(pl), viz-those-who- -lead before yourselves,this- " Behold, is-the- -kingdom in-the-sky", then the-birds will-become-first before-you(pl) of-the-sky. > If-they-should-speak to-you(pl) this- "She(is)in-the-sea", then the-fish will-become-first before-you(pl)., the-kingdom, she(is)of-your(pl)-inner, and> she(is)of-your(pl)-eye(outer). > When you ( pl)-should-know-yourselves, then they-will-know-you(pl), and you(pl)-will-realize that you(pl) are the-sons of-the-father who-lives. > If, hwvr, you(pl)-will-know-yourselves not, then you(pl)-exist in(a)poverty, and you(pl) (are) the-poverty.

難解な箇所です。まず直訳からです。

3 直訳

「イエスはこう言われた:たとえ彼らがあなたがたに話しても、即ちあなたがた自身を導く者が、このように『見よ、王国が空にあるぞ』、それなら鳥が空であなたがたよりも前に最初になるだろう。たとえ彼らがあなた方に話しても、このように『王国は海の中にある』、それなら魚があなたがたよりも前に最初になる。王国は、あなたがたの内部にある、そしてあなたがたの眼(=外側)にある。あなたがたが自分自身を知るときに、彼らはあなたがたを知るだろう。そしてあなたがたはあなたがたが生ける父の子らであることを認識するだろう。しかしながら、あなたがたが自分自身を知らないなら、それならあなたがたは貧しさの中にいる。そしてあなたがたは貧者である。」

 この内容は、神の国について語るものだ。ルカ17:21 「『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではない。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」の内容と重なるものだろう。しかしトマスの福音書では、神の国は天や海にはないと示して、「あなたがたの中にある。」と言っている。神の国は、あなたがたのただ中にあるのはわかるが、あなたがたの眼(単数)にあるとはどういうことだろう。弟子たちの目の前にはイエスがいたので、そのことを言っているのだろうか。しかしここでの「眼」は単数です。この「眼」には、「外側」と言う意味があるのでこちらで訳してみよう。
神の国は、あなたがたの内側にあり外側にもある」となる。われわれ人間の心の中にあるのは理解できるが、「外にもある」とは、どういうことだろう。その意味は、次の句から探りだせる。「あなたがたは、自分自身を知るときに、彼らはあなたがたを知るであろう。」この「知る」とは、創世記4:01(人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った)の「知る」である。これは、人が結婚して夫婦になることであり、一体となることを指す。夫婦が2人で寄り添っており交わり一体となるような関係だろう。神との交わりも心ひとつになり、外面的にはいつも一緒にいる夫婦の状態と似ている。心に聖霊を受け、身体の周囲に神の臨在を感じる。神の国とは、神の支配であり、聖霊の臨在である。私も礼拝中に、自分の内なる御霊を感じ、外にも神の臨在を感じることがある。まさにこのことだろう。
また以下のような聖句がある。
創世記2:23-24 (人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである)。
聖霊を心に迎えるとは、まさにアダムとエバの関係である。罪のない新しいアダムであるキリストを知り、その聖霊と交わるとき、「自分が生ける父の子ら(複数形)であることを認識するであろう。」まさに神との結合で、聖霊と一緒になった者たちが父の子らとなるのである。
聖霊はどのような人に傾注するのか。私をキリストに導いてくださった兄弟は、自分の犯した罪に悔い、泣きながら祈っているときに聖霊の傾注があった。彼は、普通の人ではなくなってしまった。まだ高校生の私に異言や不思議なしるしを見せてくれた。彼自身は、自分を見たときにその罪と心の貧しさに気づき、悔いくずおれた心となった。そ
のときに、聖霊の傾注を受けたと語っていた。
イザヤ57:15(いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである)。

詩篇51:17(神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません)。                   
悔いくずおれ、砕かれた心に神は宿りたもう。砕かれた心に聖霊が入り、砕かれた人の心を生かし、父(神)の子らとしていただくのだ。
 トマス3節「あなたがたが自分自身を知るときに、彼らはあなたがたを知るだろう。」これは、自分自身の内に聖霊の存在を知るならば、彼ら(父・子・聖霊)はあなたがたを知るだろう。また「あなたがたはあなたがたが生ける父の子らであることを認識するだろう。」
「しかしながら、あなたがたが自分自身を知らないなら、それならあなたがたは貧しさの中にいる。そしてあなたがたは貧者である。」~自分の姿がわからない者は、聖霊の傾注もなく、神の前に貧しく空しい心のままでいることすら知らずに終わるのだ。
以下の2聖句は、この解釈の正しいことを示唆している。
マタイ05:03 “「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。” ~心にまだ聖霊を受けいれていないが、自分の心の貧しいことを知っている者は、幸いなのである。なぜなら、そのような心にこれから聖霊が来るのだから。
詩篇69:32” 心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。”~心の貧しいことを認識している者は、神をたずね求める。そして聖霊により心を生かせ。
ここでの「眼(単数)」には、もうひとつの重要な意味がある。これについては、ある強烈な体験が伴うことになるかもしれないので、今後友人のみの公開にしたい。

 

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