神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

疫病が流行る〜武漢コロナウィルスの現実

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=zaNgOwuQJxw

10万人以上?もはやパンデミックなのでしょう。

「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭21:9-11‬ ‭(新共同訳‬‬)

 

ps.中国政府の保健当局、国家衛生健康委員会の馬暁偉主任は、潜伏期間について「だいたい10日前後で、最も短いと1日で発症し、最長で14日。潜伏期間中にも感染する性質があり、この点がSARSとは大きく異なる」そのうえで「感染拡大のスピードは一層速くなっており、患者数は今後も一定程度は増えるだろう」と述べて危機感を示しました。

祈りの中で121 〜後の者になれ

祈りの中で「見よ、❶後の者が先になり、❷先の者が後になるであろう。」ルカ伝13:30 (回復訳)について譬え話を示されました。

イエスはこの質問を取り上げて言われた、「❸ある人が、エルサレムからエリコへ下って行った.すると、彼は強盗どもの手に陥った.彼らは彼の衣服をはぎ取り、彼を打ちたたいて、半殺しにしたまま立ち去った。
たまたま、ある❹祭司がその道を下って来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
同じようにある❺レビ人も、その場所に来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたある❻サマリヤ人が、❸彼の所に来た.そして彼❸を見ると、❼深くあわれみ、近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をした。そして自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、❸彼の世話をした。
翌日、❻彼は*デナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った、『❸彼の世話をしてください.どんなに余計にかかっても、わたしが戻った時に払います』。
これら三人のうち、だれが強盗の手に陥った者の隣人になったと思うか?」
彼は言った、「❸彼にあわれみを示した者です」。イエスは彼に言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい」。ルカ伝 ‭10:30-37‬ (‭回復訳‬‬)

強盗に襲われた❸ある人は、イエスに質問をした❸律法学者(10:29)を象徴します。❷先の者、つまり❹祭司や❺レビ人は、神殿の勤めに当たる者たちで、汚れを気にする者たちで、瀕死の❸被害者に声すらかけずに、道の向こう側を通りすぎました。しかし、❶後の者、❻サマリヤ人は、❼深くあわれみ、被害に遭った旅人に近寄って、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、❸彼の世話をし介抱しました。 ❻サマリヤ人は*デナリ銀貨二枚を宿屋の主人に渡して、帰りにも宿に寄って費用を払いました。

*二デナリオンは、当時の労働二日分の代価でした。

❹祭司や❺レビ人は、モーセ時代から、アロンの監督の元で旧約時代に幕屋や神殿での奉仕に従事しました。彼らは、声すらかけず通りすぎるのでした。❷先の者たちです。

しかし、❶後の者である❻サマリヤ人は、❸その人を見て❼深くあわれみ、介抱し、宿の主人に救いの代価を払うのです。

福音書には、他にも「❶後の者、❷先の者」の記事がたくさんあります。

「彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん❷先になりたい者は、すべての人の❶後になり、すべての人に❻仕える者になりなさい。」」‭‭マルコ伝9:34-35‬ ‭(新共同訳‬‬)

「しかし、多くの❷先の者は後になり、❶後の者は先になる」。さて、一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは彼らに先立って行かれた。それで彼らは驚き、従う者たちは恐れた。彼は再び十二人をわきへ連れて行き、ご自分に起ころうとしている事を彼らに語り始められた.
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行く.そして人の子は、❹祭司長たちや❸聖書学者たちに渡される。彼らは彼を死罪に定め、彼を❽異邦人に引き渡す.」マルコ伝10:31-33(回復訳)

イエスの命は、❹祭司長たちや❸聖書学者(律法学者)たちに渡されましたが、彼ら(❷先の者)はイエスを死罪に定め、イエスを❽異邦人に引き渡したのです。

「しかし、あなたがたの間では、そうであってはいけない.だれでも、あなたがたの間で偉くなりたい者は、あなたがたのしもべとなり、
あなたがたの間で❷第一になりたい者は、すべての人の奴隷となりなさい。
というのは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価として、➓自分の命を与えるためだからである」。マルコ伝10:43-45(回復訳)

旧約の❹祭司や❺レビ人は、モーセ時代から、幕屋や神殿での奉仕に従事する者で❷先の者たちでした。しかし、❹祭司長たちや❸聖書学者(律法学者)たちは、神から遣わされた御子イエスを死罪に定め、イエスを❽異邦人(ローマ人)に渡されたのです。

さて、❶後の者である❻サマリヤ人は、当時❽異邦人でありましたが、❸災難に遭った人を見て❼深くあわれみ、 介抱する無私の愛を持つ❻仕える人でした。❷第一になりたい者(❹祭司や❺レビ人のように❷先に行きたい者)は、すべての人の奴隷となりなさい。人の子(イエス)が来たのも、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価として、➓自分の命を与えるためだからだと言っているのですね。後の者である❻サマリヤ人は、無私の愛の人であり、イエスが来たのも、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価を払うためでした。

「❶後の者、❷先の者」と「❾贖いの代価」についての譬え話が他にもあります。

「夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼んで、❶最後の者から始めて❷最初の者まで、賃金を払ってやりなさい』。
そこで、午後五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ*一デナリを受け取った。
❷最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思った。ところが、彼らもそれぞれ*一デナリを受け取った。彼らはそれを受け取ると、家の主人につぶやいて言った、『この❶最後の者たちは一時間働いただけなのに、あなたは、この日の労苦と焦げつく暑さに耐えたわたしたちと同じようにされました』。しかし彼は、❷彼らの一人に答えて言った、『友よ、わたしは❷あなたに対して何も不義を行なってはいない。あなたはわたしと*一デナリの約束をしたのではなかったか?❷あなたのものを受け取って行きなさい。わたしはこの❶最後の者にも、あなたと同じだけ与えたいのだ。自分のものを自分がしたいようにするのは、不法であるのか? それともわたしが善であるので、あなたの目は邪悪なのか?』

このように、❶後の者は先になり、❷先の者は後になるのである」。マタイ伝20:8-16(回復訳)

*一デナリは、❾贖いの代価(人生の代価)を表していて、一家の主人が❷先の者にも❶後の者にも公平に与えています。しかし、❶後の者は、❻サマリヤ人のように無私の愛を持ち、❼深いあわれみを持つ人なのでしょう。❻その人は、「自分自身のように、隣人を愛す」る人でした。❻サマリヤ人は、キリストの豊かな救いの福音をもたらし、❾贖いの代価であるデナリオン銀貨二枚を❸強盗に遭った人や宿の主人にも分け与えました。福音とは、強盗どもの手で衣服をはぎ取られ、半殺しになった隣人を❼深くあわれみ、無私の愛を示し❻仕えることなのでしょう。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価として、➓自分の命を与えるためだからです。

 

「❸彼は答えて言った、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛し、自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい」。
イエスは彼に言われた、「❸あなたは正しく答えた.それを行ないなさい.そうすれば命を得る」。」ルカ伝10:27-28(回復訳)

祈りの中で示された譬え話で❶後の者が先になり、❷先の者が後になる意味が少しわかりました。感謝主!

 

聖アントニウスとその奇跡力

聖大アントニウス(ギ: Αντώνιος, ラ:Antonius、251年頃 - 356年)、キリスト教正教会非カルケドン派カトリック教会・聖公会ルーテル教会の聖人。このアントニウスという名前は、ana (上に)、tenens (保持している)、の合成語で、「上なるものを保持し現世を軽蔑する者」を意味すると言われます。

紀元251年、エジプトのコーマで生まれ、敬虔なキリスト教徒の両親に育てられましたが、20歳になった頃両親と死別しました。一家は裕福で、両親は高貴な身分を有していましたが、両親の死後、彼のもとには幼い妹が残されました。 両親の喪があけると、教会で福音書のみ言葉を聞きました。 「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に宝を持つようになろう。 そして、わたしに従ってきなさい。」(マタイ伝19:21) 彼はこの言葉に感動して、教会を出るとすぐに家へ帰り、両親の残してくれた土地をすべて村の人々に与え、家財については自分と妹の分だけ残し、残りは貧しい人に恵んだと言います。 彼はふたたび教会に戻ると、今度は同じ福音書の「だから、あすのことを思いわずらうな。 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。 一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ伝6:34)というみ言葉を聞き、「もう何も悩むことはない」と考え、二人のために残していた❶わずかな家財も人々に与え、妹は知合いの修道女にその養育をたのみ、自らは砂漠に籠もり苦行生活に身を投じました。

彼は世界から隠遁し、隠者を訪問し、頻繁に❷断食、❸祈り、瞑想をし、❹少しのパン、塩、水だけで生きていました。 瞑想と祈りの生活を送りましたが、305年頃、アントニオスが町で行った説教に心を打たれた修道僧らと開いたのが修道院の始まりだと言われます。多くの人々が彼の弟子になりました。彼は多くの修道院を設立し、修道士を訪問し、彼らに「完全になるための道をたどるよう」に勧めました。

60歳を越えたアントニウスは、修行の地としてコルズム山に向い、頻繁に奇跡を起こしています。後になって、彼が病気(特に丹毒やペスト)を治す聖者として崇めらましたが、それは彼の起こした奇跡の大半が病気の癒しだったことからでしょう。
アントニウスが死去したのが356年、❺105歳でした。 その間のおよそ40年間は修道士の教育、病気の治癒、苦行の繰り返しの毎日であったと言います。当時105歳というのは、驚くほどの長寿です。

彼は、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に宝を持つようになろう。 そして、わたしに従ってきなさい。」(マタイ伝第19:21) 「だから、あすのことを思いわずらうな。 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。 一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ伝6:34)のみ言葉に、財産を村人に分け与え、❶わずかな家財も貧しい人々に与えました。財産もないのですから、食べ物も買えません。世界から隠遁し、隠者を訪問し、頻繁に❷断食、❸祈り、瞑想をし、❹パン、塩、水を少しだけで生きる状況が、彼の遺伝子に影響し、長寿をもたらしたと考えられます。これは、現代医学でもわかってきたことです。

また、彼は頻繁に奇跡を起こし、奇跡の大半が病気の癒しだったと言います。❷断食、❸祈り、瞑想をし、❹少しのパン、塩、水で生きる状況が、奇跡力にも影響することがわかります。奇跡を起こす遺伝子があるのでしょうか。❷断食、❸祈り、瞑想が、キリストと近く接触するための良い方法なのは、カイラスの大聖にも共通して見られます。絶大な救いの源泉であるキリストに近接することが、大聖の奇跡力の理由だと思います。

今日1月17日は、彼の記念日でした。

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*聖アントニウス

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/07/18/213823

トマスの福音書47〜二人が平和を

継続してトマスの福音書を解説し、意訳しています。

47

*Said-JS47 this: should-two make-peace with- 
-each-other in-this-house alone, they-will-speak
-to-the(mountain?) this- "Move away", and he-will-move.

47直訳

イエスはこう言った:❶二人だけでこの家の中で、互いに❷平和を作るなら、彼らが(山?)に向かって「遠くへ動け」と言うなら、それは❸動くだろう。

 

❶❷については、マタイ伝18章に似た内容があります。

マタイ伝18:18-20

18まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが地上で縛るものはすべて、天で縛られていたものであり、あなたがたが地上で解くものはすべて、天で解かれていたものである。
19また、まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたのうちの❶二人が求めるどんな事でも、地上で❹調和一致するなら、それは天におられる❺わたしの父によって成就される。
20❶二人または三人がわたしの名の中へ集められている所には、❻わたしがその中にいるからである」。(回復訳)

ここでは、われわれのうちの❶二人が求めるどんな事でも、❹地上で調和一致するなら、それは天におられる主イエスの❺父によって成就されるとあります。「地上で❹調和一致する」とは、「❶二人がこの家の中で、❷互いに平和を作るなら」と似ています。

また、「❶二人または三人がわたしの名の中へ集められている所には、❻わたし(イエス)がその中にいるからである」とその理由を伝えています。

また、マタイ伝では、二度にわたり、山が❸動くことについて、示しています。

マタイ伝15:20

20イエスは彼らに言われた、「❶あなたがたの信仰が小さいからである.まことに、❻わたしは❷あなたがたに言う.❷あなたがたに、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に、『ここからあそこに❸移れ』と言えば❸移るのである.そして、❶あなたがたにとって❼不可能なことは何もない。(回復訳)

ここでは、❶あなたがた(二人以上)がからし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に、『ここからあそこに❸移れ』と言えば❸移ると示しました。

マタイ伝21:21-22

21イエスは彼らに答えて言われた、「まことに、わたしはあなたがたに言う.❶あなたがたが信仰を持って、疑わないなら、このいちじくの木になされたことを行なうだけでなく、この山に向かって、『❸取り去られ、海に投げ込まれよ』と言っても、そのとおりになる。
22また祈りの時、❶あなたがたが信じて求めるものはすべて、❼必ず受ける」。(回復訳)

ここでは、❶あなたがた(二人以上)が信仰を持って、疑わないなら、山に向かって、『❸取り去られ、海に投げ込まれよ』と言えば、山が❸動くだけでなく、❶あなたがたが信じて求めるものはすべて、❼必ず受けると語られました。

しかし、ルカ伝12章では、❷平和ではなく、❽分裂をもたらす結果について話しています。

ルカ伝12:51-53

51あなたがたは、わたしが地上に❷平和をもたらすために来たと思うか? そうではない.あなたがたに言うが、むしろ❽分裂である。
52なぜなら今から後、一家に五人いたなら分裂して、三人は❶二人に逆らい、❶二人は三人に逆らうからである。
53彼らは❽分裂する.すなわち父は息子に逆らい、息子は父に逆らう.母は娘に逆らい、娘は母に逆らう.しゅうとめは嫁に逆らい、嫁はしゅうとめに逆らう」。(回復訳)

これは、イエスの福音が、一家に五人いたなら、信じない者と信じる者とが三人対二人のように❽分裂するのだと語りました。しかし、信じる者が二人以上で❹調和一致し、この家の中で、❷互いに平和を作るなら」「❶二人または三人がわたしの名の中へ集められている所には、❻わたし(イエス)がその中にいる。だから山に向かって、『❸取り去られ、海に投げ込まれよ』と言えば、山が❸動くだけでなく、❶あなたがたが信じて求めるものはすべて、❼必ず受けると言っているのでしょう。

47意訳

イエスはこう言った:❶二人だけでこの家の中で、互いに❹調和一致し、❷平和を作るなら、彼らが(山?)に向かって「遠くへ動け」と言うなら、それは❸動くだろう。(また❶あなたがたが信じて求めるものはすべて、❼必ず受ける。❶二人または三人がわたしの名の中へ集められている所には、❻わたし(イエス)がその中にいるからだ)。

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❤️癒し主の血により 〜質問への応答

病いの癒しについて、質問がありました。お返事を含めて書いてみます。

祈りは、主との交わりです。主との❶接触でもあります。

長血の女が主イエスの❶裳裾にさえ触れれば癒される!と信じて、貧血で頭痛と目眩がする重たいからだを引きずりピリポカイザリアから主イエスがいると言うカペナウムへ数日かけて向かいました。しかし、到着するとまるで祭りのように大群衆が押し合い取り巻いています。我さきに主イエスに近づこうとする大勢の人たち。それを目前にしても諦めずに、何とかこの病いの苦しみから解放されたい一心で、女は人々の足元を這いながら主の足元へ進むことを決意しました。女の名はベロニカと言われています。

マルコ伝5章

「そこでイエスは彼と共に行かれた.大群衆は彼について行き、彼に押し迫った。
そこに十二年間も血の流出を患っている女がいた。
彼女は多くの医者にかかってさんざん苦しめられ、持ち物を使い果たしたのに、何の効果もなく、かえって悪くなる一方であった。
彼女はイエスのことを聞くと、群衆にまぎれて彼の後ろに近づき、彼の❶衣に触った.
「❶彼の衣に触りさえすれば、わたしはいやされる」と言っていたからである。
すると直ちに、彼女の血の源が枯れて、彼女はその病苦がいやされたことを体に感じた。
イエスは直ちに、❷力がご自分から出て行ったことを感じ、群衆の中で振り向いて、「わたしの衣に触ったのはだれか?」と言われた。
弟子たちは彼に言った、「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っているのに、『わたしに触ったのはだれか?』とおっしゃるのですか」。
イエスはこのことをした女を見つけようとして、見回された。
その女は、自分に起こったことを知って、恐れおののきながら、彼の前に出てひれ伏し、❸ありのまますべてを彼に告げた。
イエスは彼女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたをいやしたのです。平安のうちに行きなさい.あなたの病気は良くなりました」。」マルコ伝5:25-34(回復訳)

癒し主は、復活して今も生きたもうキリストご自身です。この方に❶接近して、初めて癒しがなされます。

「こうして、イエスが入って行かれると、村でも、町でも、部落でも、人々はそこの市場に病人を置き、彼の衣の房にでも触らせていただきたいと請い願った.そして彼に❶触った者はみないやされた。」マルコ伝6:56(回復訳)

昨夜、質問された方のために祈りました。主イエスに❶接近して、臨在を感じながら祈りました。それは、私が癒しの力があるわけではなく、今も生きて寄り添いたもう主イエス・キリストが癒しをなされます。何か良い変化があるはずです。

イザヤ53章

「❹彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ❺彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。」‭‭イザヤ書‬ ‭53:4-6‬ (‭新共同訳‬‬)

イエスは、十字架上に❹わたしたちの病を担い、 わたしたちの痛みを負ったのです。またイエスの❺受けた傷によって、わたしたちはいやされたのです。

イエスは、病いを遠隔から癒されることが可能です。(マタイ8:8)

しかし、病いの中で、特に精神的なものは、悪霊などの霊による悪さが原因であることが多く、その場合は悪霊を遠ざける必要があります。しつこい霊の場合、その人の近くに主イエス・キリストが行く必要があります。主イエスのご臨在が、精神的に悪さをしている霊を遠ざけます。

マタイ伝17章

「一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、 言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。❶その子をここに、わたしのところに❶連れて来なさい。」 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭17:14-18‬ ‭(新共同訳‬‬)

主の臨在豊かな場所へ行くことも癒しに有効ですが、祈り求めることで主イエスがわざわざ❶やって来てくださいます。病床で❶キリストにお会いして、癒されたと言う証司をよく聞きます。特に精神的な病いの方は、主イエス・キリストにお会いすることができれば、悪さをする霊から解放されます。

病人が主を祈り求めることも大切ですが、祈りの中で主イエスに語り、近しく会った経験のある信仰者が主に執り成し、お願いして、病人の近くへ行って癒してくださるようにお頼みすることで、主イエス接触することも可能です。

もう一つ、イザヤ書には、「❺彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」とあります。❺主イエスが鞭打たれた際の傷、十字架上で流された血によって、わたしたちは癒されたのです。主イエスの❺血汐をいただき、癒しをすることが可能です。

祈りの中で、十字架の主イエスから流れ出た❺血汐を手で受けとり、病人の患部に塗るのです。

「そして、多くの悪霊を追い出し、❻油を塗って多くの病人をいやした。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭6:13‬ ‭(新共同訳‬‬)
「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、*主の名によって❻オリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。❼ 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 だから、主にいやしていただくために、❸罪を告白し合い、❽互いのために祈りなさい。❾正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭5:14-16‬ ‭(新共同訳‬‬)
❻油は、臨在であり、ゲッセマネ(アラム語で「オリーブの油搾り」)で搾り出された❺キリストの血汐、鞭打たれ、十字架で流された主イエスの血汐です。❼ 信仰(主イエス接触する)に基づく祈りで、この❺キリストの血汐(油)を受けとり、患部に塗るのです。それは、❽複数の❾正しい人の祈りでも可能です。

癒しは、❶主イエスに接近・接触する祈りと❺キリストの血汐を受けとることが鍵になります。霊的に開眼された教会の長老(牧師)に直接執り成して祈ってもらうことが有効だと思います。癒しは、人間の力で行うものではありません。キリストが癒してくださるのです。「うまくいかなかったら、どうしよう」とオドオドしている人では、からし種ほどの信仰もないでしょう。キリストがなされる癒しを自分でやろうとしているから、そんな心配をするのです。神のことを思わないで、人のことを思っている(マタイ16:23)のでは、からし種ほどの信仰もないと言われてしまいます(マタイ17:20)。癒しをなされるのは、キリストです。癒されるための努力は、長血の女のように執拗にキリストに近づくことがイコール「信仰」であり、癒しを受けとる鍵です。

もう一つ、この世の煩いで精神的に辛いなら、祈りの中であなたの心臓を天に積んでしまうと楽になります。天国へ行き、悔い頽れた心で主の前に心を捧げるのです。無畏心が与えられます。

ルカ12章

33自分の財産を売って施しなさい.自分のために古くならない財布を作り、尽きない宝を天に蓄えなさい.そこには盗人も近づかず、しみも食うことがない.
34なぜなら、あなたがたの宝のある所に、あなたがたの心もあるからである。(回復訳)

 

仕事や将来の不安も、まず神の国と神の義を求めることで、解放されます。以下ご参考に。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/02/29/005047