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神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

M・マクドナルド・ベインの危険性

M・マクドナルド・ベイン著「心身の神癒」を読んでいます。まず、この書物にあるような霊的な異象が実際に起こっているのなら、それは注意が必要だと感じました。ベイン氏が、トランス状態に入る際に使うのは、降霊術のようです。彼の語った預言が、降霊術によるものであるならば、注意すべきです。特に周囲で見守る人たちが証言するいくつかの目に見える異象については、気を付けなければなりません。例えば、一緒にいた霊媒者のギルバート夫人がこのように言っています。「こんなにも天楽(天の音楽)の音をはっきりと拝聴したことも今までにありません」。天楽の音とは、つまり天の音楽のように聞こえるものです。また、バゴット・スミス嬢の証言にも「主様がお話になる時その後で天楽の音が奏でられるのを聞いた」と言っています。実は、天の音楽が聞こえる危険性について、インドの聖人サンダー・シングは、霊界参入における危険性の中で以下のように述べています。

「喜悦に入る前には、天界の霊的言語によってではなく、この耳でいろいろな声を聞き、光を見たり、音楽が聞こえるということがよくあった。私は、これらがサタンとその他の邪霊によるものと見分けた。」

また、同じバゴット・スミス嬢の証言の中に、「先生の後に、輝かしい色の彩光を見た人も何名かいました。それは紫と金色に波打ち、目が駄目になりはしないかと思われるほどの輝かしさでございました」とあります。しかし、サンダーは、「光を見たといっても、真の光でなかった。このような経験が神によるものか否か識別するものが、心の中にある。声を聞くや否や、それがキリストの御声でないことがわかった。羊は飼い主の声を聞き分ける。」と同じく「聖なる教え」の中で語っています。

実際にベイン氏のトランス状態での預言を聞けばわかるでしょう。こちらのサイトで聞いてみてください。

Murdo MacDonald Bayne, downloads

Unearth Your Emotions.mp3

聞いていると気分が悪くなります。また、本人と違う声も聞こえます。

サタンは光の天使に化けます。「しかし、驚くには及びません.なぜならサタン自身、光の天使に偽装するからです。」Ⅱコリント11:14

ベイン氏の本は降霊術によって書かれたものであり、本文の中には世界を覆う愛や十字架についても説かれています。それは、一見喜ばしいものです。しかしながら、一番大切な部分が理解しにくいのです。それは、心の中の真我についての記述です。真我は、キリストのことを指しています。真我とは、心にいらっしゃるキリストご自身を指します。パウロは、❶内なる人の成長について、ローマ書や第Ⅱコリント書の中で述べています。大切なのは、❶内なる人の成長です。パウロは以下のように述べています。

「こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの❶内なるは、❷日ごとに新しくされていきます。なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い❸患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです.」Ⅱコリント4:16-17(回復訳)。

ベイン氏は、我々の心の中にはすでに完成された真我があると説いています。しかしながら、この真我は、み言葉によって育つものであり、❷日々新たにされるものです。ベイン氏が言っている真我は、フロイトが言う超自我と同じようです。超自我とは生まれ持って育った深層の自我であり、それは肉のアダムから引き継いだものです。

この本の教えでは、自我をあたかも真我と間違えて、神様のように扱ってしまう危険性があります。つまり、真我と称して、それが実際には自分の欲望や肉的なものやせいぜい自分の良心である可能性が高いと言うことです。

 本当は神の声を聴かなければいけないのに、深層の自我へ向かってしまうのです。それはつまり、パウロが言う❶内なる人を育てることがなく、代わりに自分自身の気持ちに忠実になるだけだと思いました。ここでも90%の真理に10%の嘘がまぶしてあります。

大切なのは、み言葉を深く理解し、❶内なる人を育てるということです。そのために必要なのはまず、羊飼いの声を聞くということです。それは、すなわちきちんと聖書を、それも新約聖書福音書4巻をしっかりと読むことです。イエスが語られた言葉の中にこの❶内なる人を育てる栄養素があります。特に聖霊バプテスマを受けていない者は、まだキリストご自身が心に降臨しないうちに、真我があるように錯覚すると、神の御旨とは異なる方向へ向かってしまい大変危険です。そんな深層の自我の声を聞いて、おかしな宗教を作り出している輩が多いのがこの世界の現実です。

ただ深層の肉の自我の声だけに従って好き勝手な生き方をすることは大変危険なことです。もし、声が聞こえるなら、聖書を読んでその声が正しいかどうかを判別しながら、❷日々新たにされるべきです。真我で満足させるような話は、❶内なる人の成長を妨げることになります。聖書では、聖霊バプテスマは完成ではなく、スタートの状態です。❶内なる人は、その後の❸患難やみ言葉の訓練で、み言葉の奥義に通じた大人に成長しなければならないのです。そして、霊→魂→身体に変革を与えるまで、成長して行くのです。    

The Greening of Afghanistan (Water, Not Weapons) A Japanese Doctor Initiative work

www.youtube.com

Beginning in 1991, Tetsu Nakamura opened 3 clinics to provide medical service in the mountainous eastern region of Afghanistan.

Starting from 2000, a drought hit the region. A consequence of this drought was the multiplications of diseases due to malnutrition and lack of water. Nakamura stated about this situation: "One irrigation canal will do more good than 100 doctors!". Starting from 2003, Nakamura started building an irrigation canal in Khiwa district of Nangarhar Province, the Marwarid Canal. The canal gets water from "Kunar River", and has a length of 25.5 km.

As of 2016, Nakamura has build or restored 8 additional canals, irrigating 16.000 hectares and supporting the livelihood of 600.000 people in the Gamberi Desert region.

Nakamura declared, "Weapons and tanks don't solve problems. The revival of farming is the cornerstone of Afghanisan's recovery".

I love Tetsu. I am proud of him for he is a Japanese. And I am ashamed of Christian countries bombing them with their overwhelming weapons.
If  Jesus lived in now, He wouId go to Afghanistan and throw his life for Afghan citizens. Muslims respect Jesus as a prophet,you know. But... I wonder why Christian countries kill them.

The Map of Marwarid Canal

マルワリード用水路 参考地図

繁栄の神学の危険性

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我々の祖先、エデンの園でのアダムとエバ、二人は、園の真ん中に、命の木と善悪を知る木があるのを知っており、それらの木を見ていました。

創世記3:6には「女がその木を見ると、それは❶食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」(口語訳) 

とあります。彼らの目は、命の木の実ではなく、❶食べるに良く、見た目も美しく、賢くなれそうな善悪を知る木の実を見つめていました。われわれは二つのものを見たときに、どちらが好ましいかということを、見た目で判断します。まず目で判断するのです。

主イエスは、マタイ6:21-24で「なぜなら、あなたの❷宝のある所に、あなたの心もあるからである。目は体のともし火である。だから、あなたの❸目が単一であるなら、あなたの全身は光に満ちる.しかし、あなたの目が悪ければ、あなたの全身は暗い。もし、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう!だれも二人の主人に仕えることはできない.なぜなら、人は一方を憎んで他方を愛し、一方を重んじて他方を軽んじるからである。あなたがたは、とマモン(富)とに仕えることはできない。」(回復訳)

と言っています。私たちの心の❸目が単一であるならば、心の中に光が射して正しく見ることができると言っています。しかし、もしその目が、違う方向に向かうならば、その暗さはどれほどのものでしょう。

われわれはこの世の中で、宝を見つけることはできません。この世にある宝は、すべてちり、あくたのようなものであるとパウロは言っています。

「しかしさらに、わたしはまた、わたしのキリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します.そののゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定します.」ピリピ3:8(回復訳)

つまり、この朽ちてしまう世の中のものは、どれをとっても、永遠に残るものではありません。その世の中のものを、求めるのが繁栄の神学です。人がこの世で繁栄を求めるのは、聖書の祝福から見ると間違ったことではありません。しかしその優先順位を間違うことによって、アダムとエバが善悪を知る木の実を食べたように、誤った木の実を見つめて、食べることになるのです。

われわれはまず第一に、命の木の実を取って食べるべきです。それはイエス・キリストの贖いにより御国に入る祝福です。まず、天国を自分のものにすることが、何よりも優先です。しかしその❸単一の目で見つめるのは、天国であり主イエスであるべきです。目を下のほうに向けて、この世を見てしまうときに、❶食べるのに良く、美しく、賢くなれそうな木の実を選んでしまうのです。それは、死をもたらす木の実でした。

主イエスが荒野で40日間の断食をされた時に、悪魔がささやいたささやきと同じです。マタイ4:8-9「悪魔はまた、を非常に高い山へ連れて行き、にこの世のすべての王国とその❹栄華を見せた。そしてに言った、『もしあなたがひれ伏してわたしを拝むなら、これらすべてをあなたに差し上げましょう』。」(回復訳)

悪魔は❹この世の繁栄を見せたのです。そしてそちらに目を向けた時に、こう囁きました。、『もしあなたがひれ伏してわたしを拝むなら、これらすべてをあなたに差し上げましょう』

するとイエスは悪魔に言われた、「サタンよ、退け! 『あなたのを礼拝し、ただにのみ仕えよ』と書かれている」。

まず第一に求めるものは何でしょうか。神の国と神の義です(マタイ6:33)。天国と神の示された義=イエス・キリストです。この世での繁栄などは、御国の祝福に比べれば、塵芥のようなものです。しかし、もし神の国と神の義を第一に求めるなら、それらのものは後からくっついてくるのです。ことさらに祝福や繁栄を第一に求めるのは、他の宗教でも同じです。われわれは祝福や繁栄を求めれば、それを手に入れることができます。しかし、その代わりに大きな代償を払わなければならない危険があるのです。それは、アダムとエバが食べてしまった死をもたらす木の実と同じです。❶食べるに良く、見た目も美しい木の実をまず第一に見つめてしまう人間の弱さ、繁栄の神学の落とし穴です。優先する順番が違うのです。主イエスは、こう言われます。

「まずの王国との義を求めなさい.そうすれば、これらの物はすべて、あなたがたに加えて与えられる。」6:33(回復訳)

祝福や繁栄は、の国との義のあとからついてくるオマケですね。まず、の王国とその義をこの世界に広げなくては...。

長尾先生のお弟子さんの証詞 

この方のお話の中に、秘義があります。何か、とてつもない宝を見た思いがします。紹介させてください。

彼らは無償で癒しを行うグループ(癒し隊)です。宗教とは関係ありませんが、深い真理を実践しています。 そして彼らの行くところに、奇跡が追いかけてきます。

...

私たちは、私たち自身が喜びを頂けるから熊本へ行くのです。
少なくとも私はそうですが、他のスタッフの皆さんも思いは同じだと思います。

何日も仕事を休んで自分のことを後回しにして、しかも自費です。

この世的に見ると一見ばかげたことに見えるかも知れません。
一見、損することばかりしているかの様です。

でもね、そうじゃないの。
とてつもない喜びを頂けるのです。

これは理屈では分からない。
実際にやってみないと分からない。

その喜びがどんなものかは・・・・。

この世的には、

お金がたんまりとあると嬉しい。
好きな人と一緒にいると楽しい。
家庭が円満だと幸せ。
美味しいものを沢山頂けると嬉しい。
趣味も楽しい。

この世的には数え上げるときりがない程、楽しい嬉しい喜ばしいことはあるものです。

でもね、この喜びはすべて「この世的なもの」なんです。

「あの世的」なものではないのですね。

あの世とは天上界、天国のこと。

天国に住む天使たちの喜びは、常に人々の幸せだけを願って日々活動しておられるそうです。

「無償の愛の実践」をしてくれる人を探しておられるそうです

無償の愛の実践をされている方を見つけ出すと、天使たちは共に活動する事を歓喜するそうです。

それと同時に惜しみない応援をして下さるそうです。
私たちが密かに望んでいるものはすべて与えて下さるそうです。

半面、この世的なことに奮闘努力して、努力して努力して得難いものを得ようとするのはそれはそれでいいのですが、一度それを後回しにして愛の実践をしてごらん。
望むすべてのものが労せずして与えられるから・・・・・。

これホントの話です。

でもね、本当はこのことを言ってはならないのです。
言うと、ご褒美を目的にする人が居かねないからです。
これは本末顛倒ですね。

しかし、仮に本末顛倒でもいいのです。
ご褒美を目的にしたって与えられますのでご懸念なく・・・・・。

私の場合は理屈ではなく、与えられるからでも自分の心が喜びを頂けるからでもなく、ただ「それをしたいからやっている」だけなんです。

その結果、すべてのものが与えられているのです。
知らず知らずの内に引き寄せているのです。

この無償の愛の実践を命がけでされたのが長尾弘先生です。
先生はこう言われました。

「愛の実践をすることで肉体を酷使すると、心に無上の喜びを頂けます。心が喜んでくれるのです」と・・・・。

「極限まで肉体を酷使して愛の実践をすると、心の奥底から神がお出ましになられる」とも言われました。

「無償の愛の実践をすると、心のフィルターにたまっているゴミやスモッグが自然に払われてクリーンになり、本当の神さまがお出ましになるのです」とのことです。

求めても得れないものが、愛の実践をすることで得られるとすると、神社仏閣に行って神頼み仏頼みをする必要はないし、ましてやパワースポットに行く必要などさらさらにないですね。

神は私たちの心の奥底に鎮座ましましているそうです
パワースポットは私たちの心の中にあるのです。

神さまが出てこられるのならどんなことでも瞬時に叶う訳ですね。

だから行こう、熊本へ、って訳ではないですよ。

繰り返し言いますが、心が喜ぶのです。
天上界の仲間たちと心を共有して一つになれるのです。

長尾先生は言われました。
「愛の実践をすればする程、天国の蔵に宝を蓄えられます」

愛の実践は心の泉に愛を満々と蓄えます。その愛こそが優しさです。心の泉に愛が蓄えられたら、それを汲みだして他の方に差し出すのです。
蓄えられたら汲みだす、又与えられたら汲みだすという循環の中に生きると無上の幸せが得られることでしょう。

「この地上界にいる人のすべての方に幸せになって頂きたい、健康であって頂きたい」

それが長尾先生の願いであったし、師を慕う私の目標でもあります。

その目標を達成する為の小さな歩みが熊本なんです。

熊本での活動を耳にされた方からよく言われます「素晴らしい活動ですね」とか「偉いですね」とか・・・・・。

そうじゃないんです。
だってねボランティアではなく、私たち自身が喜びを頂けるからで自分の為なんです。だから偉くもなんともない。

最後にまた長尾先生のお言葉を引用します。

「人様に喜んで頂くことをすると、相手の方の心は喜びに満たされます。この喜びはそのまま私の喜びとなるのです」

人の喜びを我が心の喜びとする。
座右の銘です。」~以上。

愛の実践の中に、天使の惜しみない応援があるのですね。

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主の栄光が後ろからついてくる! ~主の救いは実際的です

主の栄光があなたの後ろからついてくる!

わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。

また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。

そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる

また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、

飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。イザヤ58:6-10(口語訳) 

「主の栄光はあなたのしんがりとなる」とは、回復訳では、エホバの栄光はあなたの後ろから守る」です。

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、実際であり、命である.わたしを通してでなければ、だれもに来ることはない。」ヨハネ14:6(回復訳)

み言葉のとおりだなぁ。天国の福音は、実際的です。この方たちに頭が上がりません。紹介させてください。

PC版


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教会DVD③路傍伝道集会(曲 380) - YouTube

ホーム - misson-lazarus5286 ページ!

この教会の礼拝は、野宿生活者がたくさん来ます。しかし、賃貸マンションを借りて奉仕しているので、毎月の高い家賃に苦労しています。今も野宿生活者の支援を続けられるのは、御父の恵みのゆえです。サポーターとなって支えてくださる方にも、このイザヤ書の約束が体験できるはずです。あなたもサポートできますか。

は「飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さない」ならばあなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。」と言われます。また、「あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる」のです。本当に感謝です。あなたもが約束されたことを体験してみませんか。

 

素敵な詩 〜ゆるし

ゆるし
                    

八木 重吉 
 神のごとくゆるしたい
 ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
 花のようになったらば神のまへにささげたい

 

 

素敵な詩ですね。ありがとうございます。

♫Power of Your Love ~臨在を呼ぶ讃美50

R.I.P.    Coptic Church in Egypt  ~Palm Sunday

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