神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

神なる我 〜敬愛する師34

生命の光7月号の記事に思う

ヨハネ伝14 章

14:11

わたしを信じなさい.❶わたしは父の中におり、父はわたしの中におられる.しかし、もし信じないなら、わざそのものによって信じなさい。
14:12
まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.わたしの中へと信じる者は、わたしが行なうわざを行なう.そればかりか、もっと大きなわざを行なうのである.なぜなら、わたしが父に行くからである。
14:13
あなたがたがわたしの名の中で求めるものは何でも、わたしはそれを行なう.父が子の中で、栄光を受けられるためである。
14:14
あなたがたがわたしの名の中でわたしに何を求めても、わたしはそれを行なう。(回復訳)

 

記事の中で、敬愛する師は、以下のように語っています。

「❶わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい」は原文では「わたしに信ぜよ、❶わたしが父の中におり、父がわたしの中にあることを」です。それは、「人間イエスを信ぜよ」と言っておられるのではない。イエスも私たちも、人間であることには変わりはありません。しかしこの❷人間イエスは、父なる神の❸懐(ふところ)におられた。神様もまた、イエスの中にいてくださる。イエスと父なる❹神の霊とがひとつに❸融合している。そのような普通の人間の我ではない❺我を信じてほしい、という意味です。❺神と人とがひとつになっている。これは宗教の奥義です。

「もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい」とありますが、「わざ」と言うのは、キリストがなさっている奇跡的な業のことです。嵐をも鎮め、何もない荒野で5千人に食事をさせ、死人をも蘇らせるという、普通の人間にはできないような不思議な業をキリストがなされるのを見たのなら、この人は人間だろうか、神だろうかと考えてみてほしい、と言われるのです。

******

先日、アメリカで神癒について研究している村山君が手紙を下さいました。私は、出発なさる時に、くれぐれもこの人に言って聞かせました。「君は医者であるし、インテリだ。だから❻自分の頭に頼って、頭で考える癖がある。しかし、人間の頭で考えられる範囲というのは狭い。全然知らない世界に行って、頭でどれだけ考えたってどうなるんだろう。それよりも『神様、どうぞ導いてください。神様、今日はどうしたらいいでしょうか』といつも祈って、祈りにおいて導かれる生活、❹神の霊に導かれる霊導の生活をしなさい。神の霊は必ずあなたを導くだろう」と。

彼に許されたアメリカの滞在期間は40日ほど。もう期限も切れそうで、退去命令がくるかもしれない。けれども、彼はなおアメリカに留まって学びたいと願っている。アメリカは滞在資格について、非常にやかましい国です。お金も、もうつき果てた。そんな中にあっても、村山くんはたじろぎませんでした。

「神様、あなたが私をこの国に連れてこられたのだから、きっとお導き下さいますね」と祈ったそうです。

祈っていたら、私から聞いていた信仰の篤い、ある医師のことを思い出し、「そこに行け」と言う声が聞こえた。でも、電話帳にも名前は載っていない。その町に着くと、何の連絡もしなかったのに、なんと向こうから手を振って彼を迎えてくれた。そして、「この人を医者としては雇えないが、信仰は実に素晴らしい。よって、私の施設で宗教的指導者として迎えることとした。一切の費用はここで面倒を見るから、どうぞ滞在期間を延ばしてほしい」と地元の政府機関に一筆書いてくださった。

審査の結果、「今年のクリスマスを過ぎるまで滞在してよろしい。なお更新したいならば、延ばしてあげましょう」と言われたと言うんです。

こんな時、信仰がなかったらビクビクします。しかし、❹神の御手が自分を導きつつあることを信じ、体験しだしたら、もう動ずることがありません。

キリストは言われました、「私が父におり、父がわたしにいたもう。だからわたしはこんな不思議なことをするのだ。また、このようなわたしを信じるならば、同様にあなたがたも大いなることをするだろう」と。

多くの人がこのようなことを信じません。しかし、神様を信じなければ、こんな難しい状況は越えられないと思うような時、「神様、お願いします。もう私にはどうにもなりません」と言って、❼今までの自分が崩れてしまうと、今度は❺神なる我が現れて、神様がじきじきに自分の胸の中でお導きになる。そうしますと、それまでとは違った不思議な境涯が開けてきます。〜以上、敬愛する師の話

 

敬愛する師が言う「❺神なる我」とは、何なのでしょうか?

❷人間イエスと父なる❹神の霊とがひとつに❸融合している。そのような普通の人間の我ではない❺我を説明しているのでしょう。

❷父なる神の❸懐(ふところ)におられたイエス。神様もまた、イエスの中にいてくださる状態。これは宗教の奥義だと語っています。

「❺神なる我」とは、❷人の霊と父なる❹神の霊とがひとつに❸融合している状態です。

1コリント2・3章には、この難解な「❺神なる我」について説明しています。

2:9

このように書かれているとおりです、「目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないものを、神はご自身を愛する者たちのために備えてくださった」。
2:10
神はわたしたちに、❹その霊を通してそれらを啓示されました.❹その霊はすべての事柄、神の深みさえも探られるからです。

いったい人の事柄は、人の中にある❷人の霊のほかに、人の間でだれが知っているでしょうか? 同じように、神の事柄も、❹神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12
ところがわたしたちは、この世の霊ではなく、神からの❹その霊を受けたのです.それは、神によってわたしたちに、恵み深く与えられた事柄を、わたしたちが知るためです.
2:13
わたしたちがそれらの事柄を語るのは、❻人の知恵によって教えられた言ではなく、❹その霊によって教えられた言であり、霊の事柄を霊の言で解釈するのです。
2:14
しかし❽魂の人は、❹神の霊の事柄を受け入れません.なぜなら、彼にとって、それは愚かであるからです.また彼は、それを知ることができません.それは、❹霊によって識別されるものだからです

〜「❽魂の人」とは、霊ではなく魂(=人間的な思い、考え)、❷人のことを思っている=人の考えで行動する人のことです。
2:15
しかし❾霊の人は、すべての事柄を識別しますが、彼自身はだれにも識別されません。
2:16
だれが主の思いを知って、彼に教えるでしょうか? しかしわたしたちは、キリストの思いを持っています。(回復訳)

〜2章15節 フットノート❾
❾霊の人とは、自分の魂を否み、❽魂によって生きないで、❹神の霊によって占有され活気づけられている、彼の再生された霊に、自分の全存在を支配させている人です。さらに、彼はそのような霊によって生き、それにしたがって動き、行動します(ローマ8:4)。そのような❾霊の人は、❹神の霊の事柄を識別することができます。なぜなら、彼の霊的な知覚の本能が、その機能を現すことができるからです。(回復訳)

1コリント3章

3:1兄弟たちよ、わたしはあなたがたに、❾霊の人に対するようには語ることができませんでした.むしろ❽肉の人に対するように、キリストにある幼子に対するように語りました。
3:2
わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物を与えませんでした.なぜなら、あなたがたは、まだそれを受けることができなかったからです。しかし今になっても、あなたがたはできないでいます.
3:3
それは、あなたがたがまだ❽肉的であるからです。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるとすれば、それはあなたがたが❽肉的であって、❷人の方法にしたがって歩いているからではありませんか?(回復訳)

〜3章1節 フットノート❾
❾霊の人とは、❽肉にしたがって振る舞わず、❽魂の命にしたがって行動しないで、❹霊にしたがって、すなわち、❹神の霊と❸混ざり合った➓人の霊にしたがって生きる人です。このような人は、そのような❸混ざり合った❺霊によって管理され、支配され、方向づけられ、動かされ、導かれます。

❾霊の人とは、➓人の霊と❹神の霊が❸融合した我(われ)を持つ人です。「もう私にはどうにもなりません」と言って、❼今までの自分が崩れてしまうと、今度は❺神なる我が現れて、神様がじきじきに自分の胸の中でお導きになる。そうしますと、それまでとは違った不思議な境涯が開けてきますと、敬愛する師は話していました。➓人の霊は、人の魂(思い)とは異なります。人の魂は、肉的な考え、思いに満ちています。❽肉にしたがって振る舞わず、❽魂の命にしたがって行動しないで、❹霊にしたがって、すなわち、❹神の霊と❸混ざり合った➓人の霊にしたがって生きる人が、師の語っている「❺神なる我」です。死んでいたそれぞれの➓人の霊が目を開き、❹神の霊と❸混ざり合って、❺神なる我になります。

そのような❸混ざり合った❺霊によって管理され、支配され、方向づけられ、動かされ、導かれるとウイットネス・リーも回復訳聖書で説明しています。

「もしそれが信じられないならば、(キリストがなさっている奇跡的な)業で信じなさい」と言われた主。同様に、奇跡的な体験談=実際の生活の中の証しから❺神なる我を紹介していました。

「❻自分の頭に頼って、頭で考える癖がある。しかし、人間の頭で考えられる範囲というのは狭い。全然知らない世界に行って、頭でどれだけ考えたってどうなるんだろう。それよりも『神様、どうぞ導いてください。神様、今日はどうしたらいいでしょうか』といつも祈って、祈りにおいて導かれる生活、❹神の霊に導かれる霊導の生活をしなさい。神の霊は必ずあなたを導く」という生活実践が、大切だということです。

そして、❹神の御手が自分を導きつつあることを信じ、体験しだしたら、もう動ずることがありません。「わたしが父におり、父がわたしにいたもう。だからわたしはこんな不思議なことをするのだ。また、このようなわたしを信じるならば、同様にあなたがたも大いなることをするだろう」と主イエスは語っているのです。

https://www.makuya.or.jp/lec-809-uchina/

この記事の中にあるように、「キリストに導かれると言うことを、人生において実験してみることです。その時、『この人は、本当にキリストを信じている人だ』と言うことが証明できるのです。このことが身に付いたら、信仰生活は楽しくてたまりません」という言葉が、心に残りました。

当時の敬愛する師の聖書理解は、今のキリスト教界のそれを超えた、証しを伴う実践的な理解だったとわかりました。ありがとうございました。

https://www.makuya.or.jp/244-kakure/

 

今夕のご臨在 〜山へ向かひて目を上ぐ

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2020.7.2撮影

「1われ山にむかひて目をあぐ わが扶助(たすけ)はいづこよりきたるや

2わがたすけは天地(あめつち)をつくりたまへるヱホバよりきたる

3ヱホバはなんぢの足のうごかさるるを容(ゆるし)たまはず 汝をまもるものは微睡(まどろ)みたまふことなし

4視(み)よイスラエルを守りたまふものは微睡むこともなく寝むることもなからん

5ヱホバは汝をまもる者なり ヱホバはなんぢの右手(みぎのて)をおほふ蔭なり

6ひるは日なんぢをうたず  夜は月なんぢを傷(う)たじ

7ヱホバはなんぢを守りてもろもろの禍害(わざはひ)をまぬかれしめ  並(また)なんぢの霊魂(たましひ)をまもりたまはん

8ヱホバは今よりとこしへにいたるまで 汝のいづると入(い)るとをまもりたまはん」詩篇‬ ‭121:1-8‬文語訳聖書

「わたしは山にむかって目をあげる。 わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。 あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。 主はあなたを守る者、 主はあなたの右の手をおおう陰である。 昼は太陽があなたを撃つことなく、 夜は月があなたを撃つことはない。 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、 またあなたの命を守られる。 主は今からとこしえに至るまで、 あなたの出ると入るとを守られるであろう。」
‭‭詩篇‬ ‭121:1-8‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/psa.121.1-8.口語訳

「 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。 わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。 今も、そしてとこしえに。」
‭‭詩編‬ ‭121:1-8‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/psa.121.1-8.新共同訳

文語訳聖書は良いなぁ!

「7ヱホバはなんぢを守りてもろもろの禍害(わざはひ)をまぬかれしめ  並(また)なんぢの霊魂(たましひ)をまもりたまはん

8ヱホバは今よりとこしへにいたるまで 汝のいづると入(い)るとをまもりたまはん」アァメン!

今朝方の爆発音は、衝撃波だったようです。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20200702/k00/00m/040/072000c.amp%3Fusqp%3Dmq331AQRKAGYAY7q98m-gqD-uwGwASA%253D

 

迫害が歓喜に!サンダー・シングの平和 SS29

サンダー   シングの迫害体験

チベットでは驚くべき人に出会った。彼は衣を脱いで、傷痕だらけの体を見せてくれた。彼は、キリストのためにこのように迫害されることを喜びと言って、次のような話をしてくれた。『わしは、ある人の殉教を目にしたことがきっかけで、霊的な事柄を考えるようになった。その人が、濡れたヤクの皮に体を巻かれたまま日に当てられるという拷問で死んだのだ。しかし、わしは、彼を見ていて、なぜこんなにも幸せでいられるのだろうかと思った。すると、悪霊が彼の中に住んでいるからだと、ラマが言った。それで、わしは答えた。悪霊にこんなすばらしいことができるのなら、むしろ悪霊をくれるよう神に祈ると。以来、そのことを考え始め、ついにキリスト教徒になった。殉教者の名はカータル・シングといった。この人は、拷問の最中でも驚くような喜びと平和に包まれていたので、拷問した側は、後でその平和の正体を確かめようと彼の胸をえぐり出したが、肉しか見なかった』」

サンダー  ・シング自身も、チベットで同様な拷問の刑に処せられた。それは、いちど投げ込まれたら二度と生きて出ては来れない深い井戸の刑である。地下12メートルの井戸に投げ込まれ、骨折して横たわった彼の周囲は、悪臭の立ち込める死肉の山だった。彼は三日目に超自然的力の介入によって奇跡の救出を受けた。その間のことを彼はこう述べる。「体の苦しみは大変なものだったが、霊において、私は幸せだった。私は神に祈り、神の歓喜が私のハートに流れ込み、満たしてくださったために、自分のおかれた忌まわしい環境を忘れてしまっていた。無上の平和が私の心を満たした。それは、言葉に表せないほど甘美なものであった。祈りを通して、キリストの平和の恵みを、この三日間ほど強く感じたことは無い。深井戸は、主の平和によって天界の門と化した。漆黒の闇の中、腐肉と骸骨と悪臭の中で、主の平和に浴することがいかにして可能であろうか。このような歓喜、このような平和は、この世の何物からも来ないのである。神のみがそれを与えることがおできになるのだ。この井戸の中で座っていた間、贅沢と安楽に満ちていた父の家にいた時にも、このこれほどの幸せは感じられなかったと思い返した。この地獄のような場所で、溢るるほどの歓喜はどこから来るのだろうか?私は、この時ほどはっきりと、イエスが生きておられることを感じたことはない。主が、私の心を平和と歓喜で満たしてくださったのである」

人が何不自由ない平穏無事な生活をしている時に平和を感じるのは当然である。また、多少とも辛い時に、自己暗示をかけて辛さを一時免れることもできよう。しかし、カータル・シングやサンダー  ・シングのように、拷問と死刑に直面したときに生まれる無上の平和は、人間を超えたところから来る。イエス・キリストが人類の罪のために残酷な十字架を背負い、それによって栄光の復活を遂げ、死の象徴であった十字架を生命の象徴に化えられたように、キリストのために負う重い十字架そのものが、負う人を栄光の中に復活させる力となるのである。「十字架は天国の鍵である。地にあっても、天にあっても、十字架より気高いものはない。十字架を通して、神は人類への愛をお示しになり。十字架がなければ、天の父の愛について何ものも知ることができない。この理由から、神はすべての子供たちに、この重く甘美な荷物を負うよう求められている。この方法を通してしか、神への愛も、人への神の愛も、目に見えるものとはならないからである。キリストに捧げられたサドゥーとしての長年の経験から、私は、十字架を負う者を逆に十字架が背負い、ついには天国へと携え挙げて栄光の贖い主の面前に連れて行ってくれると、確信を持って言える」〜参考:イエス・キリスト封印の聖書(徳間書店)

サンダー  の受けた迫害と苦難は、無上の歓喜であったと語っています。

天国での価値観は、この世とは違い、逆転しています。キリストにある災難は、キリストと共に十字架を負う体験であり、拷問と死刑に直面したときに生まれる無上の平和は、人間を超えたところから来ると書いてあります。

ピリピ2章

2:13

なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
2:14

すべての事を、つぶやいたり議論したりすることなく行ないなさい.
2:15
それは、あなたがたが、曲がったよこしまな世代のただ中で、責められるところのない、たくらみのない、すなわち傷のない神の子供たちとなり、彼らの間で世にあって発光体のように輝き、
2:16
命の言を提供するためです.こうして、わたしが無駄に走ったのでも無駄に労苦したのでもないことを、キリストの日に、わたしのために誇ることができます。

2:17

しかしたとえ、あなたがたの信仰のいけにえと奉仕の上に、わたしが注ぎのささげ物として注がれるとしても、わたしは喜びます.またあなたがたすべてと共に喜びます。
2:18
同じように、あなたがたも喜びなさい.そしてわたしと共に喜びなさい。(回復訳)

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/05/13/032029

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夏目漱石の書「私心を去り、天に従う」

 

ムーンショット?我々は霊的に達成する

内閣府が近未来の社会のあり方を提示した。

しかし、この計画には、鍵であり最初に考えるべき基礎・基本がないのだ。

内閣府

https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.htmムーンショット目標では、 科学技術により2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現しようとしています。

しかし、基本技術の電気的なネットワーク社会="枝"がどの木に結びついているかが、鍵であり、最初に考えるべき基礎なのです。木が悪ければ、悪い実しか生りません。

つまり、科学技術が何の為に用いられるか?用いる人が、悪い心のままでは、ろくなことは起きません。技術をコントロールする政府や企業が中共のように独裁的で貪欲な思想や悪い目的を持っていたら、悪い実しか結ばれません。つまり枝=ネットワークが良い木に結びついてなければ、良い実は結ばれません。

我々は電気信号ではなく、愛に根ざした主なるYHWHとの霊的な接触で新しい社会に対応し、霊的に同様なことを達成し、またこの世の常識を超えるのです。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭15:5‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/jhn.15.5.新共同訳

使徒行伝 イエスを通して来た信仰

癒しを成すのは、各自の信仰だと思う人は、「私は信仰が足りないから、私には癒しや奇跡を行えない」と思います。

しかし、使徒行伝には弟子たちが自分の信仰で癒しを成したなどとは、書いてありません。

自分の信仰が癒しに影響を与えるとは、一言も言っていません。

使徒行伝3章

3:1さて、ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時に、宮へ上って行った.
3:2すると、母の胎内にある時から足の不自由な人が運ばれて来た.彼が宮に入る人たちから施しを求めるために、人々は「美しい」と呼ばれる宮の門の所に、彼を日ごとに置いていたのである。
3:3彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを受けようとした。
3:4ペテロはヨハネと共に彼を見つめて、「わたしたちを見なさい!」と言った。
3:5彼は◉何かもらえるものと思って、彼らに注目した。
3:6しかし、ペテロは言った、「金銀はわたしにはない.しかし、わたしが持っているものを、あなたにあげよう.❶ナザレ人イエス・キリストの御名の中で立ち上がり、歩きなさい」。
3:7そして、彼の右手をつかんで起こした.すると、彼の❷足とくるぶしはたちどころに強くなった。
3:8そして彼は❸跳び上がり、立って歩き出した.そして歩き、躍り上がり、神を賛美しながら、彼らと共に宮に入って行った。
3:9民衆はみな、彼が歩いており、神を賛美しているのを見た.
3:10彼らは、彼が宮の「美しい門」の所で、施しを求めて座っていた者であるとわかった.そして、彼に起こったことに戸惑い、またひどく驚いた。

3:11その人がペテロとヨハネにつきまとっていた時、民衆はみな、ソロモンの柱廊と呼ばれる所にいる彼らのほうへ共に走って行き、ひどく驚いた。
3:12ペテロはこれを見て、民衆に答えた、「イスラエルの人たちよ、なぜ、このことに驚いているのですか? なぜ、わたしたちが❹自分の力や敬虔によって彼を歩かせたかのように、わたしたちを見つめているのですか
3:13アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの父祖の神は、彼のしもべイエスに栄光を与えられました.あなたがたはその方を引き渡して、ピラトが釈放することを決めていたのに、彼の面前で拒否しました。
3:14あなたがたは聖で義なる方を拒否して、人殺しの男を自分たちに与えるように求めたのです.
3:15あなたがたは❺命の創始者を殺しましたが、神は彼を❻死人の中から復活させました.わたしたちは、そのことの❼証し人です。
3:16彼の❽御名にある信仰のゆえに、その御名が、あなたがたが見て知っているこの人を強くしたのです.そして、❾彼を通して来た信仰が、あなたがたすべての前で、この人にこの➓完全な健康を与えたのです。
3:17さて兄弟たちよ、あなたがたの支配者たちもそうであったように、あなたがたがあの事を行なったのは無知のためであることを、わたしは知っています.
3:18しかし神は、すべての預言者の口を通して、彼のキリストが苦しみを受けると、前もって告げ知らせておられた事を、このように⓫成し遂げられたのです。使徒行伝3:1-18(回復訳)

 

ペテロとヨハネは午後三時に、宮へ行った。その時、◉施しを求めるために母の胎内にある時から足の不自由な人が運ばれて来ました。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、◉施しを受けようとしました。彼は、「癒してください」と言ったわけではありませんでした。
ペテロはヨハネと共に彼を見つめて、「わたしたちを見なさい!」と言いました。
彼は◉何かもらえるものと思って、彼らに注目したときに、「金銀はわたしにはない.しかし、わたしが持っているものを、あなたにあげよう.❶ナザレ人イエス・キリストの御名の中で立ち上がり、歩きなさい」と命じられ右手をつかんで起こされました。すると、彼の❷足とくるぶしはたちどころに強くなり、❸跳び上がり、立って歩き出しました。

〜さすが、直弟子ペテロ、信仰が違うなぁ!と思った人が多いかも知れません。しかし、ペテロは、民衆に「イスラエルの人たちよ、なぜ、このことに驚いているのですか? なぜ、わたしたちが❹自分の力や敬虔によって彼を歩かせたかのように、わたしたちを見つめているのですか?」と不思議に感じながら、問いかけています。

つまり、❹自分の力や敬虔によって彼を歩かせたのではないとペテロは心から認識していたことになります。自分のワザでない。自分が敬虔だとか敬虔でないとかではない、そんなことが生まれつきの足萎えを立たせたのではないと言っているのです。各自の何かが癒しの奇跡を可能にするのではないとペテロ自身が群衆の反応に対して、丁寧に説明しているのです。
アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの父祖の神は、彼のしもべイエスに栄光を与えられました.あなたがたは❺命の創始者を殺しましたが、神は彼を❻死人の中から復活させました.わたしたちは、❼そのことの証し人です。」〜神のしもべイエスは、❺命の創始者であり、ユダヤ人は彼を殺しましたが、神は彼を❻死人の中から復活させ、ペテロやヨハネは、そのことの❼証し人だと言っています。

つまり、イエスは、神のしもべで❺命の創始者であり、神が❻死人の中から復活させた者、死にうち勝った者の❼証し人だと言っているのです。
また、「彼の❽御名にある信仰のゆえに、その御名が、あなたがたが見て知っているこの生まれつきの足萎えを強くしたのです.そして、❾彼を通して来た信仰が、あなたがたすべての前で、この人にこの➓完全な健康を与えたのです」と語り、❶ナザレ人イエス・キリストの❽御名の中にある信仰のゆえに、その❽御名(YHWHは救い)が、あなたがたが見て知っているこの生まれつきの足萎えを強くした。そして、弟子たちの信仰でなく、❾彼を通して来た信仰が、あなたがたすべての前で、この人にこの➓完全な健康を与えたと説明しているのです。
神は、すべての預言者の口を通して、彼(神)のキリストが苦しみを受けると、前もって告げ知らせておられた事を、このように十字架上に⓫成し遂げられたと語っています。

原文を私訳してみます。

ΠΡΑΞΕΙΣ 3:16 Greek NT: Nestle 1904
καὶ ❽ἐπὶ τῇ πίστει τοῦ ὀνόματος αὐτοῦ τοῦτον, ὃν θεωρεῖτε καὶ οἴδατε, ἐστερέωσεν τὸ ὄνομα αὐτοῦ, καὶ ❾ἡ πίστις ἡ δι’ αὐτοῦ ἔδωκεν αὐτῷ τὴν ➓ὁλοκληρίαν ταύτην ἀπέναντι πάντων ὑμῶν.

 

❽ἐπὶ τῇ πίστει τοῦ ὀνόματος αὐτοῦ:on the faith in the name of Him:彼の名の中に信じる信仰に乗っかって

❾ἡ πίστις ἡ δι’ αὐτοῦ:彼を通した信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)

➓ὁλοκληρίαν:完全な健全性

3:16私訳

❽彼の名(イエスはキリスト)の中に信じる信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)に乗っかって、あなたがたが見て知っているこの男を彼(キリスト)の名が強くしたのです.そして、❾彼を通した信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)が、あなたがたすべての前で、この人にこの➓完全な健全性を与えたのです。(私訳)

〜足萎えに➓完全な健全性を与えたのは、❹自分の力や敬虔でない。自分の信仰でない。❽彼の名(キリスト=メシア=救い主)の中に信じる信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)に乗っかって、あなたがたが見て知っているこの男を彼(キリスト)の名が強くしたのです。そして、❾彼(キリスト)を通した信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)が、あなたがたすべての前で、この人にこの➓完全な健全性を与えたと説明しているのです。

あえて必要な資質を書けば、❽彼の名(キリスト=メシア=救い主)の中に信じる信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)に乗っかるということでしょう。

❶ナザレ人イエス・キリストの❽御名は、YHWHは救いであり、イエスは救い主であるという名の中にある信仰(信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実)のゆえに、その❽御名(YHWHは救い)が、この生まれつきの足萎えを強くしたと言っているのです。

我々の力、敬虔さ、信仰深さでなく、十字架上に高く掲げられた YHWHは救いであり、イエスは救い主であるという名の中にある信頼、信用、信念、確信、誓約、約束、信義、誠実のゆえに、主は癒され、➓完全な健全性を与えられるのです。「❶ナザレ人イエス・キリストの御名の中で立ち上がり、歩きなさい!」Amen.

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/01/13/111415

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/08/25/030442

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2020.6.20撮影

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2020.6.21夏至の朝

 

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/moritamasamitsu/20200618-00183937/