神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

トマスの福音書30 〜三人のいる場所

 

継続してトマスの福音書を解説し、意訳しています。

 

30

Said-JS30  this: the-place which-has-three gods there, in-god  they-are; > the-place which-has-two or one, I ,I-exist with-him. 

30直訳

エスは、こう言った:❶三人の神々がそこにいる場所、神の中に❷彼らはいる。❸二人か一人のいる場所、❹わたし自身は彼(単数)とともに存在する。

 

またも難解な文です。

いつものように、キーワードから探ります。

 

❶三人の神々

創世記1:1-2から
1:1 In the beginning ❶Elohim (El of all) created the heavens and the earth.
1:2 And the earth was without form and void, and darkness was over the surface of the deep, and the ❺Spirit of Elohim was moving over the surface of the waters.
(translated by Lanny Mebust (Benyamin benKohath))

1:1初めに、❶エロヒムは天と地を創造した。

1:2地は形なく空しく、闇が深淵の面を覆い、❺エロヒムの霊がいくつかの水面の上で動いていた。(私訳)

エロヒムとは、創世記1章1節で最初に「神」と訳している言葉です。しかし、この言葉は、複数なのです。それを「God,神」と単数で訳してしまう英訳や日本語訳の聖書は、原文よりも彼らの神学を優先して訳した結果です。うまく訳せないなら、そのまま「エロヒム」としたらいい。本当に正しい訳がほしいのです。

「❺エロヒムの霊がいくつかの水面の上」とあり、複数のエロヒムは、霊であるとも言えます。

 

YHWH」がはじめて聖書に書かれているのは、創世記2章からです。4節には、「YHWHエロヒム」とあります。和訳は、「主なる神」で、わかりづらいです。「YHWHエロヒム」=YHWHは、エロヒムのひとりではないかと考えられます。

 

「❶三人の神々がそこにいる場所」とは、三位一体の神がいるところという意味でしょうか。否、もともと「三位一体」なんて言葉は、聖書には載っていないのですから。先程も言った神学用語なので、考えなくて結構です。

エロヒム(神の複数形)の場所・領域を指す言葉でしょう。

❶三人のエロヒム(複数の神々)のいる場所では、神の霊の中に❷彼らは居るということです。「❷彼ら」とは、トマス29節にある「肉にある人々が聖霊を受けた」つまり、「聖霊を受けた者たち」を指していると考えられます。

以下のキーワードからもわかります。

 

 ❹わたしは彼とともに存在する
マタイ18章に同様のことばがあります。

18:15 さらに、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯すなら、行って、あなたと彼との間だけで、彼の過ちを示しなさい。彼があなたに聞き従えば、あなたは自分の兄弟を得たことになる。
18:16 しかし、もし彼があなたに聞き従わなければ、❸一人か二人を一緒に連れて行きなさい.それは、二人または❶三人の証人の口によって、すべての言葉が立証されるためである。
18:17 もし彼らに聞き従うことを拒むなら、召会に告げなさい.もし彼が召会に聞き従うことも拒むなら、彼を異邦人や取税人のように扱いなさい。
18:18 まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが地上で縛るものはすべて、天で縛られていたものであり、あなたがたが地上で解くものはすべて、天で解かれていたものである。
18:19 また、まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたのうちの二人が求めるどんな事でも、地上で調和一致するなら、それは天におられるわたしの父によって成就される。
18:20 二人または❶三人がわたしの名の中へ集められている所には、❹わたしがその中にいるからである」。(回復訳)

 つまり、

 ❷二人のエロヒムが居る場所では、❸わたし自身=イエス  キリストは、❹彼とともに存在すると言っています。トマスでは、一人でもイエス キリストは、❹彼とともに存在すると言っています。

 

 30意訳
エスは、こう言った:❶三人のエロヒム(の聖霊を受けた者たち)のいる場所では、❺神の霊の中に❷彼らは居る。❷二人か一人の居る場所では、❸わたし自身(キリスト)が❹彼(単数)とともに存在する。

 

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マタイ18:20 二人または❶三人がわたしの名の中へ集められている所には、❹わたしがその中にいるからである」。(回復訳)

わたしの名の中へ集められている所が、 大切ですね。

 

 

今朝のご臨在 〜雲の中の虹

創世記9章 13節
すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。

 

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*雨ぐもの中、虹が出ています。

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2017.11.18

歴史ある教会のご臨在

朝から遠方に用があり、以前お約束したので日本基督教団の歴史ある教会にお邪魔させていただきました。

夕拝の讃美は、テゼに近い簡単な賛美歌、メッセージは使徒行伝から。パウロに現れた主は、われわれにもずっと共にいてくださることを語ってくださいました。天国=神の支配を話していました。思いつきのメッセージでなく、しっかりと推敲し、書き上げた文章にそって語っていました。主の祈りもきちんとされていて、感謝ですね。信徒たちが聖霊に渇いているのもわかります。ありがとうございました。

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いのちの電話 相談員募集

座間では、痛ましい事件が起きました。残念です。

いのちの電話の相談員が不足しています。

今は、メールでの相談もあるのですね。

全国にある1万の教会の電話やメールに「いのちの電話相談・メール相談」と謳ったら、たくさんの人が文字通り救われるはずですね。

相談員は、研修が必要です。

http://www.inochinodenwa.org/support.php

ニュースから⇩

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171111-00000076-mai-soci

 

祈りの中で107 〜全てを持つ者

祈りの中で示されたこと

1.御名が聖とあがめられますように。

罪深い者が、聖なる御名をあがめるためには、その者が 聖くなければならない。

「御名が聖とあがめられますように」と祈るときに、過去の罪を示されました。そこで心が砕かれるのです。そして、自分には何もない、YHWHを賛美する者だけがそこにあるのです。この最初の祈りで、御名をあがめる者が、まず聖とされるのです。

2.イエスは、何も持っていなかったが、全てを持っていた。

ルカ9:1-6

1さて、エスは十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪鬼どもを制し、病をいやす力と❶権威を授けられた。

2そして、❷の王国を宣べ伝え、また病人をいやすために、彼らを遣わされた。

3エスは彼らに言われた、「旅のために、❸何も持って行ってはならない.杖も、袋も、パンも、金銭も、下着も二枚は持ってはならない

4どの家に入っても、そこにとどまり、そこから出かけなさい。 

5だれもあなたがたを受け入れないなら、その町から出て行く時、彼らに抗議する証しとして、足からちりを払い落としなさい」。

6こうして彼らは出て行って、村から村へと行き巡り、至る所で❹福音を宣べ伝え、また❺病をいやした

~主イエスが、弟子たちを二人一組にして宣教旅行に送り出された場面です。主の宣教の基本は、杖も、袋も、パンも、金銭も、下着も二枚は持ってはならない。着の身着のままで行けというものでした。

主イエス自身も、「きつねには穴があり、空の鳥にはねぐらがある.しかし、人の子には枕するもない」(ルカ9:58)と言っていました。つまり、イエスと弟子たちは、今で言うならホームレスのような宣教旅行をしており、弟子の宣教旅行では、あえてお金すら持たずに❶神の権威のみに頼って旅をつづけるように指示したと見受けられます。その姿は❷神の王国を宣べ伝える者として、ふさわしい姿のようです。❸何も持っていなくても、❶神の権威を持っており、❹福音と❺病の癒し、マルコ6:13には「悪鬼を追い出し」たとあります。その神の権威と力により、泊まるところもパンも下着も与えられて、苦労することがなかったのです。

主イエスも、同様でした。パンを持っていなくても、5千人を満腹させ、 杖も袋もお金もなく、枕するところもなくても、盲人は見え、足なえは歩き、 らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされたのです(マタイ11:5)。 何も持っていないようで、すべてを持っている。それが、主イエスの標準であり、神の国の奇跡力そのもの。神の国のスタンダードでした。

神の国は、ことばではなく力にあるのです」(Ⅰコリント4:20)

世人は、立派な会堂や調度品、財産、ありあまる食料やきれいな衣服を求めます。しかし、そんなものが一切なくても、すべて必要なときに必要なだけ満たされる~それが神の国の福音です。神の国の標準に生きる訓練を、主イエスは弟子たちにされていました。敬愛する師も、お弟子たちを何も持たせず二人一組の宣教旅行(無銭徒歩伝道)に行かせましたね。

実際に汗を流さず、足を運びもせず、目で確認もせずに、聞いた話で人を罪定めし、批判する一部の日本の教役者たちがいるのには、本当にうんざりです。神の国の標準から外れた者を「異端」と言うのではないのですか。「わたしは、あなたがたを知らない」と言われないように、気を付けてほしいものです。私も、まだまだ外れ者ではないかと点検しながら、さらに全きお方に近づきたいです。

※今宵のご臨在~お顔が見えるかなぁ  2017.11.7撮影

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