サンダー・シングは、「キリストについて知ること、キリストを知ること」の中で、ヨハネ伝より次のように語っています。
ヨハネ8:31-32「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人に言われた、『もしあなたがたが、わたしの言の中に住んでいるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子である.またあなたがたは真理を知る.そして❶真理はあなたがたを自由にする。』」ヨハネ6:63「命を与えるのは❷その霊である.肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った言葉は❷霊であり、命である。」(回復訳)
サンダーの話:真理とは何でしょうか。真理は教義でも教理でもなく、イエス・キリストご自身であります。真理は本の中に見つかるものではありません。確かに、書物の中には良いものがたくさん見つかるでしょうが、そのどれひとつとして、あなた方を自由にすることはありません。キリストだけが、私たちを自由にしてくださるのです。私は、真の宗教を見つけようと努めてきました。ヒンズー教を試みましたが、イエス・キリストの中にのみ、私は平和を見ることができました。あなた方は、この世のことの中に平和を見つけようとしていますが、それを得られるという確証は、どこにあるのでしょうか。どこにもありません。私たちは、❶キリストによって、この世界の中で自由にされるのです。ヒンズー教は、生きるキリストを私たちに与える事はできませんでした。今の私は、天においてキリストと共に生きることを予期していますが、天は、この地上に始まるのです。❷霊魂が神に触れ、私たちが主の臨在を実感するときに、天国とは❸完全なる霊魂の平和であることが理解されるのです。その時にこそ、地上天国が始まるのです。
(まだ私がキリストを信じる以前に)イエス・キリストについて話を聞かされていた頃の私は、常にキリストを憎んでいました。私を癒すものは見つかりませんでした。
キリストに満ち足りていないクリスチャンが多くいます。それは、彼らがキリストを知らないからです。しかし、キリストは真理であり、その❶真理が私たちを自由にしてくれるのです。私たちは、生けるキリストを通して❹誘惑に打ち勝ち、サタンを倒す力を得ることができます。それは、本や説教を通してではありません。❺祈りを通してです。毎日、最低何分かは祈りに費やしなさい。主の中に生きなさい。主は真理です。真理は私たちを自由にしてくれます。私は、人間の作り出した多くの偉業を見てきました。人は空を飛び、機械や電気を操ることができるかもしれません。しかし自分自身の体の欲望は制御できずにいます。自然界を治められても、自分自身を治められずにいます。 ~以上、サンダー・シング 「キリストについて知ること、キリストを知ること」 より
祈りには、食前の祈りのような、形式的であっという間の短い祈りや、心の中であれこれ自分の願望をお願いするものがあります。異邦人のように題目を繰り返すような祈り(マタイ6:7)もあります。
しかし、サンダーの説いた祈りとは、「キリストを知ること」です。それは、❶真理であるキリストを知ることです。「命を与えるのは❷その霊である.わたしがあなたがたに語った言葉は❷霊であり、命である。」とは、まさに祈りの中で出会うキリストからの言葉であり、❷霊であり、いのちなのです。
私たちは、❶キリストによって、この世界の中で自由にされるのです。
祈りの中で、❷霊魂が神に触れ、私たちが主の臨在を実感するときに、天国とは❸完全なる霊魂の平和であることを知ります。
キリストは真理であり、その❶真理が私たちを自由にしてくれるのです。私たちは、生けるキリストを通して❹誘惑に打ち勝ち、サタンを倒す力を得ることができると言っています。それは、本や説教ではない、実在するキリストに会うことです。
それは、❺祈りを通して可能です。毎日、祈りの中で主のご臨在を感じる体験をすることです。主の祈りにあるように、「アバ、父よ!御国を来たらせたまえ!」と願うことです。「主イエスよ!来てください!いつもそばにいてください!」と祈りつつ生活したいですね。
サンダーは言っています。「祈りとは、自分のほしいものを願うことではなく、命を与えてくださる唯一の”神ご自身”を願い求めることである」。
キリストについてあれこれ学ぶのではない。キリストご自身に出会い、キリストご自身を知ること~これが祈りなのですね。