ハレルヤ!われらには、執り成していてくださる方がいる。
ローマ8:31ー34・37
31それでは、これらの事柄に対して、わたしたちは何と言いましょうか? ❶もし神がわたしたちの味方であるなら、❷だれがわたしたちに敵対し得るでしょうか?
32❸ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべてのために御子を渡された方が、どうして彼と共に、万物を無代価でわたしたちに賜わらないことがあるでしょうか?
33❹神が選ばれた者たちを、だれが訴えるのですか? ❺神がわたしたちを義とされるのです。
34❻だれが罪に定めるのですか? ❼キリスト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられます。
37しかし、❽これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります。(回復訳)
以上を 箇条書きでまとめると、
❶神がわたしたちの味方。
❷だれもわたしたちに敵対しない。
❸ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちのために渡され、万物を無代価でわたしたちに賜わる。
❹神が選ばれた者たちを、訴える者はない。
❺神がわたしたちを義とされる。
❻だれも罪に定めない。
❼キリスト・イエスは、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられる。
❽すべての事柄で、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがある。
ローマ書で、パウロがわれわれに語ってくれているようです。
悔い改めばかりして、いつも自分を見て罪に定めている信仰の薄い日本のクリスチャン、どっちを見て生きているのですか。十字架こそが正解です。早くこの狭き門を通過してしまいましょう。(悔い改めメタノイア⇒義化⇒✟聖化⇒栄化)
信仰において全き者になりとうございます!
どっちを見て生きているのか?