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神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

💚トマスの福音書5② ~5節続き 天を垣間見る単一の目 FB改

トマス 天国 臨在 祈り ひとつの目

 イエスの語録と言われるトマスの福音書は、奥が深く、福音書の骨子であると感じています。四福音書と照らし合わせると、その奥の深さがきわだちます。また福音書の何げない言葉が、深い意味を持つこともわかります。
5節について前段の部分だけ、トマス福音書4で語ったのとは別のもっと深い解釈があるのでそれについて説明します。

5節
*Said-JS05 Know-what-is-in-the-presence of-your(sg)-face ( ),and what-is-hidden to-you(sg), ()will-be-revealed forth> to-you(sg), > (for) no-thing, (---), being-hidden ()will-appear > forth not.JS05 
 トマスの福音書4で述べたものとは異なる切り口で、ここでの”presence”を別の意味で訳してみます。「イエスはこう言われた。あなたの面前の”臨在”を知りなさい。そしてあなた(単数)に対して隠されているものは、あなたに明らかにされるだろう。なぜなら、何も隠されたままで、あらわにされないものはないだろうから」。
 この”in the presence”をもっと忠実に訳すと、「あなたの面前の臨在の中に何があるか知れ」となります。ここで震えるような感覚を覚えるのは、私だけでしょうか。
Know!「知れ!」と命令しているのです。面前=目の前の臨在の中にある(what)「もの」は、何でしょうか。whatは、人ではなく「もの」を指します。
 ここで以前にお話しした、「あかり」=「ひとつの目」マタイ6:22-24が関係しているようです。マタイ伝をkjvで見てみましょう。

The light of the body is the eye: if therefore thine eye be single,thy whole body shall be full of light. But if thine eye be evil,thy whole body shall be full of darkness. If therefore the light that is in thee be darkness, how great is that darkness. No one can serve two masters: for either he will hate the one, and love the other; or else he will hold to the one, and despise the other. Ye cannot serve God and mammon.(matt6:22-24)
 直訳します。「肉体の明かり目(単数)です。もしあなたの目が単一なら、 あなたの全身は光で満たされるでしょう。しかし、もしあなたの目(単数)
が悪に向くなら、あなたの全身に闇が満ちるでしょう。なんと大きな闇か。だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎み、他方を愛するからです。また、一方に親しんで、他方をうとんじるからです。あなたは神と富とに兼ね仕えることはできません」。(マタイ6:22-24)
 肉体の目は実際には2つですが、ここで「ひとつの目」と言うのは、心の目を指すからです。それが単一の方向に向けば、全身に光があふれると言っているのでしょう。その目の方向が、悪に向けば、全身が暗闇に覆われる。ではどこを見れば光が満ちるのか。それは悪"evil"の反対で、善であり光に満ちているところです。それは、すぐ前のマタイ6:20-21の「天に宝をたくわえなさい。あなたの宝のあるところには、心もあるからです」にも繋がり、そのあとの6:33「まず神の国と神の義を求めなさい」にも繋がります。あぁ何ということでしょう。心の目を「暗い地獄や悪やこの世の富」に向けるのでなく、「天国」に向かって見開いたなら、光で満たされ「隠されているものが明らかにされる」というのです。

 どうやって天国を見るのでしょうか。上記の「目の前の臨在の中にあるもの」とは「天国」であり、ここを意訳すると「イエスはこう言われた。あなたの目の前の”臨在”の中にある(天国)を知りなさい。そしてあなた(単数)に対して隠されているものは、あなたに明らかにされるだろう。なぜなら、何も隠されたままで、あらわにされないものはないだろうから」。

 この節は、天国を知り、隠された奥義を垣間見るようにとイエスが勧めているところです。
 ひとつ(単一)の目は、敬愛する師がたどり着いた天国に目を向ける奥義です。どうぞ祈りと瞑想の中で、心を天国に向けてください。

 ひとつ(単一)の目の体験は、とても大切なものです。瞑想の中で眉間にある心の目で見ると、まるで真珠のように輝いた光が見えるはずです。お金持ちやこの世に宝のある方には、針の穴から覗くようにしか見えないかもしれません。とにかく真珠のような光が見えたら、その光に向かって進むのです。天国には、高い壁はありません。しかし近寄る者が私のように罪深いと、罪を示す悔恨の場面が現れます。そこで過去に犯した罪が実際に起きているように見えてくるのです。主の御救いを知らない人たちは、それを見て恥じ入り、天国に近づかず、自分から暗闇に向かうのはこのためです。

 裁きは自分の心がするのです。イエスを裏切ったユダが自死したように、自分の心が自分を裁くのです。ユダと同じようにイエスを裏切ったペテロは、激しく泣いて悔い改めました。二人を分けたのは、悔い改めたかどうかです。天で罪を示されたなら、あなたも自分の罪を認め、主の前に幼子のように悔い改め、光に近づくことです。

「主よ、私は罪深い者です。ただ主の憐みのゆえに、十字架の血潮のゆえにお赦しください」と。すると悔恨のスクリーンを通過し、天国の入り口がやっと見えてくるでしょう。そのあとは、あわてないで期間をおいて何度も行ってみて、また主に頼んで、徐々に奥まで行くことです。門から入ったら、あとはご自分で確認すればいい。どうぞ祈りの中で天を覗き見てください。できれば神の国の礼拝を見てきてください。
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」マタイ11:12
 

トマスの福音書4~5(5節)を意訳しますと。

「イエスはこう言われた。あなたの目の前の”臨在”の中にあるもの(天国)を知りなさい。そうすれば、あなたに対して隠されているもの(*キリストの知恵と知識とのすべての宝)は、あなたに明らかにされるだろう。なぜなら、何も隠されたままで、あらわにされないものはないだろうから。

 弟子たちが尋ねた:あなたはわたしたちが断食することをお望みですか。そして私たちは何と祈ったらよいでしょう。私たちは施しをすべきですか。そして私たちは、どんな食物を避けるべきでしょうか」。*コロサイ2:3

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