神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

祈りの中で52 ~十字架の血と水

祈りの中で、イエスの十字架上で流された水と血が、人の出産に関係があるように見えた。われわれが、新しく生まれかわるために必要なものなのだ。 

「イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。』」(ヨハネ3:5)。

「しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。」(ヨハネ19:34)

 人は水と霊により新しく生まれ、天へ行くことができるのです。「水」は「水のバプテスマ(洗礼)」、「霊」は「聖霊バプテスマ」、「血」は「永遠の罪からの贖いと律法の古い契約の終焉(ヘブル8:7-11)」をさす。

 十字架上のイエスの右わき腹より、水と血が流れ出た。それは天に入るための新たな誕生、出産のときのように、婦人が流す羊水と血にも似ている。十字架上のイエスは、われわれが天国に生まれ出るために生命を賭して水と血で天を開かれた!天の門です!ハレルヤ!

「あかしをするものが、三つある。御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである。

そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。

御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。

これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。」(第1ヨハネ5:7-13)

神の子の御名とは「イエス」=「イェシュア」=その意味は「YHWHは救いなり」。

※イエスこそ「御霊と水と血」の源であり、それにより開いた永遠の命への門である!

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