夕方の祈りの中で、はっきりと天を見る霊眼を求めていました。ぼんやりとしか見えないのです。どうか主をはっきりと見れるひとつの目を与えてください。
するといつしか、祈りの中でオリーブ山の万国民の教会が現れ、そこに自分がいました。37年前に訪れたとき、そのご臨在に泣き崩れた教会です。確かにキリストの夜通しの祈りが、2000年を経ても伝わってきました。
入った瞬間に歩けなくなった強く重々しいご臨在を、もう一度感じながら、主イエスの生涯の苦悩やその愛の深さを痛いほど感じたのです。ただただ涙が止まりません。あぁ、あのゲッセマネの主イエスの祈りに、私は耐えられません。私の目からは、涙が止まりません。頭を垂れ、ひれ伏すのです。そのために、はっきりと見ることができないのです。
もう一度万国民の教会へ行き、わかりました。天のご臨在に私は耐えられないのです。
あぁ主様、あなた様の生涯を見るとき、私の心は張り裂けそうです。クリスマスの日、あなた様は、家畜小屋で生まれ、石の飼い葉桶に寝かされました。成人なされてからも、枕するところもなく、われらの贖いのために、十字架刑の死までもお受け入れになり、その体は冷たい石の上に置かれました。
あなた様の十字架は、お生まれなさったときから、続いていたのですね。あなた様は生涯を通して、ゲッセマネの祈りの中にいたのですね。
エペソ3章
3:17また、キリストが信仰を通して、あなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またあなたがたが、愛の中に根ざし土台づけられ、
3:18力に満たされて、すべての聖徒たちと共に、その広さ、長さ、高さ、深さが何であるかを会得し、
3:19そして知識を超越したキリストの愛を知ることができるように.
3:19また、あなたがたが満たされて、神の全豊満へと至るように。(回復訳)
私はまだ主イエスの広さ、長さ、高さ、深さが何であるかをほんの少ししかわからないでいるのです。目の悪い羊なのです。御声に従わせてください。
万国民の教会
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