神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️癒し主の血により 〜質問への応答

病いの癒しについて、質問がありました。お返事を含めて書いてみます。

祈りは、主との交わりです。主との❶接触でもあります。

長血の女が主イエスの❶裳裾にさえ触れれば癒される!と信じて、貧血で頭痛と目眩がする重たいからだを引きずりピリポカイザリアから主イエスがいると言うカペナウムへ数日かけて向かいました。しかし、到着するとまるで祭りのように大群衆が押し合い取り巻いています。我さきに主イエスに近づこうとする大勢の人たち。それを目前にしても諦めずに、何とかこの病いの苦しみから解放されたい一心で、女は人々の足元を這いながら主の足元へ進むことを決意しました。女の名はベロニカと言われています。

マルコ伝5章

「そこでイエスは彼と共に行かれた.大群衆は彼について行き、彼に押し迫った。
そこに十二年間も血の流出を患っている女がいた。
彼女は多くの医者にかかってさんざん苦しめられ、持ち物を使い果たしたのに、何の効果もなく、かえって悪くなる一方であった。
彼女はイエスのことを聞くと、群衆にまぎれて彼の後ろに近づき、彼の❶衣に触った.
「❶彼の衣に触りさえすれば、わたしはいやされる」と言っていたからである。
すると直ちに、彼女の血の源が枯れて、彼女はその病苦がいやされたことを体に感じた。
イエスは直ちに、❷力がご自分から出て行ったことを感じ、群衆の中で振り向いて、「わたしの衣に触ったのはだれか?」と言われた。
弟子たちは彼に言った、「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っているのに、『わたしに触ったのはだれか?』とおっしゃるのですか」。
イエスはこのことをした女を見つけようとして、見回された。
その女は、自分に起こったことを知って、恐れおののきながら、彼の前に出てひれ伏し、❸ありのまますべてを彼に告げた。
イエスは彼女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたをいやしたのです。平安のうちに行きなさい.あなたの病気は良くなりました」。」マルコ伝5:25-34(回復訳)

癒し主は、復活して今も生きたもうキリストご自身です。この方に❶接近して、初めて癒しがなされます。

「こうして、イエスが入って行かれると、村でも、町でも、部落でも、人々はそこの市場に病人を置き、彼の衣の房にでも触らせていただきたいと請い願った.そして彼に❶触った者はみないやされた。」マルコ伝6:56(回復訳)

昨夜、質問された方のために祈りました。主イエスに❶接近して、臨在を感じながら祈りました。それは、私が癒しの力があるわけではなく、今も生きて寄り添いたもう主イエス・キリストが癒しをなされます。何か良い変化があるはずです。

イザヤ53章

「❹彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ❺彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。」‭‭イザヤ書‬ ‭53:4-6‬ (‭新共同訳‬‬)

イエスは、十字架上に❹わたしたちの病を担い、 わたしたちの痛みを負ったのです。またイエスの❺受けた傷によって、わたしたちはいやされたのです。

イエスは、病いを遠隔から癒されることが可能です。(マタイ8:8)

しかし、病いの中で、特に精神的なものは、悪霊などの霊による悪さが原因であることが多く、その場合は悪霊を遠ざける必要があります。しつこい霊の場合、その人の近くに主イエス・キリストが行く必要があります。主イエスのご臨在が、精神的に悪さをしている霊を遠ざけます。

マタイ伝17章

「一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、 言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。❶その子をここに、わたしのところに❶連れて来なさい。」 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭17:14-18‬ ‭(新共同訳‬‬)

主の臨在豊かな場所へ行くことも癒しに有効ですが、祈り求めることで主イエスがわざわざ❶やって来てくださいます。病床で❶キリストにお会いして、癒されたと言う証司をよく聞きます。特に精神的な病いの方は、主イエス・キリストにお会いすることができれば、悪さをする霊から解放されます。

病人が主を祈り求めることも大切ですが、祈りの中で主イエスに語り、近しく会った経験のある信仰者が主に執り成し、お願いして、病人の近くへ行って癒してくださるようにお頼みすることで、主イエス接触することも可能です。

もう一つ、イザヤ書には、「❺彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」とあります。❺主イエスが鞭打たれた際の傷、十字架上で流された血によって、わたしたちは癒されたのです。主イエスの❺血汐をいただき、癒しをすることが可能です。

祈りの中で、十字架の主イエスから流れ出た❺血汐を手で受けとり、病人の患部に塗るのです。

「そして、多くの悪霊を追い出し、❻油を塗って多くの病人をいやした。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭6:13‬ ‭(新共同訳‬‬)
「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、*主の名によって❻オリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。❼ 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 だから、主にいやしていただくために、❸罪を告白し合い、❽互いのために祈りなさい。❾正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭5:14-16‬ ‭(新共同訳‬‬)
❻油は、臨在であり、ゲッセマネ(アラム語で「オリーブの油搾り」)で搾り出された❺キリストの血汐、鞭打たれ、十字架で流された主イエスの血汐です。❼ 信仰(主イエス接触する)に基づく祈りで、この❺キリストの血汐(油)を受けとり、患部に塗るのです。それは、❽複数の❾正しい人の祈りでも可能です。

癒しは、❶主イエスに接近・接触する祈りと❺キリストの血汐を受けとることが鍵になります。霊的に開眼された教会の長老(牧師)に直接執り成して祈ってもらうことが有効だと思います。癒しは、人間の力で行うものではありません。キリストが癒してくださるのです。「うまくいかなかったら、どうしよう」とオドオドしている人では、からし種ほどの信仰もないでしょう。キリストがなされる癒しを自分でやろうとしているから、そんな心配をするのです。神のことを思わないで、人のことを思っている(マタイ16:23)のでは、からし種ほどの信仰もないと言われてしまいます(マタイ17:20)。癒しをなされるのは、キリストです。癒されるための努力は、長血の女のように執拗にキリストに近づくことがイコール「信仰」であり、癒しを受けとる鍵です。

もう一つ、この世の煩いで精神的に辛いなら、祈りの中であなたの心臓を天に積んでしまうと楽になります。天国へ行き、悔い頽れた心で主の前に心を捧げるのです。無畏心が与えられます。

ルカ12章

33自分の財産を売って施しなさい.自分のために古くならない財布を作り、尽きない宝を天に蓄えなさい.そこには盗人も近づかず、しみも食うことがない.
34なぜなら、あなたがたの宝のある所に、あなたがたの心もあるからである。(回復訳)

 

仕事や将来の不安も、まず神の国と神の義を求めることで、解放されます。以下ご参考に。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/02/29/005047