神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

昨夕のご臨在 〜満開の梅

 

f:id:AdonaiQuoVadis:20210222124633j:image

2021.2.21撮影

 

「あなたは更に七日間待ち、その間は断食をしないで、 家が建てられたことのない花咲く野原に行き、野の花だけを食べなさい。肉を食べず、ぶどう酒も飲まず、ただ花だけを食べなさい。 そして絶えずいと高き方に祈りなさい。そうすれば、わたしは来て、あなたと語ろう。」」
‭‭エズラ記(ラテン語)‬ ‭9:23-25‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/2es.9.23-25.新共同訳

「わたしは天使が言ったように、アルダトと呼ばれる野原に行き、そこで花の中に座り、野原の草を食べた。わたしは満腹するまで食べた。」
‭‭エズラ記(ラテン語)‬ ‭9:26‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/2es.9.26.新共同訳

エズラは、何の花を食べたのだろう?

 

マタイ  2章23節
そしてナザレと呼ばれる町に来て、そこに住み着いた.それは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが、成就するためである。
2章23節 フットノート
預言者たち」という複数形の言葉は、これがある特定の予言ではなく、幾つかの予言(詩22:6―7のような)の意義の要約であることを示します。「ナザレ人」という称号は、イザヤ書第11章1節(イザヤ11:1)の枝(ヘブル語は「ネツェル[netzer]」)のことを言っているのでしょう。そこの枝はキリストを象徴しており、ダビデの父、エッサイの株からの小枝のことを言っています。イエスが生まれた時、ダビデの王座はすでに転覆させられていました。これは、ダビデの王族の茎が切断されていたことを意味します。今や新しい小枝がエッサイの株から出て、その根から成長しました。この発芽と成長は、恥辱の状態の中で起こりました。イエスは承認され、あがめ尊ばれた王家に生まれたのではなく、エルサレムのような有名な町で成長したのでもありません。むしろ、彼は貧しい家庭に生まれ、さげすまれた町で育ちました。これらすべては、彼をナザレ人、堂々とした木の見事な枝ではなく、エッサイの株からの一見つまらない芽にしました。(回復訳)

いくら探してもマタイ2:23 の引用がどこからか分からない状況でしたが、イザヤ11:1からのものでしょう。なぜならヘブライ語
「芽」「נֵ֖צֶר:ネツェル」( צֶツァディ)という文字をラテン語で は正確に発音できないため、それが「ナザレ人」(Nazareus)を表している ものだとは分からなかったからでしょう。

芽(キリスト)から、花が咲くのですね。そして、「肉を食べず、ぶどう酒も飲まず、ただ花(キリスト)だけを食べなさい。」と解釈でき、キリストを食べ、我々は豊かに実を結ぶのですね。