神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

敬愛する師9  ~神の指紋の着いた被造物 FB

 「神の見えざる永遠の能力と神聖とは、被造物の中に、世界の創造以来、悟り得て明らかに見得るものだ」ロマ書1:20とパウロは言っています。
 神の霊的な永遠の神聖と能力は自然界を通して啓示されます。山川草木すべての天然が、我ら人間に神の測りがたき叡知を教えています。主イエスは「見よ、野の草を。見よ、空の鳥を」と、指差しつつ、神の王国を象徴的に説き給いました。日々、大自然を聖書にして、神の声なき奥義を悟り、見えざる聖手を見たいものです。内村鑑三先生は言った、「神の著せし書物が二つある。聖書と自然界(全宇宙)である。両者を知りて、初めて神を知るに全し。神の探求と称して、いたずらに脳中で思索を繰り返すのは、労して効なき業である。むしろ神の作物について、直接、神に学ぶべし」と。また二宮尊徳も言った、「目を開いて、天地の経文を読むべし」と。〜以上敬愛する師の話より。
 聖書、聖書と言って頭デッカチの私には、この師の言葉が、ささります。自然に触れ、神の指紋の着いた被造物に触れ、はじめて神の御心がはっきりします。 このことばは、大自然や生き物を寵愛したアッシジ聖フランシスコを思い起こさせてくれます。福音書でイエスが命じている全てをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣することがフランシスコの生活の全てとなっていたといわれます。「裸のキリストに裸で従った」のです。高校時代からこの聖人が大好きです。
《フランシスコの平和の祈り》
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信仰を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、己を忘れることで人は見出し、ゆるすことで人はゆるされ、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。(これは天国の真理です)
~St.Franciscus Assisiensis
聖フランシスコは、確かに天を垣間見ていたことが、最後の言葉でわかります。「あとの者は先になり、先の者はあとになる」(マタイ20:16)のです。この聖人は、天の逆転の奥義を理解されていた。これは心の問題なのです。 ハレルヤ!アァメン。 

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