神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

カイラスの大聖 その1 ~サンダー・シングの出会った栄光体 SS5

 東洋の聖フランシスコと呼ばれたサンダー・シングが伝道のためにヒマラヤのカイラス山近くへ行き、偶然に洞窟で出会った300歳を超える聖人(マハリシ)についての話です。この老聖人は、今も生きていれば400歳を超えており。カイラス山の洞窟で世の終わりまでとりなしの祈りをしていることになります。おとぎ話のような話ですが、サンダーは何度か彼に会いに行っており、友人の神父も連れて行こうとしています(しかし、神父は難路にたどり着けなかった)。サンダーの著書を読んでいますと、彼の説教や言動はいたってしっかりしたものです。訳書では林陽氏の「イエス・キリスト封印の聖書」サンダー・シング~をお勧めします。大変に霊的な示唆に富む本です。

 われわれは、過去の奇跡的な信仰者や聖人を昔話と馬鹿にしてはいけません。彼らは天にいて、われわれを見ています。サンダー・シングの示唆した霊的体験の深さを味わうことは、どれほどわれわれの信仰に有益なことか。その奥深さは、現今のキリスト教界には見出せないようなものです。パウロが欲してやまなかった栄化。最近の教会ではあまり聞かれなくなった言葉ですが、終末の時代に”栄化”された”栄光体”を求めるべきです。 

 確かにサンダー・シングは1889~1929?年の天を垣間見た聖者です。彼が偶然か導きか、カイラス山中で出会った大聖、その姿は栄化を実現しています。彼らに比べたら、幼稚園児のような自分ですが、その深さを学び、神の臨在の中で栄化を求めたいです。

カイラスの大聖について他のブログで紹介されているものを抜粋Shareさせていただきます。
カイラスの老聖人について》~サンダー・シングの話
「目には非常な輝きがあり、私の心の奥底を見通し、思いを見透かしているかのような鋭さがあった」
  老人は目を見開くと、こう述べた。「話し始める前に、祈りの言葉を捧げましょう」 このように言うと、彼は大きな巻物の聖書を開き、マタイ福音書の第5章から聖句を読み上げた。読み上げると、祈るために跪き、主イエズスの御名で終わる、非常に熱心かつ厳粛な祈りを捧げた。
  このような荒涼たる地域に熱心なキリスト者と祈りの人を見出せるとは予想もしていなかったため、サンダーにとって、これは非常な驚きとなった。初めは、欺かれているのだろうかとも考えたが、その後に続いた話を通して、これはすべて神のお計らいによるものであり、神は霊的なことがらについての知識を増し、より強い信仰をもったしもべとなるために、自分をここに導かれたのであると確信した。
  ここで、サンダーは老人に過去の履歴と、このような場所に導かれるに至った経緯を話してくれるよう求めた。以下は、老人自らがサンダーに語った、簡単な生い立ちである。
  老聖人自らが綴るその生い立ち
「私は彼らに永遠の命を与える。彼らはけっして滅びることなく、私の手から彼らを奪い去る者は誰一人いない」(ヨハネ10:28)
  今よりおよそ318年前、エジプト、アレクサンドリアイスラム教徒の家に、私は生まれた。終夜祈祷と日々の黙想を通して神の奥義に通じ、霊的な事象についてより完全なる知識を得ようと、30歳にして世を捨て、隠者になった。だが、自分の目的を達し、落ち着かぬ魂に安らぎを与えるべく苦闘したにもかかわらず、この目標に向けて自分を助けてくれるものは何一つないように思えた。そればかりか、月日が経つにつれ、 魂はますます落ち着かなくなり、私は内的な闘争の力を静め、歓びのない心に平和と安らぎを与えてくれるものを求め始めた。
  このようにして、霊的な苦しみの最中にあったある日、キリスト教の聖者がインドから来たことを知らされた。彼は罪人を救い、疲れた者を休ませる力をもつという救い主に ついて説教をしていた。これを聞いたときに、私も彼に会い、私を苦しみから救う力が彼にあるかどうかを知りたくなった。
 その聖者との出会いを考えていたある日、驚いたことに、その人自ら、私を訪問してくださった。その人は、私が悲しみにひしがれているのを見て、沈んだ心を元気にし、安らぎとなる言葉をかけてくださった。話を交わす中で、イエズス・キリストについて多くのことを語ってくれた。主が地上で過ごされた、聖なる模範的な人生、罪人を救うその力、倒れた、身寄りなき者に向けられたその愛と気遣い。この神の人の愛と情け、そして、イエズスについて彼が話してくれた幾つかのことがらが、私の心に不思議な感化を及ぼした。そして、私は自分の試練の時期が今や終わり、長いこと求めながらも得られずにいた、あの心の平和と霊魂の幸せを得るべきときが来たと、内に確信するようになった。
  このキリスト教の聖者は、最初の訪問以来、何度も私を訪ねて来られ、イエズス・キリストとその救いの力についてさらに多くの話をしてくださった。救い主について聞けば聞くほど、学べば学ぶほどに、ますます、私の心は主に奪われた。ついに、イエズスが、主お一人が私の乱れた魂を静まらせ、内なる平和と歓びを与えてくださることに、一抹の疑いも挟まなくなったときに、私は師から洗礼を受けてキリスト者になった。直ちに新しい歓びが魂に入り、外に出て魂の救い主について人々に話したいという衝動に駆り立てられた。それで、もっと多くを学び、強い信仰を持てるために、国内伝道旅行に随行することを許してくれるよう、師に願い出た。幸いにもこの願いは認められ、私は聖者と共に旅をすることになった。
  東洋で働いたイエズス会伝道師の中でもっとも優れた存在と思われる、かの有名なフランシスコ・ザビエルの甥、イェルナスが、わが敬愛する教師の名である。このイェルナスは、ほぼ全世界を行き巡り、インドでも数年間を過ごし、中でも皇帝アクバル、その他の著名人と宗教指導者たちに洗礼を授けた。
  (訳注:イエルナスはラテン語のヒエロニムス、英語のジェロームに対応するアラビア語。この人は、ザビエルの甥でインド伝道に大きな役割を果たした、ジェローム・ザビエルかもしれません。ムガール王朝時代のインド絵画に、アクバル王と共にしばしば描かれています)
  この新約聖書の巻物もまた、わが師イエルナスから賜ったものであり、私にとってはかけがえのない宝物である。それは、コンスタンティヌス皇帝の時代に写経された新約聖書の数少ない写本の一つなのだ。フランシスコ・ザビエルが数年間それを所持していた。
 彼が死んでから、わが師である甥の手に渡った。
  共に数年を過ごしてから、師は私を一人にされ、導かれるどこにでも赴いて神のみ言葉を伝えるようお命じになった。彼の命令に従い、私はまる75年間、すなわち105歳になるまで、ほとんど世界全域を行き巡り、町から町へ、国から国へ神のみ言葉を伝えて歩いた。かくまで多くの国々を巡った結果、私は21ケ国語に通じるようになった。
  105歳になり、体力と精神力に衰えが見え出し、活発な仕事に持ちこたえられなくなったと感じてから、私は、完全な隠居の中で余生を過ごし、たえざる祈りと黙想と、活発な伝道に励んでいる主のしもべたちの執り成しの中で生涯を終えることを決意した。
  このような意図を持って、私はかつて旅をしたことのあるインドのこの場所に来たのである。私が選んだ地点は、人の集落からはほど遠く、どんな人間からもこの静寂な生活をかき乱される危険はない。まわりに広がっているのは、たくさんの果実と薬草だらけの自然の庭園である。それを食べて私は生きている。その中には、特定の病に有効なものもあれば、毒を含むものもあり、生命の液そのものを含むものもある。これらを食用にすることによって、私は自分の中に今もある力を得ているのだ。
  夜昼なく雪の降る冬場には、野生の熊たちもこの洞窟に入ってくるので、われわれは共に寝て、互いを暖め合う。この洞窟でしばらく過ごしてから、私は、この仮の宿を離れて天の故郷に帰るときが来たと考えた。だが、これほどの歳月が経過したにもかかわらず、私は一向に、肉体にも精神にも衰えを感じないのだ。ある日、私は座って瞑想しつつ神に祈り、それが御心であるならば、私を天の故郷に戻していただきたいと神にお願いしたが、突然、洞窟の中に不思議な振動音が聞こえてきた。何百匹もの鳥が中で飛び立っているようにも感じられた。だが、上を見ても、下を見ても、何も目に入らなかった。
  音がし始めてからしばらく経ったが、やはり何も見ることができない。そこで、私は姿勢を正してこう祈った。
  「ああ、神様、もしこのことに何かの秘密が隠されているのであれば、どうかしもべにそれを明らかにし、御心を知らしめてください」
 祈り終わらぬうちに、何者かに瞼を触られているかのような感触を覚えた。それが起こるが早いか、霊眼が開かれ、何百人もの御使いが洞窟を埋め尽しているほか、それ以上の天軍が神を褒め称える賛美歌を歌いつつ、天から舞い降りてくる光景を見た。この天軍以外に、彼らの王であられる、イエズス・キリストさえ天から降り、私のほうに降りてこられる光景を見た。それを見て、私は地に顔を埋めて主を仰いだ。
  だが、まもなく、主は手をとって私を起こされ、このようなお言葉をかけられたのである。
  「わが忠実なるしもべよ。決して死なず、近づくわが再臨のときまで体の中で生きているよう、私はあなたに永遠の生命を授ける。これ以後、あなたは、私の教会のために執り成しの祈りを捧げるために、時を過ごすのである」
 主がこのお言葉を話されてから、私は新しい心、罪と穢れから清められた心を与えられ、自分が新しく生まれ変わったように感じた。それから、主と聖なる御使いの大いなる軍勢が天に向かって離れるのを見た。
  彼らがみな離れると、何人かの聖人が私に近づき、与えられた新生と大いなる特権を喜ぶよう促された。彼らは、地上で人生を終え、今や永遠の安息に入り、栄光の冠を得た人々であった。そのとき以来、この聖人たちの誰かが常に共におられ、私が神から託された仕事を全うできるよう助けてくださっている。今や、私の唯一の仕事は、全世界に広がるさまざまな派のキリスト教会のために、執り成しの祈りをすることにある。私は、神への賛美と詠唱を歌い、聖句を読み、それに黙想しながら、祈りと執り成しの時間をもつことで一日を開始する。
  神が私にお委ねになった特権は他にもある。それは、霊において全世界の各所を訪れるということである。彼らの特別な必要と弱さを知ることなくして、どうしてさまざまな教会のために執り成しの祈りができようか。こうして、体を洞窟の中に置いたまま、霊においてさまざまな人と場所を訪れることに、一日の何時間かを費やしている。

  ああ、神の道よ、
  悲しみと戦いを通して、
  私たちを父のみ顔に近づけてください。
  ああ、天上の真理よ、
  ああ、いとも尊き主よ、
  いつの日か、
  いつの日か、
  私たちはあなたの中に安らぎます。

カイラスの老聖人について》~サンダー・シングより

Jesus MinistriesのSadhu Sundar Selvaraj氏メッセージより

www.youtube.com