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神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

カイラスの大聖 その3 ~サンダー・シングの出会った栄光体  諸聖人の通功SS8

「聖なる生活」より:

サンダー・シングは、1912年、1916年、1917年の3回、このカイラスのリシに会見している。次に2度目の会見に話を移すことにしよう。1916年7月16日、『ナー・アフシャム』紙に寄せたサンダー・シングの手記は、次の言葉で始まっている。

キリスト者のあるひとりのマハリシ(大聖)が、ここの洞窟に住んでいる。私が、その聖人との予期せぬ出会いを話した時、それを作り話と考え、全く信じない人々もいた。それは夢か幻だったのだろう、と多くの人が言っている。そこで私は、一緒に来て会っていただきたいと、多くの紳士諸君に頼んだ。だが、残念なことに、ウィリアムズ神父を除き、他の誰もが準備できていなかった。そして最後には、彼も来ることができなくなった。神は、今は、この大聖と会う二度目の機会を、私にお与えになった。大聖は、私が最初に訪れたときと正確に同じ場所にいた。彼は、まるで私と常に一緒だったかのように、私のこれまでの人生を細部にわたって述べ立てた。

 私の親友のひとりの宣教師は『今度、大聖と会われるときには、私を祈りに加えて下さるよう勧めていただきたい』と言っていたのである。このことを伝えると、大聖は次のように答え、私は非常に恥ずかしい思いをした。『あなたから勧められる必要は無い。我が人生全体が祈りの伝道に捧げられているのだから、私は求められずとも、全ての人のために祈っている。行って、友人の宣教師に言いなさい。あの罪を捨て去らない限り、私はあなたのためには祈れないと。たとえ私が祈っても、彼の罪が祈りの応答を妨げるからだ』私は、これを聞いて非常に驚いた。友人の心理状態をどうやって知ったのであろうか。私は、帰るとすぐ、友人にすべてを書き送った。友人は、非常に動揺して、自分と神以外だれも知らないと思い込んでいたその罪を、涙をもって悔い改めた。

 大聖は、またこのようなことを述べた。『密かに罪を犯している時、見ているものは誰もいないと本人は思い込む。だが、そこには神の聖天使以外に、既に他界しているゆかりのある霊たちも必ず集まっているのだ。私には彼らの姿が見えるが、彼らが姿を見せることは許されていない。誰かが罪を犯しているのを見るとき、彼らは落ち着かなくなり、離れ去ってしまう。罪の悪臭があまりに酷いからである。これら霊たちと天使たちとは、審判の日に隠れた罪の証人となるだろう。

 だが、諸聖人と聖天使は、常に、聖書を学び、祈りに忙しくしている人々と共にいる。昔の人々が感じ取った“諸聖人の通功(聖徒の交わり)”がこれである。我々が、心を尽くし、魂を尽くして神への奉仕に忙しくしていれば、死に臨む時にこれら諸天使、諸聖人方が来て、いつまでも神の近くにいられるように迎えいれてくださるのだ』。

 この後にもたくさんの話が続いたが、その全てを書いている時間はない。最後に大聖は祝福を持って、私を送り出した。私は前以上に彼の素晴らしいクリスチャン生活を確信するようになった。彼の語った事の何もかもが真実であることが、後日判明したからである。私は尋ねた。「この世の山奥に住みながら、どのようにして世界のことをお知りなるのか」と。これに対し、大聖は列王記第二5章26節、コリント人への手紙第一5章3節、コリント人への手紙第二 12章2節、コロサイ人への手紙2章5節の各聖書箇所を示してお答えになった。」~以上「聖なる生活」より

Ⅱ 列王記5:26

エリシャは言った、「あの人が車をはなれて、あなたを迎えたとき、わたしの心はあなたと一緒にそこにいたではないか。今は金を受け、着物を受け、オリブ畑、ぶどう畑、羊、牛、しもべ、はしためを受ける時であろうか。

Ⅰコリント5:3

しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。

Ⅱコリント12:2

わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた―それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。

コロサイ2:5

たとい、わたしは肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたと一緒にいて、あなたがたの秩序正しい様子とキリストに対するあなたがたの強固な信仰とを見て、喜んでいる。~(口語訳)

※以上の大聖の示した聖句から、大聖はエリシャや使徒パウロと同様に、身体を離れ、霊において世界をめぐることができると語っています。また、大聖の語る“諸聖人の通功(聖徒の交わり)”についても、聖なる日々を送るために、心しておかなければならないことです。

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