神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️栄化への実践1 〜ともし火を掲げ続けよ SS26

    マタイ伝6章で主イエスが語られた「❶単一の目」について、このブログで何度も説明してきました。最近、ルカ伝で示された「ともし火を掲げる」ことから、全身が光に満ちる「栄化」についてのレーマを紹介してみます。私見ですが、実際に体験すると、とても軽やかで爽快です。天国の御座を見つめ続けることで、この世の煩いが減っていくように感じます。

    この内容が正しいかどうかは、ご自身で決めてください。

    ルカ伝11章にも❶単一の目について主イエスが語られた箇所があります。しかし、以前にも語ったように、日本語訳聖書で「単一」と訳しているものは、回復訳しかないのです。回復訳以外では、ものみの塔の新世界訳が「純一」と直訳に近い訳をしております。

《日本語訳聖書》

11:34あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。(口語訳‬‬)

11:34あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。(新共同訳‬‬)

11:34からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。(新改訳)

11:34汝の身の燈火は目なり、汝の目正しき時は、全身明るからん。されど惡しき時は、身もまた暗からん。(大正改訳)

11:34体の明かりは、その目です。だから、あなたの目が純真である時は、あなたの全身も明るいが、それが邪悪なものとなるとたん、あなたの体も暗くなります。(TR日本語訳)

11:34体のともしびはあなたの目です。あなたの目が純一なときには,あなたのからだ全体もまた明るくなります。しかし,それがよこしまなときには,あなたの体もまた暗くなります。(新世界訳)

 

ルカ伝11章(回復訳)

33❷ともし火をつけた後、それを穴蔵や升の下に置く者はいない.入って来る人にその光が見えるように、❸燭台の上に置く。
34あなたの❹目は体の❷ともし火である。あなたの目が❶単一であるなら、あなたの❺全身も光に満ちる.しかし、目が悪ければ、あなたの体も暗い。
35だから、❻あなたの内にある光が、暗やみにならないように用心しなさい。
36あなたの❺全身が光に満ちていて、暗い部分がないなら、❷ともし火の光があなたを照らす時のように、全体は光に満ちる」。(回復訳)

 

   この❶単一の目について、サンダー・シングは、以下のように語っています。

サンダー・シングの話〜

「天界では、肉眼によってではなく、❶霊眼によってものを見る。わたしは、この❶霊眼が、肉体を離れ去った後で、誰もが使うものであると言われた」。

    天界の中央は❼キリストである。キリストが中央にありながら、どこに行ってもそこにいると言う。*「神の中心はすべてにあり、神の円周はどこにもない」とのべた聖ボナヴェントゥラ(1221-1274)は、天界を垣間見たに違いない。「御座のキリストが常に中央にある。それは言語に絶するほど神聖な御姿である。恍惚(エクスタシー)の際にわたしが拝したその御姿は、わたしが回心の時に見た御姿と全く変わらなかった。主は、御血の流れる傷跡を今もお持ちである。傷は醜くなく、美しく❽栄化されている。御顔にはひげがあり、長いひげは黄金のよう、輝く光線のようである。御顔は、照り輝く太陽のようである。しかし、その光はわたしを幻惑させることはない。優しい御顔である。常に微笑み、愛らしく輝く笑みを湛えられている。恐ろしい御姿では決してない。

    キリストの御座の周囲には、輝かしい霊的存在者たちの大群衆が、どこまでも広がっている。聖徒たちもいれば、天使たちもいる。その違いを見分けることができない。違いは重要ではない。われわれは皆一つである、と彼らはわたしに語った。彼らは皆、キリストの弟のように見える。彼らは皆❽栄化されているが、主の❾栄光は、彼らよりもはるかに輝かしい。また彼らは栄光の度合いに違いがあり、それは色の違いにも似たところがあるが、それほどはっきりしたものではない。

    そこでは、この世界よりはるかに多くの色がある。その美しさと比べれば、ダイヤやその他の宝石さえも色あせる。わたしに語りかける時、彼らは一瞬のうちにわたしの心の中に思いを注ぎ込む。それは、地上において、相手の話そうとすることが、話す前からわかるのにも似ている。わたしは、霊界の言語を学ぶ必要はなかった。体を離れてあの世界に入るとき、われわれはいとも容易に、ごく自然にその世界の言語を話し始める。それは、新生児がこの世に生まれ出る瞬間に、全く未経験であるにもかかわらず、すぐさま呼吸をし始めるのと同じである。〜サンダー・シング「Visions of the Spiritual World (London: Macmillan, 1926).聖なる教え」より

ルカ伝11章では、

33❷ともし火をつけた後、それを❸燭台の上に置けと言っています。34あなたの❹目は体の❷ともし火です。あなたの目が、天国のキリストを見つめ、その見つめる先が❶単一であるなら、あなたの❺全身も光に満ちると言っています。天国の会衆は皆❽栄化されていて、主の❾栄光は、彼らよりもはるかに輝かしい。その光を反映するのです。

    同じように、36あなたの❺全身が光に満ちていて、暗い部分がないなら、❷ともし火の光があなたを照らす時のように、全体は光に満ちるのです。❷ともし火は、天国とつながる一つの目です。

    また、啓示録21章では、小羊(イエス)が❷ともし火であると言っています。

21:23都の中では、太陽も月も輝く必要がない。神の栄光がそれを照らし、❼小羊がその❷ともし火だからである。(回復訳)

    キリストの御座の周囲には、輝かしい霊的存在者たちの大群衆が、どこまでも広がっているとサンダーが言っているように、❶単一の霊眼で❾光輝く❷ともし火なる❼キリストを見つめることで、❺全身が光に満ちて❽栄化へと近づくのです。

そのための心がけをこのルカ伝11:33で言っているのです。❷ともし火=❶単一の目=❼小羊キリストを、入って来る人(人々)にその光が見えるように、燭台の上に置くこと。

❶単一の目(霊眼)を開いて、❼小羊キリストの栄光の光を上に置く生活で、皆❽栄化されています。主の❾栄光は、彼らよりもはるかに輝かしいので、36あなたの❺全身が光に満ちていて、暗い部分がなくなり、❷ともし火の光があなたを照らす時のように、全体は光に満ちる❽栄化が進んでいくのです。

    敬愛する師は、❶単一の目=霊眼は、眉間にあると言っていました。私は、眉間よりも上の前頭葉にあると感じます。そこ(霊眼)から、天国の門を開いて、主の栄光の光を常時頂いて生きることで、❺全身が光に満ちてきます。

また、啓示録(黙示録)1:20に❸燭台とは、召会(エクレシア)であると言っています。

啓示録1:20あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の❸燭台の奥義はこうである。七つの星は七つの召会(エクレシア)の➓使者たちであり、七つの❸燭台は七つの召会(エクレシア)である。(回復訳)

    ルカ11:33で、入って来る人(人々)にその光が見えるように、❸燭台(エクレシア)の上に❷ともし火(=❶単一の目=❼小羊キリスト)を置くとは、どういうことでしょうか。

回復訳啓示録1:20フットノート1にこうあります。

「➓使者たちは、諸召会の霊的な人たち、イエスの証しのために責任を担っている人たちです。彼らは星のように天的性質の者であり、天的立場にあるべきです。使徒行伝と書簡で、長老たちは地方召会を運営する指導者でした(使徒14:23.20:17.テトス1:5)。長老職は幾らか公式のものですが、本書が書かれた当時、召会の中の職務は、召会の堕落のゆえに低下していました。本書で主は、霊の実際に戻るようにと、わたしたちの注意を呼び起こされます。ですから本書は、長老よりも召会の使者たちを強調します。長老たちの役目は容易にわかります。しかし信者たちは、正当な召会生活のために、使者たちが霊的で天的な実際を備える必要があることを見るべきです。彼らは召会の堕落の暗黒の中で、イエスの証しとなるのです。本書の最初のビジョン、諸召会に関するビジョンの中で、キリストと諸召会の使者たちは、かつてないほど、また最も特別な方法で、諸召会について開かれています。このために、信者たちは彼らの霊の中で、特別なビジョンを見る必要があります。」〜以上、抜粋〜

 

    ➓使者の使命は、霊的で天的な実際を備える必要があり、彼らは召会の堕落の暗黒の中で、イエスの力強い証しを行います。啓示録の最初のビジョン、諸召会に関するビジョンの中で、キリストと諸召会の使者たちは、かつてないほど、また最も特別な方法で、諸召会について開かれています。このために、信者たちはエクレシア(集まり)で(天国を見る霊眼が開かれた)彼らの霊の中で、特別なビジョンを見る必要があります。

天国の門が礼拝や集会中に開かれることで、入って来る人(人々)にその光が見えるように、❸燭台の上に置くのです。それは、天国のキリストを見つめる❶単一の目を開き続け、高く掲げ続けることで、個人では全身が明るくなり、❸燭台=召会(エクレシア)では主の栄光が照り輝くことになるのでしょう。

Ⅱコリント3:18

しかし、わたしたちはみな、おおいのない顔をもって、鏡のように主の栄光を見つめつつ映しつつ、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられていきますが、それはまさに霊なる主からです。(回復訳)

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/09/30/073208

 

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/06/18/091524