神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

創世記の光の疑問②〜ハヌカの秘密

ハヌカ 隠された光...】

 

https://youtu.be/-LF17ckeN-E

 

この動画では、創世記の光について ユダヤ 神秘主義のアビシャル・ハルシェフィー博士が、スピリチュアルな解釈をしています。

 

博士は、天地創造の一日目に造られた ❶「光」は、生活に使うための光ではなく、世界に光を与えるための聖なる光と語ります。また、一日目の光は異なる光、無限の光、太陽や月から出る光ではなく ❶神の光と言っています。もともと人間は、だれの霊魂にも無限の光があった。しかし、人間は罪を犯したので、神はこの光を隠されたと言っています。

ハシディズムでは、人間の魂にはいくつかの階層があり、ユダヤ神秘主義聖典ゾハルでは、その魂の階層について説明しています。

★ネフェシュ: 魂、体に一番近いところ、生命エネルギーを供給する、最下層の目覚め、意志、願い、善いことも悪いことも考えるところ。

ネフェシュ(魂)の修復のためには、良い意志を持つ必要あり、ルアッハ(霊)を臨在させる椅子となる。良い魂にはルアッハが宿る。

★ルアッハ: 人間の霊的・精神的側面、ネフェシュ(魂)とルアッハ(霊)が修正されたなら、ネシャマー(神的霊魂)が宿る。

★ネシャマー: 神的霊魂、天の霊、人にある神の姿としての部分、人間を神につなげる部分を持つ。ルアッハ(霊)は、ネシャマー(神的霊魂)を臨在させる椅子。ネシャマーは、すべての中で最も深く隠されたもの。

 

 

ハヌカの蝋燭の火のように、芯(身体)に近いところから、上に向かって、ネフェシュ(体に近い 魂、意志、願い)、ルアッハ(霊、人間の精神的霊的側面)、ネシャマー(霊魂、天の霊)がある。全てが揃って全き人となると語っています。

 

創世記を見てみましょう。

「初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。 「❶光あれ。」 こうして、❶光があった。 神は❶光を見て、良しとされた。神は❶光と闇を分け、 ❶光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

*****

16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、 昼と夜を治めさせ、❶光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。 夕べがあり、朝があった。第四の日である。」
‭‭創世記‬ ‭1‬:‭1‬-‭5‬, ‭16‬-‭19‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/gen.1.3-19.新共同訳

 

私には、創世記については、どうしても物理学的解釈がしっくりくるのです。

しかし、ユダヤ神秘主義の世界は、もっと奥が深いのでしょう。

「火のように、芯に近いところから、上に向かって、ネフェシュ(魂)、ルアッハ(人間の霊)、ネシャマー(神的霊魂)があります。全てが揃って全き人となる」

*****うーむ、どこかで聞いたことがあるなぁ。

アテフ師が話していた、パウロ書簡の内なる人の説明に似ています。

 

ユダヤ神秘主義が創世記の❶「光」を新約聖書の「内なる人」に繋げるとは、不思議です。

 

「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、 信仰によってあなたがたの心の内に❷キリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」
‭‭エフェソの信徒への手紙‬ ‭3‬:‭16‬-‭17‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/eph.3.16-17.新共同訳

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす❶光であった。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭1‬:‭1‬-‭4‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/jhn.1.1-4.新共同訳

「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。❶光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、❶光について証しをするために来た。 その光は、❶まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭1‬:‭6‬-‭9‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/jhn.1.9.新共同訳

バプテスマのヨハネが証ししたのは、来たるべきメシアである❷主イエスでありました。ヨハネ伝では、ヨハネが「❶光について証しをするために来た」とあります。

つまりその❶光とは❷キリスト=イエスであります。

博士は、「人間は神の臨在、その❶光を宿す椅子となることができます。」と語ります。

その❶光とは、❷イエス・キリストです。
全き人になるためには、私たちが❶光である❷イエス・キリストの椅子になる必要があります。

 

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ネフェシュ(魂)、ルアッハ(霊)、ネシャマー(神的霊魂)は、アテフ  師の説明とは、順番が逆です。

 

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芯(身体)に近い下から「ネフェシュ(魂)」「ルアッハ(人の霊魂)」「ネシャマー(神的霊魂、天の霊)」

 

全き人になるために、身体の上にネフェシュ、その上にルアッハ、そして一番上にネシャマーを臨在させて見上げるのです。

 

「賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。 …」
‭‭コヘレトの言葉‬ ‭2‬:‭14‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/ecc.2.14.新共同訳

ゾハル:「賢い人は、いつも頭の上にあるもの(ネシャマー 神の霊)を見ている。」

この神の霊とも言うべきネシャマーを失わないように、常に臨在を意識しているのです。

私たちは上にある ネシャマー(神的霊魂)を見上げて、常に神的霊魂を意識し、その❶光なるキリストを宿す椅子となることができるのです。

ユダヤ神秘主義では、聖霊バプテスマはわかりません。しかし、ネシャマーは、すべての中で最も深く隠されたものと言っています。

私は、やはりアテフ 師の説明のように、聖霊が心の王座に着くと感じます。

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どちらにせよ、私たちは、神的霊魂の椅子となり、その火を輝かせて行こうではありませんか!