聖書の最初の書物、創世記を読むと、まず壁にぶつかる人がいます。一日目の光で昼と夜を分けたのに、四日目でまた、太陽と月が創造されたのですから、わからなくなるのです。なぜ二日間に分けて、光が創造されたのか?矛盾している、出鱈目だ。そんなふうに最初に壁にぶち当たるのです。
これは、聖書という聖なる書物を読むべき人間をふるい分けるための壁のようです。
よく読むと、一日目の❶光は、ただの ❶「光」とあります。それに対して四日目の❶光は、❷「光る物」とあります。同じ昼と夜を分けるものですが、❶「光」と❷「光る物」では違うのです。
天地創造の一日目の❶「光」と四日目の ❷「光る物」の意味がわかりました。
天地創造の一日目に造られた ❶「光」は、波であり、粒子である物理学の光子です。つまり❶光のもと光子という物理現象を創造されたのです。
創世記を見てみます。
「1初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。 「❶光あれ。」 こうして、❶光があった。 神は❶光を見て、良しとされた。神は❶光と闇を分け、 ❶光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
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16神は二つの大きな❷光る物と星を造り、❸大きな方に昼を治めさせ、❹小さな方に夜を治めさせられた。 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、 昼と夜を治めさせ、❶光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。 夕べがあり、朝があった。第四の日である。」 創世記 1:1-5, 16-19 新共同訳 https://bible.com/bible/1819/gen.1.3-19.新共同訳
一日目に創造されたのは、❶「光」であり、❷「光る物」ではありません。光という波であり粒子である物理現象の光子。それにより、神は闇の中に❶光という全宇宙を見渡すための波であり粒子であるものを造られたのでしょう。それは、ご存知のように物理学では、時間をつかさどるスケールにもなる❶光そのものです。
アインシュタインは、時間を測る物差しとして、光を使いました。天地創造の一日目の産物は、時間を規定するための光だったのです。そして、昼と夜を分けるために、❶光と言う物理現象を造られたのです。そして、夕べがあり、朝があった(つまり、時間ができた)のです。
次に、天地創造の四日目には、❷「光る物」を造られたのです。二つの大きな❷光る物とは、天体です。❸大きな方に昼を治めさせ、❹小さな方に夜を治めさせたとあります。
一般に肉眼では、月の方が大きく見えることが多いのです。しかし聖書は、正しく、大きい方=太陽に昼を治めさせたとあります。
創世記では、第一日目に時間のスケールとなる❶光という物理現象を作り、第四日目に❷光る物である天体を作ったのです。❶と❷は、全く違うものなのです。