マタイ16章より
16:21この時からイエスは弟子たちに、ご自分が必ずエルサレムへ行って、長老、祭司長、聖書学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目に復活させられることを、示し始められた。
16:22するとペテロは、イエスをわきへ引き寄せ、いさめ始めて言った、「主よ、神があなたをあわれんでくださいますように!そのようなことは、決してあなたに起こるはずはありません!」
16:23イエスは振り返ってペテロに言われた、「サタンよ、わたしから退け! あなたはわたしをつまずかせるものである.あなたは❶神のことを思わないで、人のことを思っている」。
16:24それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、❷自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい。
16:25自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために❸自分の魂の命を失う者は❹それを見いだす。
16:26人が全世界を手に入れても、自分の魂の命を失ったなら、何の益があるだろうか?人は自分の魂の命と引き換えに、何を与えることができるだろうか?
16:27なぜなら、人の子は彼の父の栄光の中で、御使いたちと共に来るが、その時それぞれに、行ないにしたがって報いられるからである。(回復訳)
長尾弘先生や横塚修身先生は、宗教や組織と関係ない立場で癒し行脚をして人々を助けています。図らずも、横塚先生の証の中に、栄化の重要なヒントがありますので、あえてそのままでシェア掲載させてください。
〜横塚修身先生のお話より〜
「神のお出まし」
昨日、16:00にハワイから帰国し、21:00に福岡へ・・・・・。
ハワイと日本の時差は17時間だから、ハワイにいたらこの時刻は前日の夜中の2時ということになる。
17日は炎天下のアラモアナのマジックアイランドで50人近くの方の癒しをし、18日は9時間のフライトで成田着。
そして、そのまま国内線に乗り換えて福岡へ。
到着後は福岡の病院のホスピス病棟へ。
体はもう極限状態。
しかし、
この極限状態こそがシメシメ😄、なんです。
ここからは長尾弘先生のお話。
「人様の為に無償の愛の実践をして、体を酷使すると魂が喜んでくれるのです。人様の為に肉体を使い、やがて限界を超えた時、心の奥底から真(まこと)の神がお出ましになられます。その時、病気の方に「治りなさい❗」
「痛みは消えなさい❗」
と言って体に命令すると、即座に病気は治り、痛みは消えるのです」
「それはなぜか?神が癒しをなさるからです」
「もう疲れた。もうこれ以上はムリ、出来ないもん」
とそう思うことがよくあります。
私たちは普通、ここで休憩をしたり、寝たりしますね。
でもそれではダメだということが長尾先生のお話を聞いて理解出来たのです。
もうダメだ・・・・・。
でも、ここからなんです。
ここからが大事なんです。
この限界を越えた時に本当の神がお出ましになられるのですから・・・・・。
実は昨夜、神にお出まし頂きたかったのです。
と言うのは・・・・・・、
福岡の病院では、末期のがん患者さんが私の帰りを待ち焦がれておられるのです。
この方は56歳になるM子さんで、末期の大腸がんだそうです。
ハワイに飛び立つ寸前、成田でフライトを待っている時にM子さんから電話がありました。
癒しを受けたいので福岡へ来て頂きたいと。
今日、明日の命だそうです。
暫し余談ですが、
現代医学はその限界を超えた時、患者をホスピスに送るケースが往々にしてあります。
「医師として精一杯手を尽くしましたがこれ以上はムリです。だから貴女はあの世へ帰る為の心の準備をして下さい」
はっきり言って、それがホスピスの実体ではないでしょうか。
これまでに何回もホスピス病棟へ行きました。
この2ヶ月だけで3回もです。
医に携わる人間として、その現実を客観視するとよく見えます。
ホスピス制度について言いたいことは山ほどあります。
矛盾を感じることは山ほどあります。
でも今はその事は措き、話を元に戻します。
電話口でMさんは言われました。
「先生がハワイから帰って来られる迄、何とかして生きてます。ですから帰って来られたら私を助けて下さい」
「分かりました。貴女がそれを望まれるのでしたら、ハワイから帰ったらすぐに飛んで行きます」
M子さんに帰国したらすぐに福岡へ行くことを約束してハワイへ飛び立ち、現地では大勢の方の癒しをさせて頂いたのは日本時間18日のことでした。
朝9時から16時まで一生懸命・・・・・・、
そう、
一生懸命やって。肉体の限界を越えなければならなかったのです。
神との遭遇、の為に・・・・・。
M子さんの命の炎が今まさに燃え尽きようとしている。
残り少ない命、
その命を一日一日精一杯生きて、私の帰りを一日千秋の思いで待ち焦がれておられるM子さんに神の癒しを受けて頂きたい。
その為には肉体の限界を越えなければならない。
昨日の昼にホノルル空港を飛び立ち、成田に着くまでの9時間のフライトでは一睡もせずにいました。
「寝てはならぬ」のです。
福岡に到着後、佐賀在住の友人の塚原先生のお出迎えで病院へ直行したのは10:時半頃。
M子さんが待つホスピス病棟の病室に入りました。
痩せ衰えた体をベッドに横たえたているM子さんの手をしっかりと握りしめて言いました。
「お待たせして申し訳なかったです。でも、やっとお会いすることが出来ましたね。もう大丈夫ですよ」
そう言うとM子さんの目から一筋の涙が流れ、細々とした小さな声で、
「先生のお帰りを待っていました・・・・」
傍らにはご主人と娘さんかその様子を見ておられました。
暫し病状を伺った後に癒しをさせて頂きました。
がんが治るように神に祈り、長尾先生に祈りました。
胃と内臓諸器官を元の正しい位置に戻した後にがん細胞に話しかけました。
「がん細胞よ、あなたの存在は認めます。
あなたを排除しようとはしませんが、あなたはご主人の体の中で災いを起こしてはなりません。あなたは自然治癒力に従いなさい。自然治癒力とは神そのものです。あなたは神との約束を果たしなさい。そして、がん細胞は健康なる細胞集団として変化しなさい。変化は神の法則です」
言い終わると、M子さんの顔色はみるみる良くなり、頬に赤みがさしてきました。
次に、
病魔に離れて頂く為に浄心療法をしました。
「この方に依存しておられる見えない世界の方や他の方のネガティブな想念、或いは自らが作り上げたネガティブな想念、これを病魔と申し上げています。その病魔さんはこの方から離れなさい」
こう語りかけること、およそ10分。
すべての療法か終わった後、M子さんの肉体は見違える程に変化か起きたようでした。
M子さん曰く
「体がフワフワして軽いです」と・・・・・・。
私(横塚先生)曰く
「私の体は重くなったんですけど・・・・😄」
神がお出ましになられたに相違ない。
神はその愛の深さゆえに、御姿を隠されたそうな。
だから神の存在を知ることが出来ないのが私たち人間の本質だそうです。
しかし、肉体の限界を超えたその時にお出ましになられるそうです。
「私はここに居るよ」と・・・・・。
病室を後にして友と遅い夕食を済ませて、空港近くのホテルにチェックインしたのは24時。
25時にベッドに潜りこんだものの、寝れないの。
寝れないのはシメシメ😄
「寝てはならぬ」・・・・・。
今日、これから又ホスピス病棟へ行ってM子さんとお会いすることになっています。
体はキツイ❗
でも、きっと又神さまとお会い出来るに違いない。〜以上〜
自分の肉体は、疲れて眠い極限状態にあるとき、自分の思いを優先すれば、23節「あなたは❶神のことを思わないで、人のことを思っている」と言われるでしょう。先生は、人の常識にとらわれずに、❶神のことを思って生きることを気にかけていたのがわかります。
24節-25節「だれでもわたしについて来たいと思うなら、❷自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい」と言われます。「自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために❸自分の魂の命を失う者は❹それを見いだす」とも言っているのです。
「❷自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい」の実践が、期せずして長尾弘先生や横塚修身先生の姿に映し出されているのがわかります。神学的議論は別にして、その姿勢は、十字架を負う姿です。十字架の実践のニアンスを掴んで、「神さまが現れる」実体験を我々も積むべきだと思います。
その秘訣は、長尾先生の話からわかります。「人様の為に無償の愛(❶神の思い)の実践をして、体を酷使する(❷自分を否み、自分の十字架を負う)と魂が喜んでくれるのです。人様の為に肉体を使い、やがて限界を超えた時(❸自分の魂の命を失う者は)、心の奥底から真(まこと)の神がお出ましになられます(真の❹魂の命を見いだす)。その時、病気の方に「治りなさい❗」
「痛みは消えなさい❗」
と言って体に命令すると、即座に病気は治り、痛みは消えるのです」
神の思いに従って肉体の限界を超えたとき、神が表に現れて奇跡がついてくるのですね。主イエスも、枕するところもなく、癒しのわざに励む生涯でした。実践の中で自分の栄化を求めることも方向は正しいのですが、❶神のことを思うことが、優先されるとき神が現れるのでしょう。
ローマ 8:13
肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。( 新共同訳)
無償の癒しを行いながら先生たちは、期せずして、それを体感していたのでしょう。
そして、不思議なことに、その働きがとても楽しく幸福なことだそうです。パウロも弱さの中で喜んでいると言っていました。なぜなら、わたしたちは弱い時にこそ、強いからです。
Ⅱコリント12:10
こういうわけで、わたしはキリストのために、弱さの中で、侮辱の中で、貧困の中で、迫害と苦悩の中で、十分に喜んでいます.なぜなら、わたしは弱い時にこそ、強いからです。(回復訳)
ローマ6:19
わたしはあなたがたの肉の弱さのゆえに、人の言葉で語ります。あなたがたは、自分の肢体を奴隷として不潔と不法にささげて不法に至ったように、今や自分の肢体を奴隷として義にささげて、聖別に至りなさい。(回復訳)
ヨハネ15:8
あなたがたが多くの実を結ぶことで、わたしの父は栄光を受けられ、こうしてあなたがたはわたしの弟子となる。(回復訳)
ローマ8:17
そしてもし子供であるなら、相続人でもあります.すなわち、わたしたちが彼と共に栄光化されるために、彼と共に苦しむなら、わたしたちは神の相続人であり、またキリストと共同の相続人です。(回復訳)
アテフ メシュレキー 師の語られたArt of sufferingの考えに近いものだと思います。
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2017/04/20/225934
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/05/01/025240
魂の命について
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/01/08/141116
2019.4.17撮影