神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️栄化への実践6 〜狭き門より入る

アンドレ ジイドの小説「狭き門」のストーリーには、神の国を求める信仰深いアリサという女性が出てきます。

主人公ジェロームは、従姉であるアリサに恋心を抱き、アリサもまたジェロームに好意を持ちます。

しかし、神への愛を求めて生きる信仰深いアリサは、ジェロームへの思いを断ち切ろうとしますが、精神的に衰弱し、人知れず死んでいきます。彼女は、自分が、ジェロームの信仰の邪魔になっていると考えたようです。

残された日記には、ジェロームを思う気持ちと❶「狭き門」を通って❷神の国へ行きたいという葛藤が記されていました。

アリサの日記には、「まず神の国と神の義とを求めよ」「その路は狭いのです、ふたり並んでは通れないほど狭いのです」

❸「わたしたちは、幸福になるために生まれてきたのではない」などが書かれています。

解説には、❶「狭き門」は、「清教徒的な克己主義の悲劇」が描かれているとあります。アリサの日記からは、厳格な清教徒の姿が見えます。

この小説は、❶狭き門より入るために、自分の欲を抑えて、神の国だけ考えて生活する厳格な清教徒を暗に批判したものだと、私個人は感じました。

【狭き門は隣人愛】

さて、マタイ伝には、小説のタイトルになった❶「狭き門」の話が出てきます。命に至る狭き門とは、何なのでしょう?主イエスは、そこでアリサのようになれとは、語っていません。

マタイ伝7:12-27

7:12こういうわけで、❹人にしてもらいたいことはすべて、そのようにあなたがたも人に行ないなさい.なぜなら、❺これが律法と預言者だからである

7:13あなたがたは❶狭い門から入りなさい.崩壊に至る門は広く、その道は幅広い.そして、そこから入って行く者が多い。

7:14❻命に至る門は狭く、その道は細いので、それを見いだす者は少ない。(回復訳)

 

    ここで❶「狭き門」から入るための大切な聖言があります。それは、(自分が)「❹人にしてもらいたいことはすべて、そのようにあなたがたも人に行ないなさい.」ということです。これが「❺律法と預言者」だとその大切さを強調しています。   

    小説でアリサは、第1の戒め『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』だけ求めている信仰者であるのに、罪責感も強く、恋愛や肉から解放されていない状態でもあり、その未熟な信仰のため、精神を衰弱させました。アリサは、ジイド自身の身近な実在から生み出した人物と考えています。その人物は、信仰も未熟で聖霊の力も受けていなかったと思います。

しかし、一番の未熟さは、アリサが、まず第1の戒めだけを考え、ただ❷「神の国」を天界に求めていたことなのでしょう。

しかし、❷「神の国」は、アリサが求めるように天上だけにあるものではありません。

    主イエスは、ルカ‭伝17:21で、(神の国は)「また人々が、『見よ、ここだ!』、『あそこだ!』と言うものでもない。なぜなら、見よ、神の王国は、あなたがたのただ中にあるからだ」。(回復訳)と語りました。

神の国は、あなたがた(複数=われわれ) のただ中(ἐντὸς=in the midst)にあるものなのです。

隣人を無視して、単身瞑想し、あの世のことばかり考えて生きていくのは、一人ぼっちの神の国です。キリストの言う❷神の国とは、われわれ複数(二人以上)の人の間に存在しています。

「栄化への実践5」で「実践的な力の伴わない瞑想や座禅だけの宗教なら、さっさとあの世に行ったらいい。ましてやそんな現世を変革できないSFの世界の教えでは、自分の魂を救うこともできない」と強く語りました。

ここで、第2の戒め『自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい』が大切になるのです。これは、マタイ伝7:12の❹「人にしてもらいたいことはすべて、そのようにあなたがたも人に行ないなさい」に繋がっていきます。

この隣人を愛する実践で、キリストの言う❷神の国は、われわれ複数(二人以上)の人のただ中に現れるのでしょう。

愛の実践が、現世を変革し、神の国をわれわれのただ中に見出します。否、神の国は、すでにイエス=キリストを信じるわれわれのただ中(間)にあるのです。その臨在の中で「❹人にしてもらいたいことはすべて、そのようにあなたがたも人に行ないなさい.」の実践が可能となり、「❺律法と預言者」を全うすることができるのです。その実践は、狭き門に入る秘訣だとマタイ伝7章は語っています。

神の国は、天上にあり、われわれのただ中にもあるのです。マタイ7:14❻命に至る門は狭く、その道は細いので、それを見いだす者は少ないのです。

狭き門は、神の国に至る針の穴なのかも知れません。そこを通るのは、「人にはできないが、神にはすべての事ができる」のです。マタイ19:26(回復訳)

なぜなら、神の義はこの福音の中で啓示され、信仰から信仰へと至らせるからです.「義人は信仰によって命を持ち、そして生きる」と書かれているとおりです。ローマ1:17(回復訳)

信仰により罪赦され、義と認められたわれわれは、聖霊による扶助と神の国を体験しながら、さらに聖化、栄化へと突き進んでゆきとうございます。

 

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アリサへの助言

1テモテ4章

4:1しかし、その霊は明らかに言います.後の時になると、ある人々はその信仰から離れ去り、惑わしの霊と悪鬼の教えに心をとめるようになります.
4:2その教えは、偽りを言う者たちの偽善によるものであって、彼らは自分の良心に焼きごてをあてたように焼かれており、
4:3結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりします.しかし食物は、信仰があり、真理の全き知識のある人たちが感謝をもって受けるようにと、神が創造されたものです。
4:4なぜなら、神が造られた物はすべて良いものであって、感謝して受けるなら、何一つ拒むべきものはないからです

4:5それは神の言と、とりなしを通して聖別されるのです。(回復訳)