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神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

長尾先生のお弟子さんの証詞 

この方のお話の中に、秘義があります。何か、とてつもない宝を見た思いがします。紹介させてください。

彼らは無償で癒しを行うグループ(癒し隊)です。宗教とは関係ありませんが、深い真理を実践しています。 そして彼らの行くところに、奇跡が追いかけてきます。

...

私たちは、私たち自身が喜びを頂けるから熊本へ行くのです。
少なくとも私はそうですが、他のスタッフの皆さんも思いは同じだと思います。

何日も仕事を休んで自分のことを後回しにして、しかも自費です。

この世的に見ると一見ばかげたことに見えるかも知れません。
一見、損することばかりしているかの様です。

でもね、そうじゃないの。
とてつもない喜びを頂けるのです。

これは理屈では分からない。
実際にやってみないと分からない。

その喜びがどんなものかは・・・・。

この世的には、

お金がたんまりとあると嬉しい。
好きな人と一緒にいると楽しい。
家庭が円満だと幸せ。
美味しいものを沢山頂けると嬉しい。
趣味も楽しい。

この世的には数え上げるときりがない程、楽しい嬉しい喜ばしいことはあるものです。

でもね、この喜びはすべて「この世的なもの」なんです。

「あの世的」なものではないのですね。

あの世とは天上界、天国のこと。

天国に住む天使たちの喜びは、常に人々の幸せだけを願って日々活動しておられるそうです。

「無償の愛の実践」をしてくれる人を探しておられるそうです

無償の愛の実践をされている方を見つけ出すと、天使たちは共に活動する事を歓喜するそうです。

それと同時に惜しみない応援をして下さるそうです。
私たちが密かに望んでいるものはすべて与えて下さるそうです。

半面、この世的なことに奮闘努力して、努力して努力して得難いものを得ようとするのはそれはそれでいいのですが、一度それを後回しにして愛の実践をしてごらん。
望むすべてのものが労せずして与えられるから・・・・・。

これホントの話です。

でもね、本当はこのことを言ってはならないのです。
言うと、ご褒美を目的にする人が居かねないからです。
これは本末顛倒ですね。

しかし、仮に本末顛倒でもいいのです。
ご褒美を目的にしたって与えられますのでご懸念なく・・・・・。

私の場合は理屈ではなく、与えられるからでも自分の心が喜びを頂けるからでもなく、ただ「それをしたいからやっている」だけなんです。

その結果、すべてのものが与えられているのです。
知らず知らずの内に引き寄せているのです。

この無償の愛の実践を命がけでされたのが長尾弘先生です。
先生はこう言われました。

「愛の実践をすることで肉体を酷使すると、心に無上の喜びを頂けます。心が喜んでくれるのです」と・・・・。

「極限まで肉体を酷使して愛の実践をすると、心の奥底から神がお出ましになられる」とも言われました。

「無償の愛の実践をすると、心のフィルターにたまっているゴミやスモッグが自然に払われてクリーンになり、本当の神さまがお出ましになるのです」とのことです。

求めても得れないものが、愛の実践をすることで得られるとすると、神社仏閣に行って神頼み仏頼みをする必要はないし、ましてやパワースポットに行く必要などさらさらにないですね。

神は私たちの心の奥底に鎮座ましましているそうです
パワースポットは私たちの心の中にあるのです。

神さまが出てこられるのならどんなことでも瞬時に叶う訳ですね。

だから行こう、熊本へ、って訳ではないですよ。

繰り返し言いますが、心が喜ぶのです。
天上界の仲間たちと心を共有して一つになれるのです。

長尾先生は言われました。
「愛の実践をすればする程、天国の蔵に宝を蓄えられます」

愛の実践は心の泉に愛を満々と蓄えます。その愛こそが優しさです。心の泉に愛が蓄えられたら、それを汲みだして他の方に差し出すのです。
蓄えられたら汲みだす、又与えられたら汲みだすという循環の中に生きると無上の幸せが得られることでしょう。

「この地上界にいる人のすべての方に幸せになって頂きたい、健康であって頂きたい」

それが長尾先生の願いであったし、師を慕う私の目標でもあります。

その目標を達成する為の小さな歩みが熊本なんです。

熊本での活動を耳にされた方からよく言われます「素晴らしい活動ですね」とか「偉いですね」とか・・・・・。

そうじゃないんです。
だってねボランティアではなく、私たち自身が喜びを頂けるからで自分の為なんです。だから偉くもなんともない。

最後にまた長尾先生のお言葉を引用します。

「人様に喜んで頂くことをすると、相手の方の心は喜びに満たされます。この喜びはそのまま私の喜びとなるのです」

人の喜びを我が心の喜びとする。
座右の銘です。」~以上。

愛の実践の中に、天使の惜しみない応援があるのですね。

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