以前に、掲載を躊躇した「栄化への実践17」の内容を記事として上げます。
仮庵の祭りとは、出エジプトでイスラエル民族が荒野の仮小屋に住んだことを記念し、子孫へ伝えるための祭りです。
また、ヨハネ伝1:14 の「ことば(λόγος:ロゴス)は、肉体と成ってわたしたちの間に幕屋(仮小屋)を張られた(ἐσκήνωσεν)」、つまり神がわたしたちと幕屋に住みたもうことを祝う祭りです。
この祭りの初日に行うことがルーラブです。
最初にルーラブのおさらいをします。
「初日には❶立派な木の実、❷なつめやしの葉、❸茂った木の枝、❹川柳の枝を取って来て、あなたたちの神、主の御前に七日の間、喜び祝う。」レビ記 23:40 (新共同訳)
【4種類の人間】
仮庵の祭りでは、祭りで使う4種類の植物を4種の人間と4器官に譬えています。
❶etrog (אתרוג) シトロン:心臓 。香りと食べられる実を兼ね備える人
❷lulav (לולב) ナツメヤシ:背骨。香りはないが食べられる実をつける人
❸hadass (הדס) ミルトス:目。香りだけを放つ人
❹aravah (ערבה) アラバ:口。香りも実もない人
ここでの「香り」とは、み言葉をよく知っていること、「実」とは❺行ないの素晴らしいことと言われています。4つの植物の中で、香りも実もすばらしいシトロンが神の前に最も貴い植物ですが、人間も上記の4種に分けられます。シトロンのようにみ言葉の理解とその実践のできる人が、神の前に貴いのですね。
しかし、これよりも大切なのは、4種の植物は、身体の4器官を表していることです。
これから話すことは、4器官についてそれぞれが、神の御国の支配に入ることについて話します。
私的な解釈ですが、4つの器官は、以下のような順番にできるのだと思います。
❹アラバ:口(聖霊による口舌の支配)→❸ミルトス:目(霊眼の開眼)→❶エトログ:心臓(心が神の国の支配に入る)→❷ルーラブ:背骨(キリストとくびきを共に生き、行動する)
霊→魂→肉体へと、変えられて行くのです。
以前に話した『内なる人』で、アテフ 師は、このように言っています。
「キリストが私たちの内に形造られる時、地に属する性質は消え、その地の枠組みはもはや存在しなくなり、神が私たちを造られた時に本来私たちの内に置いてくださった神の御思い、つまり御国の性質が私たちの人柄の中に表れてきます。
人の人柄や性質は、その地を支配している者から発生します。けれども、キリストが人の内に形造られる時、その人の心の思い全体が、みことばから派生しているもの、すなわちキリストの思いとなります。みことばは人の思いのうちに、神の御国の姿を築き上げます。神の御国の姿と御国に没頭することとがその人の存在全体を満たすようになります。その結果、御国の性質がその人の人柄となっていくのです。
悪しき力は、悪に属する者にしか影響を及ぼすことができないので、もはや御国の人柄に影響を与えることができなくなります。それゆえに、その人がこの地の悪しき力の影響からの解放を体験するでしょう(ローマ8:21)。このことを通して、人は神の支配下だけにとどまることができ、神様のメッセージを担い運ぶ真のキリストの大使(第二コリント5:20)となるのです。」
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/07/10/010454
【❶心臓を天に積む体験】
❶木の実(エトログ):シトロンは心臓であり、心を象徴する器官です。
以下は、私の経験であり、キリスト者として正しい経験かどうかは、各自で考えてください。ただ、確かにリアルに個人的に経験した内容ですので、紹介します。参考にしてください。
自身のことですが、2016年、仕事の問題があり、忙しさに追われる毎日でありました。その多忙ななかのプレッシャーから心臓が痛む状態でした。心が痛いというよりも、心臓が痛むのです。狭心症の方ほどではないでしょうが、毎日冷や汗をかいて生活しているような状況でした。
そのとき、第一の戒めとして示された「❶心を尽くして、主なる神を愛せよ」ということばが思い浮かびました。英文では、”Love the Lord your God with all your heart”(❶心臓のすべてで、主なる神を愛せよ。ルカ10:27)とあります。 「ああ、そうだ。このわたしの小さな心臓を、主に捧げよう。十字架上で張り裂けてしまった主イエスの心臓のためにも、わたしの小さな心臓が何か役に立つかもしれない。この心臓をまず天国に積んでしまおう。こんな幸いなことはない」そう思って、祈り、天の主へ心臓を上げてしまうと、なんと今までキュウキュウとしていた心臓が本当に楽になり、圧迫もどこかへ飛んで行ってしまいました。
当時、1,000人くらいの人前で話す機会が年に何度もありましたが、人前で話すときに緊張するタイプでした。しかし、この心臓を天国に積んでしまう体験を経て、大勢の人前で話すことに全く怖れが消えてなくなったのです。それどころか、楽しみにまでなりました。本当に不思議な心臓の癒しの体験であり、実際に自分の性質が変えられた体験でした。
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/02/29/005047
それ以来、大胆な人生の歩みができるようになり、この世に縛られない自由が与えられました。これは、みなさんにも是非体験してほしい豊かな祝福です。この御恩寵で、臆することの多かった臆病者が、確かに大胆に語る自由を与えられました。大変感謝な経験であります。
山上の垂訓では、「あなたの宝あるところに、心(心臓)在り」(マタイ6:21)とあります。
その最高の宝である心臓を天に上げてしまうのです。「For where your treasure is, there will your heart be also.」
Matthew 6:21 KJV
「For where your treasure is, there your heart shall be also.」(Bayit haMashiyach)
これを直訳すると、「あなたの宝があるところだから、あなたの心もそこにあるだろう」と言う意味です。
自分の持つ最高の宝であり、肉体の生命である心臓を、天国に上げてしまうことができると、この世の生活の思い煩いは、とるにたらないものになります。
❶心臓(心)が神の国の支配に入る体験で、大胆に、怖じることなく、人前で語ることができるのです。アテフ 師の言うとおり「みことばは人の思いのうちに、神の御国の姿を築き上げます。神の御国の姿と御国に没頭することとがその人の存在全体を満たすようになると、その人がこの地の悪しき力の影響からの解放を体験するのです(ローマ8:21)」。
「みことばは人の思いのうちに、神の御国の姿を築き上げる」「神の御国の姿と御国に没頭することとがその人の存在全体を満たすようになる」とアテフ 師は言っています。
肉の心臓を天に献げ、福音書のキリストご自身がありありと心に生きてくださると、「悪しき力の影響からの解放を体験するのです」。
以上、まだ内なる人を築き上げる過程で心臓についての経験は、とても有意義な経験でありました。
山上の垂訓では、4つの身体の器官について話されていると、栄化への実践16で説明しましたが、❷脊柱(背骨)については、書かれてないように見えます。しかし、山上の垂訓で話されている「行なう」ことがキーワードになります。
次は、栄化への実践22の記事で紹介します。