サンダー・シングの話〜
「わたしはキリストの体、つまり真の教会に属している。それは、形ある建物ではない。この地上に生きている人々と、この世を去って光の世界に入った人々とからなる、真のキリスト者の集合体である」
「教派は無用の長物である。神はただひとりなのに、なぜこうまで多くの教会があるのだろうか。なぜ不一致を起こしているのか。しかし、それが世の中なのである。すべての教派が一つになれば、それはもはや世ではなく天である。このような短い地上生の中でともに一致して生きられないクリスチャンを見るとき、彼らが永遠の世界の中でどうして共に生きていけるだろうか、とよく思う」
「わたしは、カトリックとプロテスタントが一致して大きなことを遂げられるとは信じていない。二つの色を合わせれば三つ目の色ができる。カトリックとプロテスタントが統一されれば、新種の教派を目にすることを予期しなければならない。わたしは、人的に作り出された一致というものを信じない。外側だけの一致は無意味である。キリストに一致している人々だけが、真実、主において一つになり、天国において一つになるだろう。真のキリスト者は、真の礼拝形式がいかに違おうとも、霊において一つである。わたしは、外的、人為的な一致は信じない。わたしが信じているのは、❶ハートと霊魂の内的な一致だけである」
「カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、わたしは❷特別な教会と言うものを信じてはいない。しかし、❸キリストの体を信じている。それは、❹真の聖徒と信者との集合体である。教会にはそれほどの価値を見ない。しかし、キリスト教は信じている。それは、わたしにとって、イエス・キリストご自身を意味するからである。あなたの所属教会はどこかと聞かれれば、わたしはこう答える。『どこにも属してはいません。わたしは❺キリストに属しています。それで充分です』と」〜サンダー・シング「聖なる教え」より
サンダー・シングは、❷特定教会には属さず、「❺キリストに属しています」と言っていました。彼は、教会を否定したのではなく、各地の教会をめぐり歩き、伝道した村で教会を作ることもしました。それは、彼が特定の教会や教派に縛られず、自分の見た天の礼拝をイメージしていたからです。どなたを礼拝するかが大切で、神学的な教義の違いなど関係ないのです。天国で礼拝をする者は、目と目を見つめ合わせるだけで、天国に籍を置く同胞であることがわかるのです。一瞬で❹真の聖徒と信者がわかります。❹真の聖徒と信者との集合体である❸キリストの体の中で、天の礼拝と同じように父なる神を礼拝することで❺キリストに属していることがわかるのです。
サンダーは、全ての教会が天の礼拝に参加することで❶ハートと霊魂の内的な一致が可能であり、教派など関係ないと言っているのですね。
エフェソの信徒への手紙1章 23節
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(新共同訳)
エペソ 1章23節
この召会は、キリストの1からだであり、すべての中ですべてを3満たしている方の2豊満です。(回復訳)
1章23節 フットノート3
キリストは無限の神であり、何の制限もありません。彼は、すべての中ですべてを満たしておられるほど偉大です。そのような偉大なキリストは、彼の完全な表現のために、彼の豊満である召会を必要とされます。
この章では、その達成のために同じ基本的要因を必要とする七つの重要な点があります。すなわち、わたしたちが聖く傷のない者になるようにとの神の選び(4節).わたしたちが神の子たちとなるようにとの神の定め(5節).わたしたちが完全に贖われるようにと聖霊の証印を押されること(13―14節).神の召しの望み.聖徒たちの中にある神の嗣業の栄光(18節).わたしたちにキリストの到達したものにあずからせる神の力(19―22節).キリストのからだ、すべてを満たすキリストの豊満です。これらすべては、三一の神がわたしたちの中に分与され、造り込まれることによって達成されます。わたしたちの人性の中へのそのような神聖な分与の結果は、すべての中ですべてを満たす方の豊満であり、神の表現された栄光の賛美です。実は、この章は、神が永遠においてわたしたちを選ぶことから、キリストのからだを生み出して永遠にわたって彼ご自身を表現するまでの、神の驚くべき卓越したエコノミーの啓示です。(回復訳)