神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

神の意思疎通その3 ~御霊の導きからの奇跡 FBより

  FB過去の記事より

 今日は、永田町の集会に行く予定が、出がけに聖霊様の声で、ある教会を示された。なぜかわからなかったが、このようなことはよくある。そこで急遽そちらに向かった。一度しか行ったことのない教会で、遅れてしまった。入っていくと、説教中の牧師先生が叫んだ。「ああ神様。なんていうことか。」私は、わからなかった。しかし、それは奇跡の始まりであった。牧師夫妻は、木曜から祈っていたという。そして、わたしも示されていた通りにおこなっていた。主はその祈りに応えられた。詳しいことは書けないが、この教会では、使徒行伝時代の出来事が今も継続して起きている。皆で確かに「神様はいらっしゃる」と声をあげた。アァメン。栄光在主!
 主の声は、時々、「本当なの?」と思うことをおっしゃるが、疑わずに従うことが大切です。それに従って、思い違いだと感じることもあっても従うのが訓練です。全く理由がわからず、空振りに終わるときもあります。それでも、主が何か示していることがあります。「その電車を使うな」と聞き、あとで運休になっていたり、「その道に行くな」と聞き、大きな事故があったと聞いたり。
 そんな主の御声の小さな訓練に従っていくと、本当に不思議な奇跡的な御心が示されてくるのです。この御声への応答は、主の御心をさぐるスリルがあります。そして、とてもすてきな祝福がついてきます。
 自分の考えや思いではなく、主の御声に従うことで、羊が羊飼いの声を聴き分けるように訓練されるのですね。

敬愛する師の召命の聖句は、イザヤ30:20-21でした。私のとても大切な聖句でもあります。 
「主はなんぢらになやみの糧とくるしみの水とをあたへ給はん なんぢを敎るもの再びかくれじ 汝の目はその敎るものを恒にみるべし
◉なんぢ右にゆくも左にゆくもその耳に これは道なりこれを歩むべしと後邊(うしろべ)にてかたるをきかん」イザヤ30:20-21(文語訳)
 これこそ、キリスト者の慰めであります。心ぼそく、死の陰の谷を歩むときも、後ろから「これが道だ。これを歩め」との声がするとき、「ひとりではない。主がともにいてくださる」と勇気づけられるのであります。アァメン。

f:id:AdonaiQuoVadis:20160804180227j:plain