神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

祈りの中で71 ~主の祈りに侵入したパン種

自分はいつも、ぬるい風呂に半身浴しながら祈っています。少しずつの湯水を洗面器に流しながら、それがいっぱいになるまで祈ります。その時々で時間が変わるが、全く関係のないことを考え、ご臨在がなくなったりしたら、洗面器の湯水をかぶり、時間延長しています。続けて何セットか祈ることもありますが、基本は、主の祈りだけで、1時間かな。霊歌を使うことが多いです。

主の祈りには、天を開く秘訣が入っています。一昨日の祈りでは、最後のセットでなぜか違う声が入ってきました。水がたまることにこだわらず、もう上がれという声でした。主の御声のように思って、石の心でなく従うと、すぐいやな気分になりました。これは、違う者の声だなと思いましたが、実際その日は、ひどいことが2つ起こりました。

いつも、後代に付け加えられたと思われる主の祈りの最後は祈らないようにしていますが、「栄が神とともに在らんことを」は、祈ることにしていました。しかし、この付け加えの祈りのあたりが、特に危険であることを今日示されました。祈りの締めとして臨在が帰ってしまうのです。そのときに悪い者が声をかけたりするのでしょう。

以前にも書きましたが、「国と力と栄とは、かぎりなく汝のものなればなり」の一節は、後代に付け加えられた「パン種(雑菌)」です。主の祈りを一生懸命にしても、この一句で「神の国と神の力とその栄光の顕現」が天へ帰ってしまうのです。また、日本語訳もひどいのです。ひどい毒です。

主の祈りは、「御名をあがめさせたまえ(ご栄光を見せてください)、御国を来たらせたまえ(神の国を来させてください)、御心が天になる如く地にもなさせたまえ(御力を現してください)」から始まっています。その祈りの3つの主要素を、「永遠に汝(神様)のものなればなり」と閉じてしまっていることに、違うものの介入を感じます。

われわれは、祈りが終わっても、生活の全体で「神の国と力と栄光」の顕現をずっと求めるべきです。そのご臨在に浴することこそ主の祈りの願いなのです。この付け加えられた一句のために、どれだけ主の祈りの効力が弱まってしまったか。

そのようなことを示されました。

※ファイヤーバイブル(Fire Bible) と原文校訂による口語訳(フランシスコ会)

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