神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

🎵長尾先生に学ぶ ~心を大切にしたヒーラー 奇跡23

長尾先生に学ぶことは多いです。先生がまず大切にしたのは、『心』でした。

マルコ伝を通して、心を苦しめる悪想念を指摘し、それを糺しながら実生活を生きることの大切さを教えてくれていました。

マルコ7章では、悪想念を具体的に示しています。「人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。

私自身の心に巣くう悪想念、貪り、そしり、愚痴や嘘、そして何よりも自分の欲に従って生きる思いを示されました。それがまだ心を汚して心を苦しめていると。

いつも、さらっと読み過ごしていたイエス様の言う『心の中から出るもの』。このみ言葉をもっと深く学び、実生活で一つずつ焼きつくすことを示されました。本当に、自分がダメダメ人間で、不浄な心であることはとうにわかっています。でも、どうでしょう、キリストとともに十字架に架かったと言いながら、死んだ自分がまだムクムク生きて御霊に逆らっていませんか。まだ死んでない本性を見つけ出しましょう。

長尾先生は、心を苦しめるものをなくすための「こころの旅路」として❶0歳~10歳までの体験が心を決めてしまうので、そのころの過ちをきれいにすることを話していました。ものを盗んだり、悪口を言ったり、嘘をついたり、細かくさがすと、先生は50を超えるものがあったそうです。

次に、❷「あれさえしなければよかったのに」と後悔するものを選びます。先生は一粒のブドウを盗んだことをとがめられたり、全部で6つあったそうです。❸その中でワースト1を選びます。そして、それがなぜ起こったかを追究、分析するそうです。どのくらい具体的に深く追究するかわからないのですが、実際にやっていくと自分の心の本性が出てきます。そこから悔い改める(方向転換する)ようです。❹次に、母親から受けた愛について具体的に出すそうです。信仰がある方は、母を「天の父」におきかえてもできるでしょう。❺その愛に対して、自分がどのくらい恩返しができたか。具体的に考えることを要求しています。私も、これから❶~❺を勉強します。すでに贖われた者としては、不用に思いますが、自分の心の傾向や本性を知ることは役に立つと思います。そのなかなかしぶとい本性を、イエス様に血潮で消してもらいましょう。深いご臨在により神に示されながらでなければ、できないことですが、これに挑戦して、心が楽になりました。感謝主!ハレルヤ!

心を浄める方法には、もう一つあるそうです。それは、愛の実践です。先生は、無報酬で癒し旅をしながら国内外を回られたが、いつも多くの人が集まるので、深夜までかかることもあり、365日息つく暇もないようなしんどい生活だったと言います。なるほど神と人のために身を捨てた方でした。それは、愛の固まりになって行う愛の実践です。そこには、太陽のようにどんな人にもわけ隔てのない愛が必要だと言っています。この方法が心を浄めることにつながるそうです。西田天香氏と近いですが、心を浄めることが、世人の救いに直結することですから、効果的です。こちらの方が大事です。

また、先生はどんなに疲れていても、人からお願いされると決して”No”を言わなかったそうです。これは、どんなに大変なことか。やってみるとわかると思います。すごいことです。私は、昨日も”No”を何度か言いました。

イザヤ58:6-8より

「6わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。

7また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。

8そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。」(口語訳)

う~ん、長尾先生の奇跡力の秘密は、このイザヤ書の58章にあることがわかりました。先生は、愛のゆえに意識せずに燃えさしとなっていたと思います。「あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる!」すごいことです!まさにイエス=キリストが建てあげられた姿です。愛の実践の効果です。

聖霊(パラクレイトス=助け主)は、心を浄め、キリストの人格を建て上げるために支援してくれます。しかし、その中で、自らの『心』を意識し、それを見張り、罪や肉欲から守り、『心』を苦しめないように、本当に大切にしていかなければならないことを学びました。黙示録3章の「白い衣を買え」は、ラオデキア教会のクリスチャンに対する言葉です。キリストを建て上げることは、初期の救い(コンバージョン)よりも高い次の段階の話です。クリスチャンと言っても、裸の恥=聖い行いの伴わない者 がいるのでしょう。私も罪赦されたとはいえ、まだ行いの伴わない裸の一人です。

以下の先生の習字の内容と同じ生活をしている方なら、こんな作業はもう必要ないかもしれません。主イエスの血により罪は赦されています。しかしその肉の心の本性まで取り除かれ、聖霊に泳ぐような生活を毎日過ごすことができて、ゼカリヤ書の「燃えさし」に近い段階になります。

先生の奇跡力の秘訣、その全き献身の生活ができる秘訣は『心』にあったのだとわかりました。主よ。まだ燔祭として焼かれていない自分の肉、醜さ、汚さを焼いてください。実生活が伴わないのは、心に染み付いた本性が、まだ残っているということでしょう。『心』=『主イエスの御声』を本当に大切にし、従っていきたいです。

大聖の生きざまから学ぶと、「心」にズシンと来ますね。

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先生の語った自分を何者かとする高慢を戒める次の言葉も大切です。

「うぬぼれと増上慢は 魔の餌食 我も気付かず 人も気付かず」

アァメン。

もうひとつ大切なことがあります。長尾先生の群れについては、次のみ言葉が示されています。

申命記18:20

『ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。(口語訳)

霊界に繋がりやすくなると、この部分が混在して誤ってしまうことが多いようです。霊を見分ける目をもって、注意してください。ここでしくじっている群れ(他宗教)が多いようです。私も山羊にならないために、主の御愛の御心を行うことに気を配りたいです。

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 昨日、長尾先生の癒しを学んだあと、テニスひじ、ばね指、腰痛で半年苦しんでいた妻に教わった通りに言葉がけすると、朝にはすべての痛みが消えて癒されていたのですから、驚くべきことです。妻も口をポカンと開けて驚いていました。これは癒しの奇跡です。苦しんでいた痛みが消えたのですが、「また、痛くならないといいなぁ」と言いながら不思議がっています。 主なる神の御名をほめたたえます。