祈りの中で示されたこと。人間的な血ではない。
◆贖宥状Indulgentiaの勘違い
贖宥状とは、16世紀にカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。大聖堂建設のための資金を集める目的で、贖罪の証明書として売りに出されたものです。免罪符とも呼ばれ、お金を払えば罪を赦されるような、まるで神社のお札のようなものを売ったのでした。しかし、その贖宥状がひとつの原因になって1517年、ルターが「95か条の論題」をヴィッテルベルグ大学の聖堂の扉に張り出し、宗教改革が始まったのでした。贖宥状(免罪符)は、カトリックの行った大きな勘違い(的外れ)で、その後のキリスト教会にプロテスタント(新教)を生んだのです。
◆聖杯Holy Grailの勘違い
中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会にテンプル騎士団がありました。十字軍の派兵以降、いくつかの騎士修道会(構成員たちが武器を持って戦闘にも従事するタイプの修道会)が誕生したのです。その中で、テンプル騎士団は、第1回十字軍の後の1119年に、ヨーロッパ人によるエルサレム巡礼を保護するために設立されました。彼らは聖杯などの聖遺物を探したと言われます。しかし、その古い杯に何の意味があるでしょうか。
19世紀には、多くの団体がテンプル騎士団と結びつけることで、自らその神秘性を高めようとしてきた歴史もあります。著名な秘密結社も同じで、彼らは19世紀に入ってから神殿の図が入った紋章を使い始め、自らのルーツをテンプル騎士団と結び付けようとしました。また、聖杯伝説を、最後の晩餐の「これはわたしの血です」からイエスの血族のこととし、イエスとマグダラのマリアの子がいたとしたのです。そのことを神秘的に利用することは、大きな勘違い(的外れ)です。たとえ、秘密結社の言う通り100歩譲ってイエスが結婚していて子供がいても、その子が特別な存在にはなりません。肉にある悪だくみは、かえって罪を増し加えるだけです。また、聖書によれば、イエスには、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ及び妹二人がいたことがわかります。かれらの子孫は、イエスの血族(Blood Line)といえます。その血を継ぐ者が誰であれ、聖書にはこう書いてあります。
「しかし、すべて❶彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は❷神の子供たちとなる権威を与えられた.彼らは❸血によってではなく、肉の意志によってでもなく、人の意志によってでもなく、❹ただ神によって生まれたのである。」ヨハネ1:12-13(回復訳)
この世的に見ればイエスの系図は、4人の女によって汚されています。タマル、ラハブ、モアブ人のルツ、ウリヤの妻だったバトシェバが祖先にいるのです。イエスの肉の血族が救いをなすのではありません。彼らは大きな勘違い(的外れを)しています。
肉の人間は、アダムからすでに汚れているのです。
しかし、聖霊によってマリアに宿ったイエスは、神の霊により生まれたのです。人間的な血によってイエスが生まれたのではありません。また、❶イエスを受け入れた者は、❸血によってではなく、肉の意志によってでもなく、人の意志によってでもなく、❹ただ神によって生まれたのです。
「また杯を取り、感謝をささげて、それを彼らに与えて言われた、『みな、それから飲みなさい.これは、多くの人に罪の赦しを得させるために、❺今、注ぎ出されているわたしの契約の血である。』」マタイ26:28-29(回復訳)
このぶどう酒(聖霊の比喩)をご自分の血に譬え、罪のない子羊による契約の血とし聖餐をしました。他の人の血とは関係ありませんし、罪のないご自身の血による契約と言えます。またこの血は、❺今、注ぎ出されている血でもあり、キリストの霊でもあるのです。それを「飲みなさい」と言っています。
十字架上で「イエスはもう一度、大声で叫び、彼の❻霊を渡された。」マタイ27:50 ❻はどういう意味でしょうか。ギリシャ語では、ἀφῆκεν、英語では、(yielded up His spirit=彼の霊を譲った)です。ヨハネ19:30では、παρέδωκεν、(gave up His spirit=彼の霊を渡された)です。誰に渡したのでしょうか。ルカ23:46では、「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」と言っています。父に渡されたのです。しかし、ヨハネ伝14:16ー20では、次のように言っています。
「わたしは父にお願いしよう.そうすれば、彼はあなたがたに別の❼慰め主を与えて、いつまでも、あなたがたと共にいるようにしてくださる.それは実際の霊である.世はその方を受けることができない.それは、世が彼を見ないし、知りもしないからである.しかし、あなたがたは彼を知っている.彼はあなたがたと共に住んでおり、あなたがたの中におられるようになるからである。わたしは、あなたがたをみなしごのままにはしておかない.❽わたしはあなたがたに来る。もうしばらくすると、世はもはやわたしを見ない.しかし、あなたがたはわたしを見る.わたしが生きているので、あなたがたも生きるようになる。その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、❾わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう。」(回復訳)
父にお願いし、❼慰め主を与え、❽わたし(イエス)はあなた方に来る、❾わたし(イエス)があなた方の中にいるのです。
イエスの望みは、弟子たちへの聖霊降臨です。この世的な血筋など何の意味もありません。❼慰め主である聖霊を受けることこそ、イエスの血族になることです。
神を愛し、その命令を守ったキリストにより、イエスの霊的子孫であるわれわれは、千代に至る祝福を受けたのですから、肉の血族には頼りません。
「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」出エジプト20:6
わたしを愛し、わたしの命令を守る者、この戒めを達成した者とは、イエスにほかなりません。そして、聖霊を受けたその霊的な血族は、千代の恵みに預かったのです!
歴史上では、この世的な考えで勘違いされている方たちがいます。彼らは、見える所の物質により頼み、ニコデモのように見えるものしか信じられないのです。「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。」ヨハネ3:6
肉によってあれこれやってみても、無駄です。肉の血族によりたのめば、罪を積み、かえってこの世の悪霊に騙されます。イエスの祝福を得るには、聖霊によって新たに生まれ、真の血族になるしかないのです。
ハレルヤ!
※ある誤ったグループへの情宣で、多く方には関係のない話です。