神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

体験の伴う救い2 〜真理のもたらす自由とは

ヨハネ伝8章で、主イエスの言われた大切な言葉が「❾真理」と「➓自由」です。この❾真理を知ったときに、我々はこの世から➓自由になり、天国へと導かれます。天国へ生きることこそ、➓自由なのです。

ヨハネ伝8章より

8:28そこで、エスは言われた、「あなたがたが❶人の子を上げてしまった時、『❷わたしはある』を知り、また、❸わたし自分からは何も行なわず、❹わたしわたしに教えられたとおりに、これらの事柄を語っていることを知るであろう。

8:29わたしを遣わされたは、わたしと❺共におられる.わたしを独りにしておかれない.わたしはいつも、に❻喜ばれる事を行なっているからである」。
8:30 エスがこれらの事を語られた時、多くの人は❼の中へと信じた。

8:31エスは、ご自分を信じたユダヤ人に言われた、「もしあなたがたが、❼わたしの言(λόγῳ単数)の中に住んでいるなら、あなたがたは本当に❽わたしの弟子である.
8:32 またあなたがたは❾真理を知る.そして真理はあなたがたを➓自由にする」。(回復訳)

 8章28節で、「あなたがたが❶人の子を上げてしまった時」とは、イエスが十字架に上げられたときを指します。「『❷わたしはある』を知り」とは、出エジプト記3:14で主は「イスラエルの子たちにこう言いなさい、『「わたしはある」が、わたしをあなたがたに遣わされた』」と。モーセに語られた句から続いた一句です。つまり、イエス十字架の死と復活により、『わたしはある』YHWHが、イエスイスラエルの子たちに遣わされたことが証明されると言っているのです。❸イエス自分からは何も行なわず、❹がイエスに教えられたとおりに、これらの事柄を語っていることを知ると言っています。

 

4️⃣➓自由とは何か?

 聖霊によって、❾真理が明らかになることは、先回話しました。では、❾真理があなたがたを❿自由にするとは、どういうことでしょう?聖霊(神の霊)についてⅠコリント2章より考えてみましょう。
2:11いったい⓫人の事柄は、人の中にある人の霊のほかに、人の間でだれが知っているでしょうか? 同じように、⓬の事柄も、のほかにはだれも知りません。
2:12 ところがわたしたちは、⓭この世の霊ではなく、からのを受けたのです.それは、によってわたしたちに、恵み深く与えられた事柄を、わたしたちが知るためです.
2:13 わたしたちがそれらの事柄を語るのは、人の知恵によって教えられた言ではなく、⓮その霊によって教えられた言であり、霊の事柄を霊の言で解釈するのです。
2:14 しかし⓯魂の人は、の事柄を受け入れません.なぜなら、彼にとって、それは愚かであるからです.また彼は、それを知ることができません.それは、霊によって識別されるものだからです。
2:15 しかし霊の人は、すべての事柄を識別しますが、彼自身はだれにも識別されません
2:16 だれがの思いを知って、に教えるでしょうか? しかしわたしたちは、⓰キリストの思いを持っています。(回復訳)

ここで、⓫人の事柄と⓬の事柄が出てきます。

どこかで見たことがありませんか?

マタイ16章を見てみましょう。

16:21この時からエスは弟子たちに、ご自分が必ずエルサレムへ行って、長老、祭司長、聖書学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目に復活させられることを、示し始められた。
16:22するとペテロは、エスをわきへ引き寄せ、いさめ始めて言った、「よ、あなたをあわれんでくださいますように!そのようなことは、決してあなたに起こるはずはありません!」

16:23エスは振り返ってペテロに言われた、「サタンよ、わたしから退け! あなたはわたしをつまずかせるものである.あなたは⓬のことを思わないで、⓫人のことを思っている」。(回復訳)

マタイ16:21で、イエスは、ご自分の死と復活に対して、予言し始めました。しかし、それをいさめたペテロをサタン呼ばわりし、叱りました。その理由は、ペテロが⓬神のこと(神の事柄)で考えず、せまい三次元で⓫人のこと(人の事柄)を考えたからです。人の事柄は、⓭この世の霊から出てくるのです。

ここに、奥義があります。イエスは、この世的な考えをする弟子をいつも叱りつけました。4千人の給食の後で、弟子たちがパンを忘れてきたことを論じたとき、あなたがたは、まだわからないのか?とお怒りになりました。ペテロが神のご計画を人間的に諫めたとき、サタン呼ばわりしました。なぜですか?弟子たちが、計算高くこの世の三次元の貧しい考え方をしていたからです。主イエスの考え方は、⓭この世の霊に縛られず、神の事柄であり、神の霊の事柄を受け入れ、天国のイメージの中にいつも住んで居ました。

この世の霊ではなく、からのを受けたイエスは、によってわたしたちに、恵み深く与えられた事柄を、知っていました.
エスが神の事柄を語るのは、人の知恵によって教えられた言ではなく、⓮神の霊によって教えられた言であり、霊の事柄を霊の言で解釈したのです。
しかし⓯魂(自分の命、感情、意思)の人は、の事柄を受け入れません.なぜなら、この世の人にとって、それは愚かであるからです.また神の事柄を知ることができません.それは、霊によって識別されるものだからです。
しかし霊の人は、すべての事柄を識別しますが、彼自身は世人には識別されません
しかしわたしたちは、⓰キリストの思いを持っています。わたしたちは、聖霊によって神の事柄を知り、神の国の中に、父の御臨在の中に住まうのです。

この世の人の事柄を考えず、この世のイメージを捨て去り、神の事柄、神の国のイメージだけで生きることで、この世の煩わしい苦悩や心配や人間関係、病や死の痛み、そして何よりも罪から解放され自由になるのです。これは経験した者でなければ分かりません。この世で天国を味わうような自由です。私も、神の霊により御父のご臨在に囲まれて、神の国の考え(イメージ)に生きることで、暑さ、寒さ、痛みもあまり感じなくなりました。自由とは、三次元世界の束縛からの自由です。どうぞ、イエスの真理がもたらす神の世界の自由へ入り、体験してください。真実なる方は、あなたをこの世の束縛から自由にします。

この体験は、サンダーシングやトマスの福音書24からも学べます。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/11/08/005309

 

❤️トマスの福音書24④ 〜神の国のイメージを! - 神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 

 

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2017/10/27/230059