エゼキエル書1章 28節
周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった。わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、わたしはその声を聞いた。(新共同訳)
昨日は、礼拝後、仕事で横浜へ。夕方ファィヤーカンファレンスに遅れて行こうとしましたが、西にご栄光(シェキナーグローリ)を見て、東へ行かないでも良いと示されました。
後で動画で見させてもらいました。
動画(2:44:00ころ)を見る限り、雄叫びの祈りは、不完全燃焼です。トッド師が満足できないのが、よくわかります。絶叫の祈りは、こんなものではありません。多くの会衆・教役者は、祈り方がわかってないようです。殻が破れるまで祈るべきです。日本の教会に力が十分現れない理由が見えます。
マイクの声が聞こえなくなるほどの声が、異言による一同の雄叫びの祈りです。御霊が降りあまりのペンテコステ状態に、敬愛する師は、雄叫びも良いが、静かに祈りましょうと度々勧めるくらいでした。いつも雄叫びをせずとも、時々は祈祷会でペンテコステ状態を体験した方が良いと感じます。
日本の教会では、今まで見たことがないのですから、仕方ないかも知れませんが、雄叫びの祈りが理解されず、実践できないことが問題だとも思いました。ペンテコステ状態までは、まだまだまだと思いました。まず、救霊や聖霊を求める祈りは、われわれが、ブレークスルーすることが鍵だと思いますが、いかがでしょう。
日本人はまわりを気にし、尊厳や礼儀、モラルが邪魔をしています。一番大切なのは、主への渇きに殻を破ることなのですね。トッド師は、よく忍耐されています。
愛すべき方たちです。CfaNの活動は、大きな実を結ぶはずだと感じました。癒された方も多いようです。世界的な宣教の秘訣が見とれました。貴い救霊の働きを感謝します。
ローマ10:14
「それでは、信じたことのない方を、どのように呼び求めるのでしょうか? 聞いたことのない方を、どのように信じるのでしょうか? 彼を宣べ伝える者がいなくては、どのように聞くのでしょうか?」(回復訳)
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2017/01/02/211635