歳のせいか、最近物忘れがひどくなっていると感じ、主に祈りました。以下の聖句を思いだしながら、イエスのピスティス(信仰)に乗っかって祈り願いました。
ヤコブ1:5
しかし、もしあなたがたのうちで、知恵に欠ける者がいるなら、すべての人に惜しみなく、またとがめることなく与えられる神に求めなさい.そうすれば与えられます。(回復訳)
欲張って、知恵だけでなく、知識も求めました。そのあとのことです。
中学3年生の頃のクラス会があり、参加しました。そこでいろいろな昔話が語られました。45年前のはっきりしない想い出を、決まって最後は私の口から出てくる言葉が締めくくりました。皆もそれを聞いて、わからないことが、はっきりするのでした。お世話になった先生方の名前が思い出せないとき、フルネームで語り、いろいろな出来事についての詳しい内容を話したので、担任の先生も驚いていました。なぜこんなに覚えているのか? 自分でも不思議でした。
いや、これは、数日前に祈った祈りが聞かれたのだと感じました。自分で覚えているわけではなく、口から出てくるのです。口から出てくると言うより頭にひらめき言葉になるのです。
そういえば大学時代にも、このような経験がありました。その時は友人に「今度北海道に行くんだって?」と唐突に話したことがあり、誰にも言ってないことを突然言われたものですから、友人が「どうしてそれを知ってるんだ」と大層びっくりしていたことを思い出します。
主は、私のように知恵に欠ける者に対して、祈りに応えて確かに知恵と知識を与えてくださいました。感謝に堪えません。このような奇跡的な聖言(ヤコブ1:5)の実現が、現実に起こっているのです。
知恵に欠ける方がいれば、神さまに祈ってみてはいかがでしょうか。