ここ数週間で、色々なことがありました。ひとつは、高齢の父が大動脈解離で救急搬送され、入院しました。知らせを受けたとき、心に平安がありましたので、全く大事ないと思っていましたが、父は入院1週間で身体が硬直して寝たまま応答もなくなりました。医師は、この病気は1カ月の入院が必要、そのあとリハビリで他に転院するだろうと言います。私は、医師と口論し、すぐにでも出してくれれば、家族が面倒を見て回復できると言いました。硬直した父に手を置き、母が身体をさすると、やっと声を出しました。30分くらいで、お茶を飲み出し、次の日に見舞ったときには、自立歩行しだしたのには、驚きました。しかし、退院の許可は出ません。仕方なく妻や母が毎日見舞いし、教会の方にも見舞ってもらいました。父は、見る見る良くなり、リハビリなど必要ないのが誰の目にもわかりました。そして、手術もなしに入院15日目に退院を許可され帰宅したのです。主に感謝します。
もう一つは、些細な話です。私は奥歯の親知らずの間に虫歯があり、歯間ブラシで毎日洗浄するのですが、先週歯間ブラシのワイヤーが切れて、歯の中に残ってしまいました。確かに先が当たり、違和感を感じるのですが、歯の間から取れません。仕方なくイエス様にお願いして、ワイヤーを消してくれるよう祈っていました。しかし、気持ちが悪いので、歯医者へ行ってレントゲン撮影してもらうことにしました。レントゲンを見た歯医者は、なにも入ってないと言います。確かに、金属ならハッキリわかるはずなのですが、折れたワイヤーは見つかりませんでした。親知らずの虫歯は、治療せず、悪くなったら抜こうと歯医者が言っていたものでした。しかし、あのブラシの先の折れたワイヤーはどこに消えたのでしょう。知らないうちに取れたのでしょうか。祈りに応えてくださる主を感じています。
この二つの些細な証詞は、生活の中で実際に起きたことです。神の信実(ピスティス)は、実存的です。空想話や与太話ではなく、実際に生活の中でありありと神が臨在されている事実を見るのです。なぜなら、コリント第一の手紙 4:20 には、こうあります。
「神の国は言葉ではなく力にあるのです。」
こんな者でも、イエス=キリストの信仰(ピスティス)を、感じながら生かされています。
あなたも実生活の中で同様に、主イエスの奇跡をその目で見ながら生きていらっしゃると信じています。