ルカ伝19章ミナの譬え
19:12そこで、イエスは言われた、「❶ある高貴な生まれの人が、王国を受けて戻って来るために、❷遠い国へ行った。
19:13彼は自分の❸奴隷のうち十人を呼んで、彼らに十ミナを渡し、『わたしが帰って来るまで、商売をしなさい』と言った。
19:14ところが、彼の❹国民は彼を憎んでいたので、彼の後から使者を送って、『わたしたちはこの人に支配してもらいたくありません』と言った。
19:15さて、彼は王国を受けて戻って来た時、お金を渡しておいた奴隷たちを呼んで来させ、彼らが商売してもうけたものを知ろうとした。
19:16最初の者が現れて、『ご主人さま、あなたの❺一ミナで十ミナをもうけました』と言った。
19:17主人は彼に言った、『よくやった、良い奴隷よ。あなたは最も小さいことに忠信であったから、❻十の町を支配する権威を持ちなさい』。
19:18第二の者が来て、『ご主人さま、あなたの一ミナが五ミナになりました』と言った。
19:19主人はこの者にも言った、『あなたは五つの町を支配しなさい』。
19:20❼もう一人の者が来て言った、『ご主人さま、あなたの一ミナをご覧ください.わたしはそれを、ハンカチに包んで❽しまっておきました.
19:21あなたは❾厳しい人で、預けなかったものを取り立て、まかなかったものを刈り取られるので、わたしは恐ろしかったのです』。
19:22主人は彼に言った、『悪い奴隷よ、わたしはあなたの口から出た言葉によって、あなたを❿裁く。あなたは、わたしが厳しい者であって、預けなかったものを取り立て、まかなかったものを刈り取ることを知っていた。
19:23それではなぜ、わたしのお金を⓫銀行に預けなかったのか? そうすれば、わたしが戻って来た時、それを利子と一緒に集めたであろうに』。
19:24そして、そばに立っている者たちに言った、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』。(回復訳)
マタイ伝のタラントの譬えでは、タラント=賜物として解釈しました。
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2021/02/06/160340
タラントは、霊的賜物。商売は、賜物を用いること。一タラントの最も少ない賜物の人は、自分の賜物を軽んじ、地に埋めました。
地はこの世を象徴し、「地を掘る」は、この世に入り込み、わたしたちが主から受けた賜物を埋めてしまうことでした。
ルカ伝19章では、❶ある高貴な生まれの人(主イエス)が十人の❸奴隷(弟子たち)に❺一ミナずつを預けました。
❶主イエスは、彼の❹国民(当時のユダヤ人)によって十字架につけられました。主イエスは復活後に、❷遠い国(天国)に昇る前に、❸奴隷(イエスの弟子たち)を呼んで、彼らに❺一ミナずつを渡し、『商売をしなさい』(与えられたものを用いなさい)と言いました。イエスは王国を従えて帰ってくると言います。
一ミナは、百ドラクマ、あるいは百日分の賃金に等しく、皆、同じ額でした。100万円くらいでしょうか。「ミナ」をタラントのように「霊的賜物」と考えることができますが、弟子たちに平等に同額の一ミナを与えるのですから、それぞれの賜物とは違うようです。それぞれの一ミナは「救い」の恵みを表しているのでしょう。
最初の❸奴隷は、一ミナを十ミナに増やしました。これは十の救いをもたらしたということでしょう。そして、来るべき王国で❻十の町を任されました。第二の者は、5倍にし五つの町を任されます。
しかし❼もう一人の者は、一ミナをハンカチに包んで❽しまっておきました。
~19章20節 フットノート❽
忠信でない信者たちが、彼らの救いを生産的に用いることをしないで、いかに怠惰で保つだけであったかを象徴しています。主の救いをしまっておくことは、それを用いないことです。主に対するこのような怠惰は、忠信でなかった奴隷に罪定めをもたらし、損失を被らせました。(回復訳)
「あなたがたを、人を捕る漁師にしてあげよう」(マタイ4:19)と言われたイエス。福音を受け、救いの恵みを受けたのに❽しまっておくのは、漁へも行かず、証もせず、ともに救いに入る人も導かないで、自分一人で主のみ前に出たと言うことです。
『あなたは❾厳しい人で、預けなかったものを取り立て、まかなかったものを刈り取られるので、わたしは恐ろしかったのです』と言う❸奴隷に対し、『悪い奴隷よ、わたしはあなたの口から出た言葉によって、あなたを❿裁く。』とし、『それではなぜ、わたしのお金(救い)を⓫銀行(両替人)に預けなかったのか? そうすれば、わたしが戻って来た時、それを利子と一緒に集めたであろうに』とその怠惰を責めました。
お金(救い)を⓫銀行(両替人)に預けるとはどういうことでしょう?
マタイ25:27のフットノートには両替人は「主の賜物を用いて人々を救い、彼らに主の豊富を供給することを象徴します」とあります。人々を救いに導けなくても、人通りの多い両替商のお膳立てされたお店(教会や奉仕団体など)で良い証や奉仕をして、主の豊富を供給することはできます。⓫両替人は、金種を替えることができます。人の集まる場所で救いの恵み❺一ミナを細かい金種に崩して、人々に分け与えることはできたはずなのに、それをしなかったことを叱られました。
❺一ミナが「救い」だとすれば、あなたは何人の求道者を導いたでしょうか?あなたの魂の10倍ですか5倍ですか?
これは、救われた弟子たちに対する譬え話です。十人の弟子たちは❶主イエスが王国の権威を受けて再臨されるときに御前に出れたのですから、皆、救いの中に入れられています。しかし、再臨時の褒賞はそれぞれ違うようです。
このミナの譬えは、救霊に対する働きについて語っているのでしょう。