神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

タラントの譬え 〜今なすべきこと

わたしは、今、岐路にあります。どのようにこれからの人生を送るか?何をなすべきか?

お金もうけして、多くの方を救うべきか?

主に導きを祈っていました。そして、答えが回復訳にありました。

マタイ伝25章

14天の王国は、ある人が外国へ行こうとして、自分の奴隷たちを呼び、彼らに自分の財産を渡すようなものである。
15彼はある者に五❶タラント、ほかの者に二タラント、ほかの者に一タラントを、それぞれの能力にしたがって与えた。そして彼は外国へ出かけた。
16五タラントを受けた者は直ちに行って、❷それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。
17同じように、二タラントを受けた者も、ほかに二タラントをもうけた。

18しかし、❸一タラントを受けた者は立ち去って❹地を掘り、❺主人の銀貨を隠した。
19長い期間がたってから、奴隷たちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
20すると、五タラントを受けた者が1来て、ほかに五タラントを持って来て言った、『ご主人さま、あなたはわたしに五タラントを渡されましたが、ご覧ください、ほかに五タラントをもうけました』。
21主人は彼に言った、『よくやった、良い忠信な奴隷よ。あなたはわずかな事柄に忠信であった.わたしはあなたに多くの事柄を管理させよう。あなたの主人の喜びに入りなさい』。
22二タラントを受けた者も来て言った、『ご主人さま、あなたはわたしに二タラントを渡されましたが、ご覧ください、ほかに二タラントをもうけました』。
23主人は彼に言った、『よくやった、良い忠信な奴隷よ。あなたはわずかな事柄に忠信であった.わたしはあなたに多くの事柄を2管理させよう.あなたの主人の喜びに入りなさい』。
24一タラントを受けた者も来て言った、『ご主人さま、あなたは厳しい人で、まかなかった所から刈り取り、散らさなかった所から集めることを、わたしは知っていました。
25そこでわたしは❻恐ろしくなり、去って、あなたのタラントを地に隠しました.ご覧ください.これがあなたのものです』。
26主人は彼に答えて言った、『邪悪で怠惰な奴隷よ.あなたは、わたしがまかなかった所から刈り取り、散らさなかった所から集めることを知っていた。
27それなら、わたしの銀貨を❼両替人たちに預けておくべきであった.そうすれば、わたしが帰って来た時、利子と共にわたしのものを受け取ったであろう。
28そのタラントをその者から取り上げ、十タラントを持っている者に与えなさい。
29❽だれでも持っている者は与えられて、満ちあふれるようになるが、持っていない者からは、持っているものまでも取り上げられる。
30この役に立たない奴隷を、❾外の暗やみに1放り出せ。そこでは、➓泣き叫んだり歯がみしたりするであろう』。(回復訳)

フットノート❶
❶タラントは最大の重量単位で、六千デナリに等しいです(参照,ヨハネ6:7のノート1)。処女のたとえにおける油は神の霊を象徴しますが(3―4節)、このたとえにおけるタラントは霊の賜物を象徴します(ローマ12:6.Iコリント12:4.Iペテロ4:10.IIテモテ1:6)。命のために、わたしたちは油、神の霊、彼の充満をさえ必要とします。それは、わたしたちが主の証しのために、処女の命を生きることができるためです。奉仕、働きのためには、タラント、霊の賜物を必要とします。それは、わたしたちが良い奴隷として装備されて、主の働きを達成するためです。命におけるその霊の充満は、わたしたちが奉仕(働き)において霊の賜物を用いるためです。奉仕における霊の賜物は、命におけるその霊の充満と釣り合っています。それは、わたしたちが完全なキリストの肢体となるためです。

フットノート❷
「それ(タラント)で商売をし」とは、主がわたしたちに与えた賜物を用いることを象徴します。

フットノート❸
このたとえでの主要な強調点は、一タラントの者、最も少ない賜物の人にあります。最も少ない賜物の人は、いとも容易に自分の賜物を誤用し、無視します

フットノート❹
❹地はこの世を象徴します。ですから、「❹地を掘」るとは、この世に入り込むことを象徴します。この世とのどんな交際も、どんな関係も、少しばかりの世的な会話でさえも、わたしたちが主から受けた賜物を埋めてしまうでしょう。

フットノート❺
「❺主人の銀貨を隠した」とは、主の賜物を無駄にし、ある地的な弁解を口実として、それを役立たせないでおくことを象徴します。主の賜物を用いないどのような弁解も、それを隠すことです。これは常に一タラントの者、自分の賜物を最も小さいと考える者が陥りやすい危険です。

フットノート❻

恐れるとは消極的であることです。わたしたちは積極的に、また進取的に、主の賜物を用いるべきです。

フットノート❼
これは、主の賜物を用いて人々を救い、❼彼ら(両替人たち)に主の豊富を供給することを象徴します。

フットノート❽

召会時代にもうける人にはだれでも、来たるべき王国の時代にさらに多くの賜物が与えられます。しかし、召会時代にもうけなかった者からは、来たるべき王国時代に、彼が持っている賜物まで取り上げられるでしょう。

フットノート❾
❾外の暗やみとは、天の王国の出現の時に輝く栄光の外の、暗やみのことです(16:28.25:30)。来たるべき王国で外の暗やみに放り出されることは、千年期の後に永遠に火の池に投げ込まれることとは異なります(啓20:15)。

フットノート➓
➓泣き叫ぶことは後悔を示し、歯がみすることは自責を示します。
(回復訳フットノートより)

 

❶タラントは、霊的賜物。

❷商売は、賜物を用いること。

❸一タラントの者、最も少ない賜物の人は、自分の賜物を無視します。

地はこの世を象徴。「地を掘る」は、この世に入り込み、わたしたちが主から受けた賜物を埋めてしまうこと。

❺「主人の銀貨を隠した」とは、主の賜物を無駄にし、役立たせないこと。❸一タラントの者、自分の賜物を最も小さいと考える者が陥りやすい。

❻恐れるとは消極的であること。われわれは、積極的,進取的であるべき。

❼両替人たちに預けるとは、主の賜物を用いて人々を救い、主の豊富を供給すること。

❽召会時代にもうける人にはだれでも、来たるべき王国の時代にさらに多くの賜物が与えられ、召会時代にもうけなかった者からは、持っている賜物まで取り上げられる。(もうけるとは、収穫でしょう)

❾外の暗やみとは、天の王国の出現の時に輝く栄光の外の、暗やみ。外の暗やみに放り出されることは、千年期の後に永遠に火の池に投げ込まれることとは異なる。

➓泣き叫ぶことは後悔。歯がみすることは自責。

以上を肝に銘じて、生きることが大切だと示されました。

特に、❹の 地はこの世を象徴。「地を掘る」は、この世に入り込み、わたしたちが主から受けた賜物を埋めてしまうこととは、すごい解釈です。

タラントの譬え話は、金儲けの話ではなく、預かった賜物を信仰をもって積極的に使い、主のために行動し、がんばれと言っているように聞こえます。主から受けた賜物を使って行動をせず、地に埋めてしまうことを叱責されているようです。

どのようにこれからの人生を送るか?何をなすべきか?の答えは、何なのでしょうか?

マタイ伝22章に答えがありました。

37イエスは彼に言われた、「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。
38これが大切な第一の戒めである。
39第二もそれと同じである.『自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい』。
40これら二つの戒めに、すべての律法と預言者がかかっている」。(回復訳)

特に「隣人を愛せよ」とは、何と素晴らしい言葉でしょう。

政治や革命で社会を変えて沢山の困窮者を救うことは、立派なことです。しかし、歴史を探ると、今までの政治的リーダーの多くが失敗してきたワナとさえ思えます。

18世紀のフランス革命では、フランス全土で4万人がギロチンで首を落とされました。 20世紀の社会主義革命でソビエト連邦の歴史家ロイ・メドベージェフは、「1990年にソ連共産党中央委員会で、1927年~1953年のソ連における政治的弾圧の犠牲者は4000万人であった」と主張しました。カンボジアでは、中国の文化大革命に影響を受けたポル・ポトが行った大粛清により、1975年から1979年の間の死者数は少なくとも80〜100万人であったことは、有名です。中国では、毛沢東大躍進政策を実施しますが、結果は経済の大混乱と、推計2000万人から5000万人の餓死者を出し、次に文化大革命を実施しますが、各地で知識人などに対し大量の殺戮が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれています。

彼らは、人民をいくつかの階層に分断して、貧しい者を解放することを目標に頑張ったのですが、実際には殺戮を繰り返して、この世の地獄を作ったのです。人間の肉の考えから出てくるものとは、このような結果しか産まないのでしょう。

彼らが、「あなたの隣人を愛しなさい」を実行していたら、この世の天国をつくれたかもしれません。少なくとも何千万人もの人間が死ななくて済んだでしょう。

マザー・テレサの話を思い出します。

「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか?」と尋ねられたマザー・テレサが言ったのは、『家に帰って家族を大切にしてあげてください。』でした。

あなたの隣りにいる人、家族や近所の人、毎日会う友人や同僚を愛すること。これが、第二の戒めであり,この世でなすべきことなのでしょう。この戒めを皆が実行すれば、地上天国が完成するのでしょう。

ヨハネ伝13:34

「わたしは新しい戒めをあなたがたに与える.互いに愛し合いなさい.わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(回復訳)

主イエスは、天国の真理を直球で語っていたのですね。

そして、もちろん、みなさんは、第一の戒めはわかっていますよね。

マタイ伝22:37

『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』

これが葡萄の枝が幹につながることですね。そして互いに愛し合うことで、枝は実を結ぶのですね。

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