神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

今橋淳青年の癒し 〜岩本遠億師の話し

岩本遠億師の話しを読んで、救いの本質を垣間見る思いでした。シェアさせてください。

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【無題(もう少しこのまま)】(7)

【今橋淳青年の実存の回復】

 1954年5月28日、長崎大学病院に入院中だった今橋青年を手島郁郎先生が訪ねて来ました(注1)。手島先生は、義行(私の父)の友人だった山川さんに頼まれてやって来ましたが、山川さんも以前から今橋青年を知っていたわけではありません。義行はふっと今橋青年を思い出し、「淳っちゃんがいる」と口を滑らせましたが、2000年前ならいざ知らず、この科学の時代にそんな奇跡が起こるなど、馬鹿も休み休み言えと思ったそうです。ただ、手術は失敗したら命に関わるが、祈りは失敗しても死にはしないと思い、山川さんに今橋青年のことを伝えました。

 山川さんは、すぐに長崎大学病院に今橋青年を訪ね、手島先生に祈ってもらうようにと勧めます。一方、手島先生は最初、そんな無関係の人のところには祈りに行かないと拒絶しますが、山川さんのあまりに強い懇願に負けて、病院を訪ねることになったということです。

 手島先生は、聖書の言葉を引用しつつ彼のために祈り、そして言います。「君は頭で信仰している。つまらん信仰書を読んで悩むのはもう止しなさい。神様の懐でゆっくり休み、祈るんだ」と。しかし、今橋青年は、「祈り得ません」と、祈ることができない自分の現状をさらに強く訴えたそうです。

 手島先生は、彼のためにご自分の弟子であった桜井信市という青年伝道者を長崎に遣わすことを約束し、そして言いました。「この夏か秋には、君、阿蘇の山で会おう」と。手島先生との出会いは数分間でしたが、この時こそキリストにある新生の第一歩となります。

 程なく、手島先生のところから桜井信市先生が今橋青年のところにやって来ました。その二日目の夜11時過ぎ、桜井先生が今橋青年の上に手を置いて祈った時、彼は全身が雷で打たれたような衝撃を受けたと言います。数十分間高圧電流が全身を駆け巡るような状態が続き、今橋青年は、病院中に響き渡るような大声で泣き続けました。

 「神様、私を赦してください!私を赦してください!私は知りませんでした!」

「今までは、ただキリストの十字架を信じ、罪の赦しを信じ、一応キリスト教の教義を信じてはいましたが、こんなにありありと、貴神が活きて聖霊として私の中に臨在されるお方だとは知りませんでした。赦してください!」との意味でした。

 「これこそ・・・私の祈りの第一声、我が霊魂の新生の産声であった。・・・そして同時に、医者もサジを投げた難病が全癒した一瞬でもあったのである。私の腹のなかからはたとえ難き喜び、大歓喜が溢れた。この歓喜は7年間の長夜の悲しみもうち消えて、なおいやまさる喜びであった。この回心の状況は、筆舌では言い表すことはできない!」(今橋淳著『起死回生の奇跡 回心録』キリスト新聞社1991年)

 次の日の朝、彼はお母様に言います。
 「松葉杖を取ってちょうだい。」
 「松葉杖でどうするの?」
 「起きて歩くのです。」

そこに桜井先生が入って来ました。
 「今橋君、何をしようとしているのですか?」
 「起きようとしております。」
桜井先生は、彼を制して言います。
 「それは無理だよ。霊魂は一瞬にして救われるが、肉体はそんなに直ちに癒されるものではない。・・・そんなことをして心臓マヒでも起こしたら大変だからやめなさい。」

しかし、今橋青年は思います。
 「『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』と論語に言うが、今の私は夕まで待てない。この朝に死んでもいい。あの老預言者シメオンが幼児イエスを抱いて『主よ、今こそ御言に従いて僕を安らかに逝かしめ給え。我が目は、はや主の救いを見たり』(ルカ伝2:29-30)と言ったように、私も、今、心臓マヒで死んでもいい。悔いなし」と。

 彼は、桜井先生の制止を振り払って松葉杖を取り、起き上がって病室から廊下に歩いて行きます。

 「7年ぶりに見る山々、空、雲、草木、小鳥!その大自然を見て、私はびっくりした。これらの被造物が、神の子として誕生した私を歓び、祝って躍動しつつ、『ハレルヤ、ハレルヤ!』と歌っているではないか。」(同書より引用)

 医師は、絶対安静、ギプスベッドに寝ていることを命じますが、彼は退院し、キリストの御名を呼びつつ、ギプスベッドを自宅近くの浦上川に投げ捨てます。また、しばらくして松葉杖に頼っている自分を発見し、キリストだけに頼って生きるために松葉杖をも投げ捨てます。

 歩けなくなった時キリストの名を呼ぶと、天から力が降り注いだと言います。ついには翌年、手島先生の約束のとおり、阿蘇の山に、しかもバスではなく、自分の足で登って聖会に参加するまでに回復するのです。その後、彼は熊本から長崎までの無銭徒歩伝道を敢行し、イスラエル留学も実現し、キリスト伝道者として立ち上がって行きます。

 それを見て驚いたのが義行です。仕事が忙しく、山川さんに今橋青年を紹介してから1ヶ月ぶりに今橋家を訪ねた時、今橋青年が立って義行を出迎えてくれました。そして、家族全員がキリストを信じ、口々に「キリストは生きている」と言うのです。今橋家では週3度のキリスト教の集会が行われ、100名ほどの人たちが集まるようになりますが、聖霊バプテスマされる人、またキリストの御名によって癒される人が次々と現れたと言います。久保田夫妻も、今橋家の集会に集い始めました。

 しかし、義行は、「原始福音だけに聖霊が働くということはあり得ない。教会の中にも聖霊は働いておられる」と銀屋町教会に止まり続けます。しかし、前述のとおり、彼は教会の中でクリスチャンとして許されない恋愛の泥沼にはまっており、また、その精神的苦悩と多忙な仕事のため肺結核を患い、倒れてしまいました。

(つづく)

岩本遠億

 注1)7月4日に手島先生が長崎を訪れた日を1955年5月29日と書きましたが、私の転記ミスで、1954年5月27日でした。
注2)その10年ほど後、桜井先生も今橋先生も原始福音を去り、独立伝道に立つことになります。今橋先生は5年前に天に召されますが、私はその最後の輝きを目撃することができました。これについては9月に出版予定の拙著『366日元気が出る聖書のことば』「9月17日」(ヨベル出版)に詳述しています。