神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

敬愛する師15 ~触れたもう実在の神 主は頭の中だけの神ではない

詩篇103編の師の講義から。

1わが❶魂よ、エホバをほめたたえよ。わが❷内なる諸部分よ、彼の聖なる御名をほめたたえよ。2わが魂よ、エホバをほめたたえよ。彼のすべての恩恵を忘れるな。3彼はあなたのすべての罪科を担って赦し、あなたのすべての病をいやし、4あなたの命を❸穴から贖いだし、慈愛とあわれみをあなたに冠として与え、5あなたの❹生涯の最も重要なものを良いもので満たされ、あなたの若さは❺わしのように新しくなる。(詩篇103:1-5 回復訳)

   ※回復訳は、なかなか良い訳ですが、補足します。❸は、「墓穴」。❹は「口」。口に良きものをもって満たされる(詩篇81:10)と、❺わしのように新たになるという意味。口を良きもの(讃美・霊歌)で満たすことで、内臓諸器官にも賛美が満ち、腹の底から活ける水が流れ出で、力を得るのです。これはダビデの体験です。ことばや比喩ではありません。

~以下師の言葉より~

   ❷内なる諸部分とは、体の中の❷内臓諸器官でほめたたえよということです。❷はらわたというものは、ヘブライ的には感情をつかさどるものです。ただ空虚にほめるのではなく、教会堂で賛美歌を歌うことでもない。そんなものではない。❶心のどん底から、はらわたのどん底から主をほめたたえよと、あのダビデが言っているのです。❷内臓諸器官、五臓六腑、全部で主をほめたたえよ。今の人は頭でっかちで、全人格的には生きていない。見聞きしたことを覚えているだけ。ろくでもない教理をため込んで理屈だけ言っていて、頭だけの信仰では難しい人生を解いてはくれません。腹のどん底から全人格的に神を賛美してやっと「わかった」というべきです。写真でエルサレムを見ることと、実際にエルサレムに行くことでは、全く違うでしょう。聖書では、人から聞いたり、本で読んだりしたことではわからない。

    当時、キリストに触れられたら、キリストに按手してもらえたら、と人々が大勢イエスに寄ってきました。キリストは「来たりて見よ」と言い給う。12年長血の女が、イエスの裳裾にでも触れればと、必死でした。❶魂と魂が触れ合う。現代にはないそんな信仰があった。その信仰を回復しなければ、力はない。ダビデは 、それを言っているのです。

 伝道とは、寄せ集め、説得し征服することではない。その人に接しているうちに、愛により精神的な力を持っている者に、知らず知らずのうちに引き寄せられ、involve抱き込まれることだ。これは、その人の持っている神の霊の力です。その人の❷内なるキリストの霊を慕って慕って、人が寄ってくるのです。自分が外側に発展するのではなく、自分自身が、磁石のように、キリストに触れることで、磁石が磁気を帯びるように、❷内なるものが変えられる。そのような人間が、これからの時代に必要になる。多くの人が吸い付けられていくのです。    ~以上 1968年1月東京 

※主は湖上で沈みゆくペテロにみ手を伸べました。主の手に触れてみてください。

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