祈りの中で、飼い葉おけに眠るイエスを見ました。家畜のいる小屋でした。汚くくさい場所でした。
世間では、クリスマスイブを聖夜と言い、黄金、乳香、没薬のそれぞれの意味にも、いろいろとすてきな解釈をされています。しかし、みことばを現実的に体感することも必要です。
職場近くの競馬の厩舎の近くを歩くことがありました。そこは、50mほど離れていても、悪臭がしてくるのです。
羊やロバのいる家畜小屋で飼い葉おけに寝かされた主イエス。家畜小屋で出産したマリヤやヨセフはどうだっただろうか。そのにおいはどれほどでしょうか。東方の博士は、見るに見かねて乳香、没薬を置いて行ったのでしょう。それは、御神のご配慮でもあります。悪臭を消すために乳香、没薬を焚かざるを得なかったのですね。
本当にお生まれになった時から、人間の苦しみを体感なさっていた主イエス。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと」。イザヤ53:3~4
その始まりも臭い家畜小屋。その最期も、白馬にまたがる王子ではない、ロバに乗って死地に向かう方でありました。そして十字架の恥と死をお受けになった。主の十字架を負うとは、そんなきれいなものではないのです。世人にのけ者にされ、顔をそむけられ、鞭打たれ唾かけられ、罪もないのに殺されることでした。
主が人類の裁きを行う上で、その生涯は、最悪の苦悩の中で、33歳での十字架刑での死でした。しかし、そんな苦悩の中でも彼には罪はなかったのです。救い主のしるしとして、復活して、多くの弟子たちに現れ天に昇ったのです。裁きの場では、どんな状況の人間も、イエスの人生を見れば言いわけができないはずです。
「ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである」。ルカ2:6~7
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
...彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた」。マタイ2:2~11
今の人たちが祝う聖夜(イブ)だとかクリスマスだとかそんなロマンチックなものでは決してない。彼は家畜小屋の悪臭の中で生まれた瞬間から、ヘロデにいのちを狙われていたのです。そのためにこれから遠方へ逃げなければならない家族の状況を見るに見かねて、博士たちは、持っている三つのものを置いて行ったのです。
そして、聖家族は首もすわっていない幼子を連れエジプトへ逃げるのでした。