神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

神の思いは直接心に 〜サンダー・シングの生活 SS21

東洋の聖フランシスコと言われたサンダー・シング(スンダル・シング)は、個人的にどのような生活を送っていたのかについて知ることが、私たちにとって大変有益です。サンダー・シングの祈りについて見てみましょう。

南インドにおいて彼の通訳を常に務めていた親友のビンセント デビットは、一時期ヒマラヤ山中でサンダー・シングと静かな日々を送ったときのことを次のように回想している。

「彼は、人に見えるような戸外では決して祈るために座ったりはしなかった。部屋に入り、戸を閉めて、隠れて天の父に祈る。何時間も部屋の戸は閉ざされ続けていたため、私は食事の用意ができると、彼がいるのかいないのか確かめようと、窓から覗かなければならなかった。彼は、このようにして、一日4時間から6時間祈りに費やしていたが、このようなことは、普通の人には信じられないことだろう。彼は両足を組んで座り、両手を合わせて礼拝していた。筋肉はピクリとも動かない。これには一番驚かされた。体が完全に制御されていて、❶長時間の間わずかな動きさえ見せない。彼の信仰生活でもう一つ観察したことがある。本来何時間にも及ぶ祈りから抜けだしてきたときには、いつも彼の❷顔の上に光があった。これが私に畏怖の気持ちを起こさせて、近づいていつもどおりに親しく振る舞っていいのかどうか、かなり戸惑いを感じたのである。彼の部屋にはキリストを描いたものが二枚あった。一枚はゲッセマネの園での祈り、もう一枚は山上の垂訓の絵である。手紙や本を書くとき、彼はこれらの絵を長いこと熱心に見つめることがよくあった」

英国滞在中にオックスフォード大学のストリーター博士が彼に聞いた質問の答えから、彼の祈りの姿が見えます。

「祈りの際に、あなたは言葉を口に出すのですか?」との問いに、サンダー・シングは答えた。

「言葉は使わない。祈りの言語は、言葉なき言葉である。❸神が霊魂に語りかけるときには、その意味は瞬間のうちに理解される。それは、人と話を交わす際に相手の言わんとすることが言葉よりも先に読み取れるのにやや近い。そのように、静かな時を過ごす中で神がその霊魂に語りかけてくださるのである。神の思いは言葉はなく、❹直接心に注ぎ込まれる。それは、言葉では表現できないような思想であることが多いが、この方法によって、❺常人が30年かけても学び取れないことを、一瞬のうちに学びとる。このように、個人的祈りにおいては、一切言葉を使わないが、集会では言葉を使わざるを得ない」〜以上

❷サンダー・シングの顔や全身が輝いていたのを見たと言う村人の話を、以前にも聞いたことがあります。彼の祈りは、❶長時間の間わずかな動きさえ見せないもので、その間天へ上げられていたと思われます。

❸神が霊魂に語りかけるときには、その意味は瞬間のうちに理解され、神の思いは言葉はなく、❹直接心に注ぎ込まれる〜とは、アァメンであります。

マタイ伝6章

7また祈る時、異邦人がするように、むなしい言葉を繰り返してはならない.彼らは、言葉数が多ければ聞かれると思っている。
8だから、彼らのようであってはならない.なぜなら、あなたがたの父は、❻あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるからである。

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31こういうわけで、『何を食べようか?何を飲もうか? 何を着ようか?』と言って、思い煩ってはならない。

32なぜなら、これらの物はすべて、異邦人が切に求めているからである。あなたがたの天の父は、これらの物がすべてあなたがたに必要であることを、ご存じなのである。

33まず❼神の王国と神の義を求めなさい.そうすれば、これらの物はすべて、あなたがたに加えて与えられる。(回復訳)

神の思いは言葉ではなく、❹直接心に注ぎ込まれるように、父は、❻あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられる。だから、祈りの中で❼神の王国と神の義を求めなさい。そうすれば、❻あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられる神は、それらすべてを、あなたがたに加えて与えられる。また、❺常人が30年かけても学び取れないことを、一瞬のうちに学びとることが可能だと言っているのですね。サンダーは、ヨハネ伝14章10節の主イエスのことばを体現していたのでしょう。
「わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。」(口語訳)

祈りの中で❼神の王国と神の義を求めるとは、どうすれば良いのでしょうか。サンダーのように❶長時間の間わずかな動きさえ見せないほどの恍惚の中で、御国を垣間見るとともに、この世に神の支配と神の義である十字架の力ある救いの業がありありとこの身に体現されることを求めることなのでしょう。神の国と神の義の生きた証人となることが願いであります。

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