聖書の中の、わからない箇所を一つずつ探り求め、理解することは、大切なことです。ユダヤ人は現実主義者です。イスラエルという国名は、神と対峙するという意味で、ユダヤ人にとって神が取り扱われてきた民族の歴史を記述することは、誤記があってはならない大変神聖なことでした。実際にあった史実や複数の歴史記録を確認できなければ、記録には残しませんでした。旧約聖書は、多くの人の批判眼を通して書かれた歴史書です。
ユダヤ人はもともと疑い深く、使徒トマスが「復活したキリストの釘跡に指を入れ、槍で突かれたわき腹に手をさし入れなければ信じない」と言っていたような状況です。トマスは、ヨハネ伝20:25-27で復活したイエスに会い、傷跡に触って確認したのです。主イエスは「手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言っています。
旧約聖書の記述も、口先で信じると言い、心で信じないなら、そんな信仰に意味はありません。具体性をもって理解することで、「信じる者」になるべきです。
史跡とは言えませんが、みなさんは、出エジプト記にある「マナ」という天からの食べ物をご存知と思います。
出エジプトを行い、荒野を彷徨うイスラエルの民が空腹でつぶやきだします。すると、神はウズラとマナを民に与えて彼らを養ったのでした。出エジプト記16章にはこうあります。
13夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。
14この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。
15イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。
******
31イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。(新共同訳)
※コエンドロの種
マナとは、不思議な食べ物です。その形状や味まで記録しています。マナとは一体なんなのでしょう?
中国古代の伝承で、マナに似た甘露(かんろ)というものがあります。甘露とは、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。後世、王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされ、また神話上の異界民である沃民はこれを飲んでいるとされています。
ニューヨークタイムスのマナについての記事がありました。そこには、乾燥した植物の樹液、または樹液を食べる昆虫によって排出される蜜であると伝えています。
https://www.nytimes.com/2010/06/09/dining/09manna.html
ある説では、マナは、シナイ半島にも多く生息するギョリュウの樹液を固めたものであったろうとしています。また他の説では、カイガラムシなどのカメムシ目ヨコバイ亜目の排泄物である甘露が乾燥したものと想定されています。ヨコバイ亜目の昆虫は植物から吸汁して生活しますが、中でも篩管液を専門に摂取するものが多くいます。植物の篩管の中の液には糖分は多量に溶けていますが、アミノ酸やビタミンB群など他の栄養素は乏しいため、これらの昆虫の消化管には濾過室と呼ばれる器官があって、過剰の糖分と水分を消化管後部に短絡させて排泄してしまいます。これが甘露であり、西アジアのような乾燥地帯では水分がすぐに蒸発するため、植物に群がったカイガラムシの下で霜のように堆積した甘露の成分が容易に採集できるそうです。西アジア遊牧民の例でも、実際にこれを採取して食用にする事例が報告されています。イランでは、乾燥した甘露を採取した後、不純物を取り除いてギャズというヌガーのような菓子を作るそうです。〜Wikipedia参考
※実際に採取された種々のマナ(甘露)
左から①Shir-khesht manna ②Hedysarum manna ③Chios Mastic
ちょっと食べてみたいですね。