神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

霊癒の心得 〜敬愛する師39

母がSCU(集中治療室)に運ばれて、1ヶ月が経とうとしています。母の脳出血の痕は、最初は右脳に白く広がっていましたが、今月初めのMRIでは不思議に白い出血痕はほぼ消えていました。

しかし、まだ話しもできませんし、全介助の状態です。

主に愛されている母ですので、主イエス様が側においでになり、癒してくださっていることがわかります。感謝致します。

どうぞお祈りください。

今、霊癒の心得を敬愛する師の話から、学んでいます。

マタイ伝4:23〜24

23イエスガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

24そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。(口語訳)

 

新約聖書にあっては、「癒す」という語はθεραπεύσω が41回、ίαομαιが、21回使われております。その他διασωζω(救う)、あるいはσώζω (救う)という語も、「癒し」と訳されている場合があります。また、パウロも御霊により、「病を癒す賜物を賜る」(コリント前書12:9)ということを述べておりますが、キリストの福音というものは、ただ心だけを癒したり、知性の悩みだけを癒したりするのでなく、霊肉ともに全人的に癒す力であるということを、どうか、ゆめ忘れてはならない。

霊癒の心得

 (1) 病気にかかりましたら、誰でも医者にゆくか、薬局にかけつけるでしょう。即ち、物質的な薬によって、処置し、または生理的に医者の診察と判断を求めて、医者を呼ぶでしょう。

 同様に霊癒 とは、まず霊魂の医者であるところも“霊なるキリスト”を呼ぶことです。何よりもまずキリストにかけつけて、そうして「主よ、あなたは生きておられたとき、御名を呼べば、必ずどんなことも叶えてあげる(ヨハネ伝14章)、と約束したまいました。キリストが地上にあり給う時には、驚くべき力を発揮し給うた、そのように、今もイエスの霊は聖霊なる助け主として生きて働き給います。医薬は無力、貴神は全能です」と心に言いきかせて、私たちはまずキリストを呼ぶことです。いな、キリストにかけつけて行ってキリストに語り、キリストに診断していただくことです。

(2) けれども、それはただ頭であせがってみ ることではありません。すっかりキリストに全託してしまう心です。例えば、畳の上にでも寝てぐったりと自分の緊張感をほどく、というか、湯上がり気分のように、何もわだかまりのない気持ちで御前に出ることです。筋肉がしこっておっては、自力がはたらくので聖霊を吸収する作用を妨げます。「エン クリストー(εν

 Χριστω)」(主にありて)とは、幼児がすやすやと主に抱かれて、主のふところに全託した心境です。先ず緊張を緩めること。わからないなら、深呼吸でも幾回もやって、それから手足をしっかり伸ばす。身体をしっかり伸ばして、緩める。そうすると身体がほぐれます。そして静かに手を組んで伸ばす。足をやや拡げて爪先だけ合わせます。それはあなたの中に生命磁波が放電しないようにするためです。人間の肉体は脳脊髄に約10分の1ボルトの電池が蓄えられています。無用に浪費せぬため、その回路から生命磁波というべきものを、やたらに放射しないためです。御霊に満たされると、生命磁波も強くなる。

(3) 次に静かに、深い呼吸をし、前途の不安や病気の恐怖を追い払って、心に平安を得ます。キリストを念じつつ、何度も深呼吸を腹式でします。心を静めて、クエーカー派の人々は“内なる光“を得ています。仏教の禅やインド教のヨーガも同様に呼吸をやかましく申します。外なる肉の心が幅をきかせて、騒ぎたてていては、内なる霊は露出して働きません。静まって、内なる魂がキリストを知覚し、キリストの臨在を感じることが大切です。

(4) キリストの霊的臨在を感じて、主を呼んで、助け主(パラクレートス)なるキリストが、自分のかたわらに在り給うという実感を覚えていることです。あなたは私の光、私の生命の力です。あなたは私の救いです。あなたは私の砦です。何をか、私は恐れましょう」(詩篇27:1)。どんな病魔も怖れません。出エジプト記の15章26節に「わたしは主であって、あなたをいやすものである」と神ご自身がご自身を定義しておられるように、私たちも、キリストの神エホバ、汝を癒すものなり、との強い確信に立つことが肝要です。神は私たちの霊のみでなく、肉もともに癒し給うものです。霊体は癒えて、肉体も元気づくものです。

申命記32章39節に「今見よ、わたしこそ神である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かし、傷つけ、また癒す」とある通りです。神こそは生殺与奪の権を持つ者、神こそは絶対権限者で、医薬や栄養はその手伝いにしか過ぎません。

「彼は傷つけ、また包み、撃ち、またその手を持って癒される」(ヨブ記5:18)。また、詩篇の詩人たちは皆神に向かって、「主よ、私を癒してください」(詩篇6:2)と言って祈っております。また詩篇30:2、41:4、「エホバは、あなたのすべての病を癒し」(詩篇103:3)も、この信仰です。「その聖言をつかわして、病を癒し給え」と、107:20にも申しております。

エレミヤは「エホバよ、我を癒し給え」(エレミヤ書17:14)と言っております。キリストは霊界の医者です。自分の信仰力と祈りが癒す力でない。キリストが医者として、私たちに触り、今も癒し給う信仰経験、これが何より大切です。キリストとの霊交を深め、聖霊接触することを学ぶこと、これ、霊瘉の信仰です。

〜以上、敬愛する師のことば

 

まことに、愛にあふれ、憐れみ深き主は、われら祈り求める者に、良いものをくださらないわけがありません。また、天界のテーブルから落ちるパン屑をわれらにお与えくださいます。

ハレルヤ、主よ感謝致します!

f:id:AdonaiQuoVadis:20210603225505j:image

f:id:AdonaiQuoVadis:20210603225821j:image