神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

霊界の医者キリスト〜敬愛する師40

マルコ伝2:17

エスはこれを聞いて、彼らに言われた、「丈夫な人には医者はいらない.いるのは病んでいる人である.わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(回復訳)

 

多くの人は、神癒と言えば、何か催眠術的な暗示によるものであると考えたがる。

勿論「病は気から」とも言いますから、精神的に心気を転換して、病気にかからぬように修養することも大切です。しかし、それは霊瘉ではない。または霊気術とか、手のひら療法とか、心霊療法と申しまして、霊術者が病人を、その持っている霊気で癒すという。これも不思議な療法ですが、それとキリストの霊癒は異なる。また信仰治療と申して、一生懸命に信心して、精神統一の結果癒される。それも必要なことであろうが、聖書の霊癒とは違います。

人間の側から癒しがなされるのでなく、霊界に在る医者が、現界の人間を癒すこと、即ち、霊的な実在者がいて、彼の名を呼べば、やって来て癒すのであります。エレミヤが言っているように、「エホバよ、我を癒し給え、さらば癒される」のです。

エホバという神ー霊的な人格があるんです。この神が手ずから診療し給うとの信仰を、「神癒」と言うのです。

最近発達した精神身体医学というものとは、キリストの霊癒は根本的に違います。

非常にすぐれた神癒の働きをする人たちのものを読んで感ずることは、みな生ける霊的な実在者が霊界におって、霊の医者がいつも彼らの願いに応えて癒しの業をやってくれるということです。

それにはキリストの直接の御業があり、天使の業があり、とにかく霊界からの医者の診療行為によって、癒されるのです。

人間の信仰力によるのでない。人間の信仰は一条件であっても、癒しは神界の業である、と私は考えています。

聖ベルナードは、一日に盲人十一人の目を開き、十八人のいざりを癒した、というが、不思議にたくさん癒されたものです。

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現存(1960頃)の非常にすぐれた神癒の人で、エルジー・ソロモンという婦人がおります。彼女は何万の病人を癒しておりますが、「私はキリストに祈る時に、一度でも病人について『祈っても癒されませんよ』という声を聞いたことがない」と言っている。しかし、神癒を看板にして伝道している人々は、通弊としてあまり体の癒しのみを強調するので、❶心霊上の救いがなおざりになり、私には感心できません。

〜以上、敬愛する師の話より

❶ルカ伝5章には、中風の者の癒しで「罪をゆるす権威」についての記事があります。

「あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。 すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭5:23-25‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/luk.5.23-25.口語訳

 

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2021.6.11撮影