片付けをしていたら、母のメモが見つかりました。それは友人の受洗での証詞でした。
「今日、Oさんが洗礼を受けられたことを感謝致します。私も9月24日にY先生の熱いお祈りのもとで、洗礼を受けさせていただきました。
何かわかりませんが、毎日が楽しくなってぶつぶつ言ってました。不平がなくなり認知症の旦那と静かな日々感謝の毎日暮らせるようになりました。
私は女学校3年のとき敗戦を迎えました。すごい戦争体験をして、精神的空白はなかなか埋まりませんでした。
これではダメになると思い、夜学の高校に行きました。
そこで音楽の先生から無教会主義の内村鑑三先生の集まりに誘われました。
それが、キリストイエス様にふれあうきっかけになり、息子夫婦がT教会に行ってましたので、私も連れて来てもらいました。
イザヤ書30章21節
あなたが右に行くにも、左に行くにも、あなたの耳はうしろから、「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。
詩篇25へん12
主を恐れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を教えられる。
日々感謝して、神様に賛美して祈っています。」
〜イザヤ書30章21節は、ふしぎに敬愛する師の召命のみ言葉と同じでした。
母はまだ施設で療養していますが、教会の皆さんがいつも祈っていて下さるので、励まされます。感謝な、証詞でありました。