神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

インド秘密宣教団 サンダー シング SS35

東洋の聖フランシスコと言われたサンダー・シング(スンダル・シング)は、カイラス山中で不老不死の不思議な老聖(マハリシ)に会っています。マハリシは、秘密宣教団があることを話しました。

 

〜秘密宣教団について〜

しばらくしてマハリシは、非常に奇妙な話を始めました。「今日、神の霊は素晴らしい業を成し遂げています。公然と行われるものもあれば、秘密裏に行われるものもあります。主の到来のための道が整備されています。今、あなたたちには、おそらくまだ何も知らない、その秘密宣教団のすべてを話します」と彼は言いました。

「サンダー、去年あなたが私のところを去った後、この宣教団のクリスチャンの兄弟たちが私に会い、話をしたが、私たちの会話の一部を公にすることは賢明ではないと考えました。

「何と?あなたは秘密宣教団と協力しているのですか?どのような宣教団ですか?どのようにして、そして主のために何をしているのですか?」と君は尋ねるかも知れません。

「私が言いたいのは、私たちの主イエス・キリストが生まれたとき、三人のマジシャン(博士たち)が彼を探しに行きました。彼らは自然の力と空に浮かぶある星に導かれていました。

そのうちの一人は、ヴィシュヴァミトラという名前のベナレスの博士でした」と彼は述べました。

「ヴィシュヴァミトラがインドに戻った後、彼は人々に救い主が地上に来たことを説明しました。その名前はイエス・キリストでした。

しかし、一般の人々や他の博士たちは、彼を嘲笑しました。彼らはヒンドゥー教の信仰に基づき、ニシュカランカ(無欠・純粋な者)の化身はインドだけで、他の国では起こりえないと確信していました。

何年か後に、ヴィシュヴァミトラはイスラエルにまた戻りました。

老いた博士が二度目に主イエスを見たとき、彼は主の前に倒れ、その足に口づけしました。

愛に満ちたイエスは彼に手を伸ばして立ち上がらせ、彼に悪霊を追い出し、彼と彼の弟子たちがするように奇跡を行う権限を与えました。

しかし、ヴィシュヴァミトラは別の国に属していたため、ユダヤ人であるイエスの弟子たちは彼を軽蔑しました。ユダヤ人との協力が不可能であることを悟った博士は、彼らから離れて一人でイエス・キリストのメッセージを宣べ伝えました。

このヴィシュヴァミトラは、イエスの弟子たちが彼が悪霊を追い出すことを妨げようとしたのと同じ預言者でしたが、主はそれを止め、和解するように命じました(マルコ9:38-40参照)。

ある時期にヴィシュヴァミトラはインドに戻り、そこで福音を伝えました。他の博士たちは彼に反対し、彼が自分たちの宗教に反するメッセージを説いたために、彼の敵になりました。

ある夜、彼らは彼を襲い、手足を縛り、川に投げ込みました。この真の信仰者であり例外的なキリストの僕の死体は決して見つかりませんでした。

ヴィシュヴァミトラの告白(証詞)を聞き、イエス・キリストを信頼した人々は、秘密裏にキリストのメッセージを宣べ伝えだしました。

これはイエスが天に昇った後で、使徒トマスがインドに来た後のことでした。

ヴィシュヴァミトラの弟子たちは、使徒トマス  に加わり、徐々に増えていきました。

2世紀には、使徒トマスが殉教した後、彼らはサンスクリット語に聖書を翻訳しました。しかし、世紀が経つにつれて、彼らのキリストへの熱意は衰え、中世のローマ教会と同様に怠惰になりました。

しかし、ウィリアム・ケアリーのような宣教師たちがインドに来たときに、ヴィシュヴァミトラの弟子たちは、宣教師たちの教えが彼らと一致していることに気づきました。

彼らの中に新しい熱意が生まれ、再び神の言葉を説き始めました。

このように、イエスの信奉者の数はインドでますます増えていきました。これらキリストの伝道者たちは、当時インドの人口の半数以上にキリストの福音を伝えました。

今日、20世紀初頭においても、24000人の秘密の宣教師たちが存在しています。彼らは秘密裏に主に仕え、報酬を求めることなく奉仕しています。私もその一人であり、私の仕事は祈りの奉仕です!」(マハリシ)

 

「私はこれらの秘密の宣教師たちについて知っています」とスンダル・シングは言いました。「私は彼ら宣教師のいく人かに会い、説教する機会がありました。残念ながら、多くの人々は、優れた知識や才能を持った人々を含めて、秘密宣教師や彼らの働きを信じていません。」

「それは私にとって新しいことではありません」とマハリシは微笑んで答えました。

「疑念は、世界に広まった病気です。あらゆる年代の人々がそれに巻き込まれています。それはキリストの再臨の日が来るまでの状況でしょう。しかし、私も知っています。多くの人々が信じて、偉大な益を得ていることを。もし、知識のある人々がこの宣教活動を軽んじるとしても、それは何も珍しいことではありません。神が存在しないと結論付けるべきではありません。

博学で才気煥発な人々が神の存在を信じていないと言っても、それは間違いです。そう考えてはいけません。」(マハリシ)

「私は知っています。昨年、D.N.P.ダッタ博士がNur Afshanという新聞に、スンダル・シングが話した人物は架空の存在だと考えると書いていました。話させておけばいいんです。あなたについて他の人々が言っていることから判断すると、あなたは一切苦しむことはないでしょう。ただ見聞きしたことを説明してください。誰があなたの話の真実性を疑おうと、あなたは活動し続け、気にすることはありません。」(マハリシ)

〜The Mystery of the Maharish of Mt Kailash(あまり上手くないですが私訳しました)

 

 

マハリシは、東方の三人の博士がインドから来たことを語っています。そのうちの一人が再度イスラエルを訪問し、キリストの弟子となったことが書かれています。使徒トマス のインド宣教前に、イエスの弟子となった博士が、先達となっていたのでしょう。

インドの秘密宣教団についてはフリードリッヒ・ハイラー教授が、多少詳しく書いたものがあります。

「ある時、サンダー・シングが、東インドを旅していた時、釈迦がその仕事を開始したサルナートで、以前からフェリー博士より聞かされていたサンニャーシン秘密宣教団の信徒たちと、初めての出会いをした。自らをアジアのキリストの従者と呼ぶこれら秘教的キリスト者達は、インド全域に広がり、周辺諸国のいくつかにも入っている。」

19〜20世紀初頭、まだその秘密宣教団の信徒たちがいたことになります。

秘密宣教団については、実際に使徒トマスの福音宣教によって、2世紀にはインドに多くのクリスチャンがいたことから、その存在に真実味があります。

以前、私の職場でインド人の女性を採用したことがあります。不思議なことに、向こうから電話をかけてきて会いに来たのです。
彼女の夫は、一流企業のIT技術者で、なんでこんな小さな施設で働きたいのかと思いました。日本語があまりできませんでしたので、一度は断りましたが、しばらくして不思議に私が異動した違うセンターで採用されることになりました。話を聞くと、彼女はたくさんの資格を持っていて、インドのカーストの最上位でした。マハラジャよりも上にいる司祭階級でした。滅多に見れない人だと思いました。

インド人にしては、不思議に、顔が白く輝いて見えた理由がわかりました。そこですぐにサンダー  (スンダル)・シングについて聞くと、知らないと言っていました。スンダルは、有名だけど、、

一年後、私が辞める(転職)ことを伝えると、同時期に夫の転勤でオランダへ行くと辞めてしまいました。

大変スピリチュアルな方で、日本語がわからなくても意志が通じるというのか、、もしかしたらサンニャーシンだったのかと、もう少し聴いておけばよかったと後悔しています。

21世紀にこの宣教団がまだ存在しているのでしょうか。彼らは、ヒンドゥーを隠れ蓑にし、ヒンドゥー教の寺院で朝早く集会をしていたと書いてありましたので、一度確かめに行きたいものです。

 

聖トマスの墓は、インド、チェンナイ(旧マドラス)にあるサン・トメ教会(聖トマスのバシリカ)の地下にあります。トマスはインドで伝道をし、キリスト教はインドに広まりました。伝説では、彼はAD72年にマドラスで殉教したそうです。

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サン・トメ教会

次は、この秘密宣教団の変わった伝道について取り上げます。

https://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2023/02/24/135505