神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

サンニャーシンミッション サンダーシング SS36

〜インドのサンニャーシン・ミッションの話〜

独自の宣教姿勢と生き残り戦略

東洋の聖フランシスコと言われたサンダー・シング(スンダル・シング)は、カイラス山中で不老不死の不思議な老聖(マハリシ)に会って、キリストを信じる秘密宣教団があることを聞きました。

「宗教活動が、あるサンヤシ(托鉢僧)の集団によっておこなわれている。彼らは見たところ、キリストとキリストのメッセージを伝えることに生涯を捧げてきた点を除いて、ヒンドゥー教の*サドゥーと何ら変わらない。

*サドゥー:行者

この❶サンニャーシンミッションは❷厳格な規律を守り、新しい帰依者は12年間もの訓練を積まなくては、*アーナンダの称号を得ることができない。彼らの中には、サンスクリット語と英語の両方で教育を受け、わが❷国で非常に高く尊敬されている者もいる。

*アーナンダ(आनन्दः [ānandaḥ]):釈迦の弟子の名でなく、語意は、「幸福、あらゆる制限から自由である」こと〜

この秘密のミッション(宣教団)を初めて知ったのは、カイラスマハリシに教えられたからである。

わたし自身はその修道会に属していないが、彼らのキリスト教活動が偉大であることは証言できる。インド北部を歩き回っていたとき、この修道会の指導者たちの一部と知り合えたことは幸運だった。そして、彼らを介してキリストのメッセージが広められるときの❸犠牲的精神と愛情とに、わたしは強く心を打たれた。」(サンダー  )

「わたしがガンジス川のほとりで説教をしていたときのことである。ひとびとはサンヤシとしてのわたしは好きだが、わたしのメッセージは嫌いだといった。そして、近くに住み、多くの群集を引きつけていた、偉大な❹ヒンドゥー教の伝道師を訪問してほしいといった。

わたしは三日間、群集が多すぎて彼に近寄ることができなかった。

 ある日、わたしはひとりでいる彼と会うことに成功した。わたしは自分がキリストの弟子であることを告げたとき、彼はわたしを抱き締めて「兄弟よ、わたしたちは同じ活動をしているのだ」といった。

このあいさつに驚いたわたしが、彼がキリストの教えを説いている姿は一度も見たことがない〜というと、彼は次のように答えた。

「❺地を耕さずに種を蒔く農夫がいるだろうか。わたしは最初に❻聞き手の精神的価値観を呼び覚ますことを心がけ、❼正義への渇望感が生まれたときを見計らって、彼らの前に❽キリストを差し出すのである。わたしはこの古代の川のほとりで、これまでの12ヶ月間で12人もの教養あるヒンドゥー教徒に洗礼を施した」

それから彼は鞄を開け、いつも携帯している聖書を見せてくれた・・・

 

「今の時代に最も必要なことは、教会が❻広い視野を持つということである。キリスト教徒たちは、❾宗派や教義の制限を超越し、いかなる形式のキリスト教精神であれ、容認する心構えでいなくてはならない。

秘密のサンニャーシン・ミッションはキリストの祝福を受けており、わたしたちにはなじみのない形式を取ってはいても、この国で偉大な活動をおこなうことができる。それを共に喜び、伝統的なキリスト教会の範囲を超えた多くのひとびとの心に、光を注いでいる明かりをこの国に植えつけ給うた主をほめたたえましょう」

〜以上「インドの聖者 スンダル・シング 」より

❶サンニャーシン・ミッション(宣教団)の宣教師たちは、❷厳格な規律を守りヒンドゥーの行者のように見えるが、中には、❷国で非常に高く尊敬されている者もいる。サンダー が出会った伝道師もそのひとりだった。カーストでも上位の者なのでしょう。まさにアーナンダ(आनन्दः [ānandaḥ]):幸福、あらゆる制限から自由であるキリスト者なのでしょう。

また、彼らは、❸犠牲的精神と愛情とに満ちています。

また、❹近くに住み、多くの群集を引きつけていた。群集が多すぎて彼に近寄ることができなかった。

その宣教方法は、❺地を耕さずに種を蒔く農夫のようにではなく、最初に❻聞き手の精神的価値観を呼び覚ますことを心がけ、心を耕し、❼正義への渇望感が生まれたときを見計らって、彼らの前に❽キリストを差し出すのである。

❶サンニャーシンミッションの姿勢をまとめると

ヒンドゥーの行者のようにしている

2 ❷厳格な規律を守り、

3 新しい帰依者は12年間もの訓練を積む

4 アーナンダ(आनन्दः [ānandaḥ]):幸福、あらゆる制限から自由である称号を得る

5 彼らの中には、サンスクリット語と英語の両方で教育を受け、❷国で非常に高く尊敬されている者もいる

6 ❸犠牲的精神と愛情とに満ちている

7 庶民の❹近くに住み、多くの群集を引きつけて、群集が多すぎて近寄ることができないほど〜まるで福音書のキリストのようだ

8 ❺地を耕やし種を蒔くように、最初に心を耕し、❻聞き手の精神的価値観を呼び覚ます

9 ❼正義への渇望感が生まれたときを見計らって、彼らの前に❽キリストを差し出す

10 ❾宗派や教義の制限を超越し、いかなる形式のキリスト教精神であれ、容認する心構え

○そして何よりもインドのメジャーな宗教ヒンドゥー教に入り込んで、よく耕したあとに彼らに秘密の宝であるキリストを差し出すような宣教をしているのだ。

その姿勢は、敬愛する師が創設したマクヤの信条にも似ている。

◉私たちは、日本人の心に宗教が回復することを願い、原始福音の再興を祈る。
◉私たちは、無教会主義に立つ。従って、いかなる教会・教派にも属さず、作らず、ただ旧新約聖書に学ぶものである。マクヤの信条より

また、秘密宣教団は、神道や仏教を蔑視せずに、寺で聖会を行なうような師の姿勢にも似ている。❾宗派や教義の制限を超越した、キリストの福音。その救いの現実をヒンドゥー教徒に奇跡とともに伝えていた。いかなる形式のキリスト教精神であれ、容認する心も持っていた。

キリストは、近づく者を追い帰したりしなかった。

違う宗教・宗派を目の敵にし、自分たちの教理と違うなら、対立や戦いも辞さないどこかの宗教とは違う。他宗教や他宗派をも大きく抱擁してしまう。人々を包み込む愛で、まず心を耕してから、キリストを伝えるサンニャーシンミッションの宣教姿勢に学びとうございます。

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ps.サンニャーシンミッションは、迫害の酷いインドで、秘密宣教団にならなければ二千年近く存続できなかったでしょう。サンダー  もキリスト教徒になったと言うと、家から追い出され、その時、家族は毒入り弁当を持たせて殺そうとしたと語っています。迫害が始まれば我々も同じように殺される危険に会うことになるのでしょう。